《自由広場》 「竹の子医者」の日々
星 康夫(東京都世田谷区)
○白内障の手術○……「竹の子医者の日々―その2」の“白内障手術”の続きです。年末12月7日に5泊6日の入院をしました。お願いしていた個室は取れず,2人部屋に入院となりました。それも1人部屋を2人部屋に改造した狭い狭い部屋です。入口を入ってすぐにトイレと洗面台,そのすぐ横に私のベッド。奥の窓際は私より20歳近く年上の歩行もやっとの御老体,トイレもお一人で行くのは大変で,トイレに行く度に私のベッドのカーテンにつかまって歩くので,引っ張られぱなしの私のベッドのカーテンは常に開放されています。同じ日の入院、同じ日の手術,同じ日の退院。この5泊6日は長いぞ,と覚悟しました。4日目の朝,婦長さんから「入口に近い所では何かとご迷惑がかかり大変でしょうから,奥のベッドと交代しましょうか?」と言って頂き,「是非とも」とお願いしました。自分もやがてはこの様になるのだと思いながらも最後の2日間は本当に安心して,少しばかり安眠できました。手術は30分もかからないのですが,大変なのはその前後の点眼薬の点眼です。手術5日前から,1日4回の抗生物質の点眼があります。手術当日は手術室に入る数時間前から4種類の点眼薬を5分おきに,手術後は毎日3種類の点眼薬を1日4回で3ヶ月続けます。
○テレビで聞く○……今回の入院でテレビとは視るものではなく聞くものなのだと感じました。片目ずつの手術ですが,手術していない方の目も適当な眼鏡がなく,私はほぼ見えません。目は濡らしてはいけないとの事で洗顔は禁止,洗髪は入院中一度だけ看護婦さんにお願いしました。そのテレビの話ですが,手術当日の夜のテレビです。例の海老蔵の事件の本人の記者会見です。「47秒も頭を下げ続け,目には涙を流していました」と,アナウンサーはほめていました。私はこう言いたい,「当たり前だよ,彼の仕事は役者なんだヨ」と。又女性記者が質問していました。「海老蔵の名を返上したりしませんよネ。歌舞伎を引退する様な事はありませんよネ」いかにも必ず続けてくださいヨ,と言っている様に聞こえるが,又優しい言葉に聞こえるが,私にはそうは聞こえない。優しそうな言葉の裏にはトゲがある。「海老蔵の名を返上しないんですか。引退しないんですか」と聞こえてしょうがない。
○海老蔵に似る?○……次は退院後のお話です。近所で開業している同級生の眼科医の所に行きました。術後1週間は経っているものの,まだ新しい眼鏡は出来上がっていません。以前に近〜近用として使っていた眼鏡がどうやら使用出来ました。妻は私の歩行に気を遣って3歩前を歩き足元を確認してくれました。でも,その足元あたりが一番良く見えるのです。そこが前を歩く妻の靴の部分で隠れてしまうのです。「3歩下がって歩いて」等とは決して申し上げません。横から,後から見守って指示して下さい,とお願いしました。主治医の診察では,眼圧がやや高いが,手術の部分は全く心配いりません,出血,腫脹も,10日位で良くなるでしょう,と。「ところでアルコールの方は,いつ頃から許されますか」と質問しました。いとも簡単に「今日からどうぞ」と。この同級生は本当に名医になったなあ,と思いました。そして待合室に戻ると,妙齢の美しい女性(はっきりとは見えないが,非常に嬉しい言葉が発せられましたのでこう書きます)が私の前にやって来て顔を寄せ,まじまじと私を見ながら「あら,海老蔵さんみたい」と。「いやいやそれ程良い男ではありませんヨ」と言いたかったが,単に眼球結膜に出血があったという事です。その位の事は自分でも分かっています。でも私のこの目の出血は決して暴力によるものではありません。
○生涯忘れられない3月に○……3月は私にとって記念日の多い月です。13日は誕生日,18日は結婚記念日,長男の誕生日が5日,亡くなった父も3月生まれでした。今年は更に大変な3月となりました。11日に東北・関東を大地震が襲いました。震災に続き大きな津浪もあり,更に原発の事故。皆様も感じられたと思いますが,対策が後手後手になっている様に思えて仕方がありません。冷却のために海水の注入,真水の注入,そして放射線に汚染された水が管理区域外に漏れ出していると。最後は「ラブ注入」かと,不謹慎な言葉も吐きたくなります。
3月28日,東京は桜の開花が報じられました。大地震,津浪,原発事故と暗い話ばかりですが,明るい春は確実にやってきます。桜前線はこれから北上し,まもなく被災地に達します。日本の象徴「桜の花」に励まされながら,希望をもって明るく生きて行きましょう。私にとってこの数ヶ月は本当に忙しい毎日でした。少し落ち着いてから,起きた出来事をゆっくりと省みて,ゆっくりと文章にまとめてみようと思います。被災地となった故郷の皆様にエールを送ります。頑張れ,頑張れ日本。頑張れ,頑張れ,東北!!
○白内障の手術○
星 康夫(東京都世田谷区)
○白内障の手術○……「竹の子医者の日々―その2」の“白内障手術”の続きです。年末12月7日に5泊6日の入院をしました。お願いしていた個室は取れず,2人部屋に入院となりました。それも1人部屋を2人部屋に改造した狭い狭い部屋です。入口を入ってすぐにトイレと洗面台,そのすぐ横に私のベッド。奥の窓際は私より20歳近く年上の歩行もやっとの御老体,トイレもお一人で行くのは大変で,トイレに行く度に私のベッドのカーテンにつかまって歩くので,引っ張られぱなしの私のベッドのカーテンは常に開放されています。同じ日の入院、同じ日の手術,同じ日の退院。この5泊6日は長いぞ,と覚悟しました。4日目の朝,婦長さんから「入口に近い所では何かとご迷惑がかかり大変でしょうから,奥のベッドと交代しましょうか?」と言って頂き,「是非とも」とお願いしました。自分もやがてはこの様になるのだと思いながらも最後の2日間は本当に安心して,少しばかり安眠できました。手術は30分もかからないのですが,大変なのはその前後の点眼薬の点眼です。手術5日前から,1日4回の抗生物質の点眼があります。手術当日は手術室に入る数時間前から4種類の点眼薬を5分おきに,手術後は毎日3種類の点眼薬を1日4回で3ヶ月続けます。
○テレビで聞く○……今回の入院でテレビとは視るものではなく聞くものなのだと感じました。片目ずつの手術ですが,手術していない方の目も適当な眼鏡がなく,私はほぼ見えません。目は濡らしてはいけないとの事で洗顔は禁止,洗髪は入院中一度だけ看護婦さんにお願いしました。そのテレビの話ですが,手術当日の夜のテレビです。例の海老蔵の事件の本人の記者会見です。「47秒も頭を下げ続け,目には涙を流していました」と,アナウンサーはほめていました。私はこう言いたい,「当たり前だよ,彼の仕事は役者なんだヨ」と。又女性記者が質問していました。「海老蔵の名を返上したりしませんよネ。歌舞伎を引退する様な事はありませんよネ」いかにも必ず続けてくださいヨ,と言っている様に聞こえるが,又優しい言葉に聞こえるが,私にはそうは聞こえない。優しそうな言葉の裏にはトゲがある。「海老蔵の名を返上しないんですか。引退しないんですか」と聞こえてしょうがない。
○海老蔵に似る?○……次は退院後のお話です。近所で開業している同級生の眼科医の所に行きました。術後1週間は経っているものの,まだ新しい眼鏡は出来上がっていません。以前に近〜近用として使っていた眼鏡がどうやら使用出来ました。妻は私の歩行に気を遣って3歩前を歩き足元を確認してくれました。でも,その足元あたりが一番良く見えるのです。そこが前を歩く妻の靴の部分で隠れてしまうのです。「3歩下がって歩いて」等とは決して申し上げません。横から,後から見守って指示して下さい,とお願いしました。主治医の診察では,眼圧がやや高いが,手術の部分は全く心配いりません,出血,腫脹も,10日位で良くなるでしょう,と。「ところでアルコールの方は,いつ頃から許されますか」と質問しました。いとも簡単に「今日からどうぞ」と。この同級生は本当に名医になったなあ,と思いました。そして待合室に戻ると,妙齢の美しい女性(はっきりとは見えないが,非常に嬉しい言葉が発せられましたのでこう書きます)が私の前にやって来て顔を寄せ,まじまじと私を見ながら「あら,海老蔵さんみたい」と。「いやいやそれ程良い男ではありませんヨ」と言いたかったが,単に眼球結膜に出血があったという事です。その位の事は自分でも分かっています。でも私のこの目の出血は決して暴力によるものではありません。
○生涯忘れられない3月に○……3月は私にとって記念日の多い月です。13日は誕生日,18日は結婚記念日,長男の誕生日が5日,亡くなった父も3月生まれでした。今年は更に大変な3月となりました。11日に東北・関東を大地震が襲いました。震災に続き大きな津浪もあり,更に原発の事故。皆様も感じられたと思いますが,対策が後手後手になっている様に思えて仕方がありません。冷却のために海水の注入,真水の注入,そして放射線に汚染された水が管理区域外に漏れ出していると。最後は「ラブ注入」かと,不謹慎な言葉も吐きたくなります。
3月28日,東京は桜の開花が報じられました。大地震,津浪,原発事故と暗い話ばかりですが,明るい春は確実にやってきます。桜前線はこれから北上し,まもなく被災地に達します。日本の象徴「桜の花」に励まされながら,希望をもって明るく生きて行きましょう。私にとってこの数ヶ月は本当に忙しい毎日でした。少し落ち着いてから,起きた出来事をゆっくりと省みて,ゆっくりと文章にまとめてみようと思います。被災地となった故郷の皆様にエールを送ります。頑張れ,頑張れ日本。頑張れ,頑張れ,東北!!
○白内障の手術○
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