有限会社 三九出版 - 自由広場 奥州平泉藤原文化         中尊寺等の世界遺産登録について


















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自由広場 奥州平泉藤原文化     中尊寺等の世界遺産登録について

                              柳澤 惇(千葉県市jl怖)

 日本史のメジャーな部分は西での出来事ですが,東の奥州平泉藤原文化は昨年,「平泉一一浄土思想を基調とする文化的背景」として「ユネスコ世界遺産」、に登録申醸されました。残念ながら時期尚早として見送られましたが,どうも浄土思想による平和への廠いを英語で説明するのに苦労したようです。
 これは今を去る約900年前の陸奥,「前九年,後三年の役」といわれた長い戦乱が漸く終わりを告げた時,初代藤原清衡公が,これから陸奥を平定するのは武力をもってするのではなく平和思想をもって治めると決心をしたのが,平泉藤原文化の始まりです。清衡公の敵味方関係なく死者の霊を弔う思いが「.中尊寺建立供養願文」に残っております。四代泰衡の時,源頼朝に滅ぼされ,構築物等の遺跡は殆ど残っておらず,約100年に及んだ平泉藤原文化は終焉しました。
 我々少なくとも戦後にもの心ついた者にとって子供時代は,中尊寺や毛越寺といっても今ほど全く有名ではなく,中尊寺の藤原氏三代のミイラ(今はご遺体と言うそうです)調査,今東光氏の住職就任,NHKの確か第7回大河ドラマ「源義経」で平泉はやっと全国的に知られるようになった,というのが率直な実感です。またlやまびこ」「はやて」等の東北新幹線に乗られた方ならご記憶にあると思いますが,JR東日本の車内誌「トランヴェール」で随分と北東北の観光資源発施 宣伝を兼ねてこの地域の歴史をかなり詳しく特集していたのを覚えておられる方もいると思います。勿論別途,日本史で11〜12世紀の中央朝廷軍・鎌倉勢との攻防に続く義経終蔦の地としてや国文学で松尾芭蕉の「奥の細道」等で平泉中尊寺を小生も学んではおりましたが。
 いずれにしても我が故郷一関の近傍で,今かくも評価される歴史的に誠に貴重で京都に匹敵する文化圏が繁栄していたというのは驚きであると同時に,率直に言って地元出身の小生ですら故郷在住時はなかなか信じられませんでした。
 そんな折,確か平成21年の2月頃だったと思いますが,NHK松平定知アナ担当の「その時歴史は動いた」を小生は見ました。時代考証が進んだこととコンピューターグラフィックスの技術を駆使して当時の平泉京を再現していました。しかし,昭和30年代頃まで見続けてきた小生にとってはやはり,本当にこんな素晴らしい文化圏があったのか,という感じはそれを見た時もしております。番組の最後に恐らく一枚しか残っていない見飽きた頼朝像を出しながら,‘かくして奥州藤原氏4代に亘る平泉文化は頼朝によって滅亡されたのであります”がエンディングナレイションでした。その時小生は“頼朝め,お前,平泉文化になんちゅうことをしてけつかる”と息いました。発端は所詮,兄に反抗した訳でもない義経との兄弟喧嘩で藤原氏が義経を匿ったことだと思いますが,これから成立する鎌倉幕府を磐石にするためには不穏要素を抹殺しておくのが当時の武家政治の常道だったのでしょう。
 平成20年のことです。平泉文化が生んだ100年の平和思想を見つめ直し,世界遺産登録を廠って中央に発信していくべく,地元は市民ミュージカルを立ち上げました。
 そして平成21年2月,この強い思いを観て,聞いて,演じて楽しく,そして心に刻まれる舞台劇として昇華させた「ミュージカル・平泉」を東京でも公演したいとの地元からの強い要望がありました。小生,偶々在京の高校同窓会の会長を仰せつかっており,他の各在京の故郷会と協力して東京公演にこぎつけたのです。公演日は平成21年8月23日(日),会場は豊島公会堂で,結構暑い日でしたが,13:30開場なのに11時頃から公会堂の周りに列が出来て,来て頂いた方の万一のご体調の変化に備える準備もしていたものの内心吃驚しました。
 市民ミュージカルの作・演出は元劇団「四季」所属の初期のキャッツの演出を手がけ,浅利慶太にものを言える数少ない演出家の方が中心となり,キャストは公募で応募した地元の人達で,市民ミュージカルとして素晴らしい舞台に仕上がっておりました。故郷を患う人達(最高齢者は90歳4名)を中心に会場が満員になっただけでなく,故郷思いの熱気で舞台を盛り上げていました。勿論,故郷出身でない多勢の人達にも見て頂き,陸奥の歴史の一助に想いを馳せて頂いたことは嬉しい限りでした。
 私たちの協力の主眼点はチケットを売り捌くことでしたが,結果,売り切りました。
 そして埼員になったのですから,足を運び是非観たいという人達に買って頂いた訳で私達は本当にホッとしました。
 さて,このような努力にもかかわらず冒頭で述べましたように廠いは叶いませんでした。しかし小生にとっては,あらためて故郷に熱い想いを馳せたひと夏でした。


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