有限会社 三九出版 - 還暦盛春駆ける夢       源氏物語への挑戦


















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源氏物語への挑戦

松井 洋治(東京都府中市)

 近頃の若者は,とにかく本を読まない。そのせいか,論述式の試験を出すと,その解答文たるや,誤字脱字は言うに及ばず,「書き言葉」と「話し言葉」の区別が全くついていない。「〜である。だから…(従って…)」「〜である。だけど…(しかしながら…)」などは決して珍しい例ではない。
 携帯電話のメールで書く(親指で打ち込む?)のは「話し言葉」であって,「書き言葉」ではないと言い続けているのだが,本を読まないから,なかなか改まらない。
 そんな事情もあって,正月休み直前の授業で,女子大生たちに「この休み中に,最低1冊でいいから,何か本を読みなさい」と言った手前,非常勤講師の自分としても何かを読もうと考え,ふと思いついたのが「源氏物語」へのチャレンジである。
 大学受験の時に覚え(させられ?)た「いづれの御時にか、女御,更衣あまたさぶらひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが…」という書き出しと,登場人物の名前や,幾つかのエピソードを多少知っているだけで,実は69歳になる今日まで「源氏物語」は一度も読んだことがない。
 「世界初の長編小説」「日本文学の最高峰」などと,海外でもそれなりの高い評価を得ており,随分前のことだが,ペンクラブの国際大会で,日本代表の作家が,ある外国の会員から「帰国されたら,紫式部さんに宜しくお伝え下さい」と本気で頼まれたという話を聞いたこともある。
 従って,「源氏物語」へのチャレンジは,「長年の夢の実現」といえなくもないが,「外国でも評価の高い源氏物語を,日本人の一人として,一度も読んでいないのはまずいだろう」という,積年の自分へのプレッシャーから逃れたかったというのが本音である。4月中旬に,「終(つい)の栖(すみか)」と決めた駅近くのマンションへの引っ越しを終えてから8カ月,生まれて初めてのマンション住まいにもやっと慣れ,“長編小説読破へのチャレンジ”が,時間的にも精神的にも可能になったという生活環境変化の効果も手伝ってのことだ。
 原文で読み進めることは,もちろん無理のため,早速近くの図書館に行き,現代語訳を物色する。いささかけしからぬ選択基準だが,与謝野晶子,谷崎潤一郎,窪田空穂,円地文子,田辺聖子,橋本治,瀬戸内寂聴など多くの現代語訳の中でも,比較的短いからという理由で「円地文子訳,全三巻」に決め,借り出して来た。
いきなり読み始めた訳ではなく,9年前に「還暦記念」として思い切って求めた「源氏物語絵(え)詞(ことば)」(絵:石踊達哉,詞:瀬戸内寂聴,講談社刊,定価¥9,500.)を,ウオーミングアップ(?)のつもりで,まず広げてみる。しかし,これはあくまで「現代版・源氏物語絵巻」ともいうべき「画集」であり,寂聴のわずかの「詞」だけでは,「あらすじ」すら掴めない。覚悟を決めて「円地源氏」を読み始めたのだが,短いとはいえ,それでも大変なボリュームだ。
 そこで,「少しでも早く読み終えたい」との思いから考えついたのが,(今にして思えば,余りにも浅はかなことだったのだが)最近はやりの「速読術」の習得である。
 “急がば回れ”(?)とばかり,早速「速読術」の本を求め(図書館では,返却待ちの人が多数とのことにて,思い切って購入し),先ずそれを(自分なりの速読術で)読み終えてから,やっと「渡氏物語・速読作戦」を開始した。
 しかし,最初(第1帖)の「桐壷」を読み始めて早くも気付いたのが,「速読術」が役に立つのは,キーワードさえ見逃さなければそれなりに理解できる学術書やビジネス書だけであって,文学的なものは,その対象にならないし,また対象にすべきではないということである。たとえ「訳文」とはいえ,訳者が懸命に言葉を選びながら書いたものを,速読するのは失礼でもあるし,それよりも何よりも,言葉の美しさが全く味わえない。
 心を入れ替えて,「普通の速さ」で少しずつ読み進めてはいるが,今日(2010年12月10日)現在,まだやっと第13帖「明石」に入ったばかり。全部で54帖の「源氏物語」からすれば,3分の1にもならない。このペースでは,年内はもちろん,正月休み中に読破できるのかどうか,今のところ全く見当もつかない。というより,稀代のドンファン,今流に言えば「超イケメンのプレイボーイ」光源氏の話に,果たして,どこまで真面目に付き合えるのか,案外,残り41帖は「速読術」のお世話になろうかと,迷い始めている。
しかし「長年の夢の実現」に向けて,安易に妥協したり,近道を選ぶことに強く抵抗する自分もいる。
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