有限会社 三九出版 - 《自由広場》  『平城遷都1300年祭に思う』


















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――《自由広場》――

        『平城遷都1300年祭に思う』

          岡本 崇(京都府木津川市)

 奈良平城宮跡は,完成したばかりの第一次大極殿を中心に盛り上がっています。5月9日に行われる天平行列には,聖武天皇と光明皇后のお供をして小生は貴族服を,2人の孫は幼児服を身に纏い参加します。聖武天皇は奈良時代84年間のうち25年間在位された方ですが,その間何度も遷都を繰り返し,遷都先で大仏造顕を発願されました。大極殿も木津川市に移転して戻したところが第二大極殿跡なのです。在位時代の8世紀は遣唐使等よりも遣新羅使が圧倒的に多く,その往来は35回を超えています。
 736年(光明皇后が仏具等を法隆寺に施入した年)の安倍継麻呂大使の時は,難波津→筑紫館→対馬→新羅へと向かっていますが,他の大使の時の渡航ルートは不明です。しかし,当時活躍していた新羅商人等は,対馬海流に乗って丹後半島や若狭湾あたりに上陸していたようです。8世紀末には,新羅から日本へ大量の難民が日本海沿岸に着岸するようになったとも云われています。飛鳥時代は,新羅→宮津→加古川→紀ノ川→五條市→飛鳥京ルートだったようですが,都が北上するに従って,窓口の港が小浜→敦賀へと移り,琵琶湖経由で京に来るルートに変わっていったようです。
 小生の故郷は奈良県西吉野町ですが,家の裏山が銀峯山(白銀岳)といって吉野三山の一つで銀岳と呼ばれています。山頂の波宝神社の脇には神宮寺がありましたが,そこにあったと患われる金銅仏(8世紀の統一新羅時代産)が3月に国の重要文化財に指定されました。廃仏毀釈や無住職時代には我家など村人が秘かに保管してきた小さくて愛おしい仏様です。神宮寺と拙宅の中間にある光明寺へ,住職として東京から村岡空氏一家が来られた折に,光明寺にこの仏様を戻したのですが,村岡氏がこの秘仏に脚光を当ててくれました。ソウルオリンピックの時でしたが,それから22年後,ようやく重文に指定されたわけです。長崎県対馬の海神神社にある,新羅の銅造如来立像は早くから重文指定を受けていましたが,それよりも小さくて美しいと思います。5月9日まで東京の国立博物館でお披落目をした後,5月11日から6月20日まで奈良国立博物館の「大遣唐使展 第6部 No.214如来立像」として展示されます。
 海神神社と言えば波宝神社の峰続きの山頂にも海神神社があります。どうしてこんな山奥に海の神様があるのでしょうか。ところで,この金銅仏は神功皇后が三韓征伐の帰路持ち帰った念持仏であると伝えられていましたが,時代的には4世紀も新しい仏であると認定された訳です。それでは一体誰がこの山奥に持ち込んだのでしょうか。
 我家には南無阿弥陀仏という文字で描かれた大黒天の絵像掛け軸があります。「補陀落院住歳六十才木食行者沙弥妙蓮」筆で,賛は「上宮寺八十六歳六十三夏比丘叡辨賛歌」となっており,「文政11年子年12月25日 銀峯山祐心義仙」という所持者の署名があります。天保5年(1834)の光明寺御影供帳に「11月入衆」「祐心義仙」とあり,「義仙」は僧侶のようです。しかし「義仙」は高貴の種による出生とも言われ,小さい時から叡辨によって育てられ,まだ20歳前(沙弥),加藤光幢のあとを追って銀峯山神宮寺に入山。それは文政6年であろうと考えられています。叡辨はこの弟子の為に三十六歌仙の絵額を入山記念品として,また文政9年には拝殿に神額を寄付しています。この大黒天絵像も山寺の食事に欠くことのないよう願っての施入れであったろうかと云われています。有楢川韶仁親王(天皇に次ぐ筆頭の宮家)がなぜこのような不便な山奥の神社を祈願所と決め,何度も参詣なされたのかという事も謎になっています。上宮寺比丘叡辨とは,天明7年(1787)に中宮寺の横にある法隆寺北室院の住持となった方です。高貴な謎の僧「祐心義仙」が,法隆寺か中宮寺にあったこの金銅仏とともに,叡辨瓣に守られて入山したのではなかろうかとも考えられます。
 ところで昨年11月,この銀峯山は「岸本信夫スケッチ紀行」としてネット掲載されている中に「西新子の柿畑」というタイトルで取り上げられました。岸本信夫さんは但馬の香美町出身です。また雑誌『月刊奈良』1月号に掲載(フォトコンテストに佳作入選)された小生の写真を高く評価してくださった選定者は井上博道さんという方で,同じ香美町出身だそうです。香美町といえば対馬海流が流れ来る,香住海岸のある所です。近くの豊岡市には出石神社があり,祭神の天日槍命(アメノヒボコ)は新羅の王子で八種の神宝を持って渡来し,但馬国に定住したと云われています。
 先日,書店に行ってたまたま最初に手に取った『隠れ仏たち』(発行元ピエ・ブックス)という本を見たら,何と井上博道さんの本でした。さらに驚いたのは,その本の中に「湯川阿弥陀堂 阿弥陀如来」という紹介記事があった事です。湯川と云えば五條市西吉野町の事で,小生の故郷,西新子とは同じ町内ではありませんか。
あれやこれやと,何か目に見えない不思議な縁(えにし)を感じる昨今です。
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