自由広場
宇治の文学碑を歩く( その3)
岡本 崇(京都府木津川市)
2019年4月28日,小西先生の著書を持って,13日振りに2回目の宇治の文学碑探訪に出かける。JR宇治駅から歩いて京阪宇治駅へ行き,坂東史朗氏と11時に合流。 私は,以下に記載の7句(小西亘先生の著書『宇治の文学碑を歩く』P.6,12,16,31,33,36,40)を読みながら歩いた。
● 橋寺に いしぶみ見れば宇治川や 大きいにしへは河超えかねき
宇治橋から右岸の朝霧通りを上流に向かい,真言律宗の放生院(橋寺)に入る。三基の文学碑があるが,これは上田三四二の歌碑。橋寺にある宇治橋断碑を見ての思いを詠んだ歌。「橋寺で宇治橋断碑を見ると、宇治川の大昔は川を渡ることが困難だったのだなあ」と小西先生は訳されている。昭和57年の宮中歌会始に詠進された作。
*宇治橋断碑…重要文化財。 日本で最も古い石碑。宇治川に橋を架けた由来を記す。
●木がくれて 茶摘みもきくや 時鳥
芭蕉の句。放生院(橋寺)にある。「宇治の茶畑の上を時鳥が鳴きながら飛び去った。こんもり茂った茶の木に隠れて姿の見えない茶摘み女達も、今の一声を聞いただろう」
元禄7年4月に江戸の芭蕉庵で詠まれた句とか。芭蕉はこの5月に江戸を出発し,7月に伊賀上野に帰省,9月に大阪で客死している。芭蕉庵と言えば深川だが,文京区関口には関口芭蕉庵(死ぬ14年前まで4年間住む)がある。ここは私が住んでいた文京区のマンションの近くだった。芭蕉が客死した所は,私が伊藤忠商事㈱に勤務していた頃に大阪本社があった場所の道路向こう側の宿であった。金沢市の北國ビル(此処にあった金沢支店にも勤務経験あり)は,芭蕉が宿泊した旅籠の跡地に建っている。
●宇治山に 川霧のぼる 良夜かな
矢野秋色の句。放生院(橋寺)にある。矢野はホトトギスの俳人に師事した俳人。平成10年寂。季語は川霧で秋。「宇治川の川霧が宇治山に迄のぼる、奥深く清らかな、いかにも宇治の夜らしい、よき夜の趣が詠まれている。」宇治の川霧は平安時代後期から多く詠まれる。宇治山は特定の山ではなく,周辺の総称であろう。 川辺りの「櫟(くぬぎ)」という茶そば屋で昼食。樹齢300年の櫟の木が横にある。
● 宇治川は 淀瀬なからし 網代人 舟呼ばふ声 をちこち聞こゆ
万葉集。詠み人知らず。宇治神社よりやや上流の川岸にある。「宇治川には流れの緩やかな浅瀬が無いらしい。網代で働く人々の、舟を呼んでいる声が、あちらこちらで聞こえることよ。」 燕の餌になるというトビケラが沢山飛んでいた。
● 何釣ると 言えばもろこと いふ子らに 宇治塔の島 日はまだ暮れず
田中順二。平成9年寂の国文学者。同志社女子大学,奈良大学教授。碑は朝霧通りを上流に歩いて観流橋の手前の山田緑地にある。モロコ=コイ科の淡水魚の総称。
● 琴坂を 登れば風の 薫りけり
叢居という作者は不祥。興聖寺への登り口にある。興聖寺へ上る200mの坂道の横を流れる小川の音が,琴の音のように響く。風薫るは夏の季語。さわやかな風が吹きわたってきたときの心地よさを表現している。興聖寺へ行くとフランスの修行僧が降りて来た。着物を着た美人と家族が入れ替わり立ち代わりカートに乗って出入りしている。
● 秋風の 山吹の瀬に とよむなべ 天雲かける 雁にあへるかも
万葉集。旅館亀石楼を過ぎて,細い道の突き当り手前の山吹橋の側面にある。宇治を行く旅人によって詠まれた歌で,宇治川河畔を行くときに雁を目にした詠嘆を詠んだ歌。山吹の瀬は地名らしいが不祥。「とよむ」は「鳴り響く」。「なべ」は「…と同時に」。宇治の市花は山吹。山吹橋は京阪宇治駅から2.4km程あり,志津川を跨ぐ橋。
京阪宇治駅近くまで戻って「つばめ屋」で,にしん蕎麦などで夕食と一杯。「大道透長安」(だいどうちょうあんにとおる)という額が掛かっていた。中国唐代末期に活躍した禅師の言葉。「全ての道が都に通じている」ここでは長安とは悟りの世界。日常卑近な所に「道」はある。「悟りに至る道は、今あなたが立っている足元にある道」。
宇治は大阪や京都に近いためか,夕食をする観光客が少なく,飲食店も少ない。夜8時前になると閑散としている。坂東氏は京阪,私はJR宇治駅へ。 (続く)
宇治の文学碑を歩く( その3)
岡本 崇(京都府木津川市)
2019年4月28日,小西先生の著書を持って,13日振りに2回目の宇治の文学碑探訪に出かける。JR宇治駅から歩いて京阪宇治駅へ行き,坂東史朗氏と11時に合流。 私は,以下に記載の7句(小西亘先生の著書『宇治の文学碑を歩く』P.6,12,16,31,33,36,40)を読みながら歩いた。
● 橋寺に いしぶみ見れば宇治川や 大きいにしへは河超えかねき
宇治橋から右岸の朝霧通りを上流に向かい,真言律宗の放生院(橋寺)に入る。三基の文学碑があるが,これは上田三四二の歌碑。橋寺にある宇治橋断碑を見ての思いを詠んだ歌。「橋寺で宇治橋断碑を見ると、宇治川の大昔は川を渡ることが困難だったのだなあ」と小西先生は訳されている。昭和57年の宮中歌会始に詠進された作。
*宇治橋断碑…重要文化財。 日本で最も古い石碑。宇治川に橋を架けた由来を記す。
●木がくれて 茶摘みもきくや 時鳥
芭蕉の句。放生院(橋寺)にある。「宇治の茶畑の上を時鳥が鳴きながら飛び去った。こんもり茂った茶の木に隠れて姿の見えない茶摘み女達も、今の一声を聞いただろう」
元禄7年4月に江戸の芭蕉庵で詠まれた句とか。芭蕉はこの5月に江戸を出発し,7月に伊賀上野に帰省,9月に大阪で客死している。芭蕉庵と言えば深川だが,文京区関口には関口芭蕉庵(死ぬ14年前まで4年間住む)がある。ここは私が住んでいた文京区のマンションの近くだった。芭蕉が客死した所は,私が伊藤忠商事㈱に勤務していた頃に大阪本社があった場所の道路向こう側の宿であった。金沢市の北國ビル(此処にあった金沢支店にも勤務経験あり)は,芭蕉が宿泊した旅籠の跡地に建っている。
●宇治山に 川霧のぼる 良夜かな
矢野秋色の句。放生院(橋寺)にある。矢野はホトトギスの俳人に師事した俳人。平成10年寂。季語は川霧で秋。「宇治川の川霧が宇治山に迄のぼる、奥深く清らかな、いかにも宇治の夜らしい、よき夜の趣が詠まれている。」宇治の川霧は平安時代後期から多く詠まれる。宇治山は特定の山ではなく,周辺の総称であろう。 川辺りの「櫟(くぬぎ)」という茶そば屋で昼食。樹齢300年の櫟の木が横にある。
● 宇治川は 淀瀬なからし 網代人 舟呼ばふ声 をちこち聞こゆ
万葉集。詠み人知らず。宇治神社よりやや上流の川岸にある。「宇治川には流れの緩やかな浅瀬が無いらしい。網代で働く人々の、舟を呼んでいる声が、あちらこちらで聞こえることよ。」 燕の餌になるというトビケラが沢山飛んでいた。
● 何釣ると 言えばもろこと いふ子らに 宇治塔の島 日はまだ暮れず
田中順二。平成9年寂の国文学者。同志社女子大学,奈良大学教授。碑は朝霧通りを上流に歩いて観流橋の手前の山田緑地にある。モロコ=コイ科の淡水魚の総称。
● 琴坂を 登れば風の 薫りけり
叢居という作者は不祥。興聖寺への登り口にある。興聖寺へ上る200mの坂道の横を流れる小川の音が,琴の音のように響く。風薫るは夏の季語。さわやかな風が吹きわたってきたときの心地よさを表現している。興聖寺へ行くとフランスの修行僧が降りて来た。着物を着た美人と家族が入れ替わり立ち代わりカートに乗って出入りしている。
● 秋風の 山吹の瀬に とよむなべ 天雲かける 雁にあへるかも
万葉集。旅館亀石楼を過ぎて,細い道の突き当り手前の山吹橋の側面にある。宇治を行く旅人によって詠まれた歌で,宇治川河畔を行くときに雁を目にした詠嘆を詠んだ歌。山吹の瀬は地名らしいが不祥。「とよむ」は「鳴り響く」。「なべ」は「…と同時に」。宇治の市花は山吹。山吹橋は京阪宇治駅から2.4km程あり,志津川を跨ぐ橋。
京阪宇治駅近くまで戻って「つばめ屋」で,にしん蕎麦などで夕食と一杯。「大道透長安」(だいどうちょうあんにとおる)という額が掛かっていた。中国唐代末期に活躍した禅師の言葉。「全ての道が都に通じている」ここでは長安とは悟りの世界。日常卑近な所に「道」はある。「悟りに至る道は、今あなたが立っている足元にある道」。
宇治は大阪や京都に近いためか,夕食をする観光客が少なく,飲食店も少ない。夜8時前になると閑散としている。坂東氏は京阪,私はJR宇治駅へ。 (続く)
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