miiniミニJIBUNSHI 私の野狐禅逸話
須釜 邦夫(千葉県千葉市)
臨済宗に『百丈野狐』という有名な公案がある。公案というのは,修行者が悟りをひらくために,師匠から与えられる禅問答の課題のことです。どういう話かと言うと,中国禅界の傑僧百丈禅師が住職を勤める百丈山の僧堂に,いつも一人の老人がいて禅師の講話を聴いていた。偶々禅師と二人になった時,その老人は禅師に次のような身の上話を始めた。私は,実は人間ではなく野狐であること。大昔は,禅師と同じくこの百丈山の住職をしていたこと。そんなある時一人の僧が,『大修行底の人は因果に落ちるかそれとも落ちないか』と尋ねて来たので,自分は『不落因果』と答えたところ,野狐に墜ちてしまったこと。以後,元の人間に戻りたくて死に物狂いで大修行をしてきたが,何度生まれ変わっても野狐を脱することができないでいること。そして懇願した。『どうやら私の見解が間違っていたようなので,私に代わり正しい一語をお示し下さり,願わくば野狐身をお救い下さい』と。許しを得た老人は容儀を改め尋ねた,『大修行底の人は因果に落ちるかそれとも落ちないか』と。すると禅師は『不昧(ふまい)因果』と喝破された。老人は言下に大悟し,野狐身を脱することができた……。因みに,『不昧』という言葉には,くらまさないこと,ごまかさないこと,明らかであると認めること,といった意味があります。
私が初めて坐禅と出会ったのは,一橋大学入学後,坐禅部の如意団に入団した時です。当時の私は,受験二浪時代から続く深刻な劣等感に悩まされており,坐禅で何とか克服したいというのが入団動機でした。如意団は,明治39年鎌倉円覚寺如意庵で創設された縁で,歴代の団員有志は,よく円覚寺居士林の学生禅会に参加していました。私も,先輩に連れられ1年の冬の禅会に参加し,以後病み付きとなり,年4回5日間の禅会には欠かさず参加していました。 当時の居士林学生禅会は,早大済蔭団,慶大向上会,学習院大正続会の各校坐禅部の猛者連中が幹事役を勤め,役割分担し運営していました。私が3年になり如意団の代表幹事になった時,居士林の薦めでその学生幹事役も兼務することになりました。居士林の幹事になると,100人近い禅会参加学生の世話に追われ,自分の坐禅が殆どできなくなるが,その代わり雲水の修行する円覚寺専門道場での参禅が許され,私も何度か参加しました。そのような円覚寺でのある日,円覚寺管長朝比奈宗源老師から,『百丈野狐』の講話を聴きました。
50年経った今でも鮮明に想い出せる程の感銘を受けたお話で,要旨は次の通りです。
『生きとし生けるものは,生まれながらに佛心をもっておる。修行して悟りをひらいた者だけが佛心をもつ訳ではない。また,佛心は時間空間を超越したものである。わしがそう断言しても人は,なまじ知恵があるため,自分が納得できないことは認めようとはしないものだ。だから,自分で納得するため苦労して坐禅をする羽目になる。その努力が実り見性した暁には,成程これが,生まれながらにもっている佛心かと納得し,安心立命できるのだ。その見性の境涯を手に入れるには,自己をとことん参究し,己の底の底をブチ抜くまで坐り切らなければならない。この野狐老人のように,自己を卑下し自分自身から逃げようとする修行は,やるだけ無駄で見性などできるものではない。この老人は,百丈和尚に『不昧因果』と喝破され,初めて野狐の自分と向き合い,自分の中の佛心に目覚めたから,大悟し野狐を脱することができたのだ。見性した者にとっても因果は厳存するが,その因果を踏まえつつそれに束縛されず自由闊達な生き方ができる境涯を和尚は不昧因果と言ったのだ。』
老師の説明はいつになく懇切丁寧であった。老師のお話で,私は大いに感じるところがありました。劣等感を持った当時の私は,野狐老人そのものでした。『こんな自分では駄目だ。何とか変わらなければならない。そのためには真剣に坐禅をしなければならない』。そんな気持ちを老師にしっかり見抜かれていたのかも知れません。
私は悟りました。どんなに貧乏していても,どんなに不格好でも,どんなに頭が悪くとも,自分は自分だ。自分以外の自分にはなれないし,なる必要もない。これから一生この自分のままで勝負して行こうと。そう決心してからは,劣等感などは跡形もなく消えてしまいました。以後,社会に出てからも,どんなに権力のある人,才能のある人,立派な人に出会っても,気後れせず平常心で対応できるようになりました。
大学卒業を控え居士林の幹事を辞する時,老師は,総合商社丸紅への就職の決まった私に,餞として『万里一條鉄』という公案を色紙に書いて下さった。佛心は,万里を貫く一條の鉄の如く,途切れることのない永遠の真実故,その佛心に包まれた天地を堂々と生きて行けという老師の激励に違いない。良き師に恵まれ円覚寺で修行して本当に良かった。亡き老師に深謝し,今後も自他の佛心を信じて生きて行こうと思う。
須釜 邦夫(千葉県千葉市)
臨済宗に『百丈野狐』という有名な公案がある。公案というのは,修行者が悟りをひらくために,師匠から与えられる禅問答の課題のことです。どういう話かと言うと,中国禅界の傑僧百丈禅師が住職を勤める百丈山の僧堂に,いつも一人の老人がいて禅師の講話を聴いていた。偶々禅師と二人になった時,その老人は禅師に次のような身の上話を始めた。私は,実は人間ではなく野狐であること。大昔は,禅師と同じくこの百丈山の住職をしていたこと。そんなある時一人の僧が,『大修行底の人は因果に落ちるかそれとも落ちないか』と尋ねて来たので,自分は『不落因果』と答えたところ,野狐に墜ちてしまったこと。以後,元の人間に戻りたくて死に物狂いで大修行をしてきたが,何度生まれ変わっても野狐を脱することができないでいること。そして懇願した。『どうやら私の見解が間違っていたようなので,私に代わり正しい一語をお示し下さり,願わくば野狐身をお救い下さい』と。許しを得た老人は容儀を改め尋ねた,『大修行底の人は因果に落ちるかそれとも落ちないか』と。すると禅師は『不昧(ふまい)因果』と喝破された。老人は言下に大悟し,野狐身を脱することができた……。因みに,『不昧』という言葉には,くらまさないこと,ごまかさないこと,明らかであると認めること,といった意味があります。
私が初めて坐禅と出会ったのは,一橋大学入学後,坐禅部の如意団に入団した時です。当時の私は,受験二浪時代から続く深刻な劣等感に悩まされており,坐禅で何とか克服したいというのが入団動機でした。如意団は,明治39年鎌倉円覚寺如意庵で創設された縁で,歴代の団員有志は,よく円覚寺居士林の学生禅会に参加していました。私も,先輩に連れられ1年の冬の禅会に参加し,以後病み付きとなり,年4回5日間の禅会には欠かさず参加していました。 当時の居士林学生禅会は,早大済蔭団,慶大向上会,学習院大正続会の各校坐禅部の猛者連中が幹事役を勤め,役割分担し運営していました。私が3年になり如意団の代表幹事になった時,居士林の薦めでその学生幹事役も兼務することになりました。居士林の幹事になると,100人近い禅会参加学生の世話に追われ,自分の坐禅が殆どできなくなるが,その代わり雲水の修行する円覚寺専門道場での参禅が許され,私も何度か参加しました。そのような円覚寺でのある日,円覚寺管長朝比奈宗源老師から,『百丈野狐』の講話を聴きました。
50年経った今でも鮮明に想い出せる程の感銘を受けたお話で,要旨は次の通りです。
『生きとし生けるものは,生まれながらに佛心をもっておる。修行して悟りをひらいた者だけが佛心をもつ訳ではない。また,佛心は時間空間を超越したものである。わしがそう断言しても人は,なまじ知恵があるため,自分が納得できないことは認めようとはしないものだ。だから,自分で納得するため苦労して坐禅をする羽目になる。その努力が実り見性した暁には,成程これが,生まれながらにもっている佛心かと納得し,安心立命できるのだ。その見性の境涯を手に入れるには,自己をとことん参究し,己の底の底をブチ抜くまで坐り切らなければならない。この野狐老人のように,自己を卑下し自分自身から逃げようとする修行は,やるだけ無駄で見性などできるものではない。この老人は,百丈和尚に『不昧因果』と喝破され,初めて野狐の自分と向き合い,自分の中の佛心に目覚めたから,大悟し野狐を脱することができたのだ。見性した者にとっても因果は厳存するが,その因果を踏まえつつそれに束縛されず自由闊達な生き方ができる境涯を和尚は不昧因果と言ったのだ。』
老師の説明はいつになく懇切丁寧であった。老師のお話で,私は大いに感じるところがありました。劣等感を持った当時の私は,野狐老人そのものでした。『こんな自分では駄目だ。何とか変わらなければならない。そのためには真剣に坐禅をしなければならない』。そんな気持ちを老師にしっかり見抜かれていたのかも知れません。
私は悟りました。どんなに貧乏していても,どんなに不格好でも,どんなに頭が悪くとも,自分は自分だ。自分以外の自分にはなれないし,なる必要もない。これから一生この自分のままで勝負して行こうと。そう決心してからは,劣等感などは跡形もなく消えてしまいました。以後,社会に出てからも,どんなに権力のある人,才能のある人,立派な人に出会っても,気後れせず平常心で対応できるようになりました。
大学卒業を控え居士林の幹事を辞する時,老師は,総合商社丸紅への就職の決まった私に,餞として『万里一條鉄』という公案を色紙に書いて下さった。佛心は,万里を貫く一條の鉄の如く,途切れることのない永遠の真実故,その佛心に包まれた天地を堂々と生きて行けという老師の激励に違いない。良き師に恵まれ円覚寺で修行して本当に良かった。亡き老師に深謝し,今後も自他の佛心を信じて生きて行こうと思う。
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