有限会社 三九出版 - MiniミニJIBUNSHI         四十年前の級友


















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               四十年前の級友

                      橋本 克絋(神奈川県大和市)

 室蘭工業大学では化学工学を学んだ。学科の学年定員が40名なので通常使用する講義室は小さかった。そのため,講義に遅刻すると空いている前方の席に着かざるを得ない。度々遅刻した私の席は最前列の,教授の右手前直前に決まってしまった。授業が開始されてから15分位経った頃遅れて入室し,その指定席に着くことが多かったが,熱心に講義を聴いていた。質問も多くした。しかし,興味の湧かない講義には居眠りが先行した。そんなある時,ある教授から「橋本君,寝ても良いけど軒をかくな」と注意された。
 専門必修科目に4単位の工業化学があった。当時は日本語の教科書に良いものがなかったのだと患う。主な専門科目では英語で著わされた原書が教科書に使われた。工業化学の教科書も約1000ページの原書だった。上期と下期に各1回試験があり,英文500ページが丸ごと1回の試験範囲となった。試験勉強をしっかりやらないとパスする訳がない。しかし,試験勉強などしなかった。仕方なく前夜に賭けた。ところが,前夜は眠ってしまった。一夜漬けの勉強さえしなかったのである。このままでは絶対に不合格だ。
 一計を案じた。試験場には試験開始後30分後までは入室できるルールだった。その30分間,図書館で試験勉強をすることにした。原書500ページ全般に亘って目を通し,何が最も重要か追求することに専念した。集中すると不息議な力が湧いてくるものでポイントが見えてきた。そのポイントはアゾ染料だった。アゾ染料のセクションを必死に読んで試験場に飛び込み,恐る恐る試験用紙を見ると,何とアゾ染料に関する設問が出題されているではないか。俄か記憶が薄れないうちにと,慌てて答案用紙を埋め,定刻より20分早く退室した。ホッと安堵したが,たった30分間の俄か勉強では70点しか取れなかった。何より,こんな付け焼刃では折角覚えたことの殆どを直ぐに忘れてしまうという現実を思い知らされた。
 私の授業態度はこのように褒められるものではなかった。私とは正反対に丹念にノートを取っていた優等生が同じクラスにいた。彼の大学4年間の成績は良が1つ,あとは全部優だった。1968年4月,彼は卒業と同時に大手の酸素会社に入社した。当時,最大手の銑鋼一貫メーカーが福山に製鉄所を建設している最中で,彼はその酸素工場を設計した。そして,入社して4ケ月も経たない時にその仕事で福山に出張した。仕事熱心な彼は,福山に到着するや,昼休み中にもかかわらず現場に直行し,設計図に照らして進捗状況をチェックしていた。そこへタンクローリーがバックしてきて,彼は背後から轢かれ即死してしまった。運転者は昼休みなので誰もいないと思ったらしい。昼休みでなかったら,誰か周囲にいた筈で危険を伝えてくれたに違いない。何とも悔しい出来ごとだった。
 大学では「母親1人に育てられ,苦労をかけて来た。早く働いて楽をさせたい」と口癖のように話していた。それなのに。東京駅に彼を迎えに行ったが,母君が遺骨を胸に抱いて新幹線から悄然と降りてきた姿は40年以上経った今でも忘れられない。
 さて,その彼との大学での思い出である。彼と私はクラス委員をさせられていた。推計学の試験が難しく40名のクラスで数名しかパスしなかった。私はパスしたが,どうしたことか,優等生の彼はパスしなかった。事態は深刻だった。クラス委員が追試を頼むことになった。私はパスしていたし,クラス委員の役割でもないと考えていたので腑に落ちなかったが,彼に頼まれて同行することにした。
「良かろう。追試をしよう。ただし,追試をパスすれば正規の試験をパスしたのと同じことになるのだから,勉強する時間が正規の試験より多くなる追試の問題は,当然,正規の試験より難しくなる。それと,追試は私の仕事以外のことだから,勤務時間外に,そうだな,土曜日の1時からにするがいいね。」 怖い数学の教授だけに,誠に筋が通っていて納得できた。
 「どうぞよろしくお願いいたします」と早々に退室すれば良かったものを,優等生の彼が何を思ったか,「先生,今度の追試に落ちたら,次は何時追試をしていただけますか?」と聞いてしまった。「何?まだ受けていないうちから次の追試を心配するのかね。とんでもない。今度の追試は手を抜く積りかね。君,名前を何と言うんだ?」と立腹された。それから延々と約20分,お説教を一緒に伺って,這這の体で教授室から退散した。私まで叱られる道理はなく,貧乏籤を引かされた結果となった。
 存命だったなら,その後,どんな貧乏籤を引かせてくれていたのだろうか。こんな40年前の級友にどんなに遭いたくてもそれは叶わない。
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