好齢女(こうれいじょ)盛(せい) もの語る
○ 埴谷・島尾文学資料館を訪ねて ○
文学資料館という箱物
水澤 葉子(福島県福島市)
福島県南相馬市小高区に埴谷・島尾記念文学資料館がある。2000年に「文化の里づくり」という計画のもと,文化施設である浮舟文化会館内に開館された。埴谷雄高も島尾敏雄もともに本籍が小高にあるという。二人の交際は家族ぐるみであった。
開館された2000年にはたまたま埴谷雄高の『死霊』を,仲間数人で読み始めていたこともあり,当時の居住地山形市から仲間の運転する車で訪ねて行った。細部の記憶は朧(おぼろ)だが,段ボール箱が未開のまま通路のあちこちに置かれていたこと,担当職員が大学から直行のごときフレッシュマンだったことが印象に残っている。
あれから21年。歳月はいろいろな事象をあぶり出すものである。記すべきは2011・3・11の東日本大震災が筆頭であろう。災害を受けて休館となり,再開は5年4カ月後の2016年の7月だった。文学資料館の運営は,美術館なども同じだろうが,大衆受けなくして維持管理は難しいのかもしれない。5年余り閉館されたことによって実際に困った人が何人いただろうと考えさせられた。
再開館記念行事として『小高から未来へ――島尾敏雄のふるさとを巡る』を開催。講演の講師として若松丈太郎氏,島尾伸三氏,梯久美子氏を依頼している。これは,どこにチラシを置いてくれたか私は網の張り方を知らず後の資料による知識である。翌2017年には『没後20年 埴谷雄高展』および記念講演として《埴谷雄高『死霊』をどう読むか》立石 伯氏を講師に開催している。これは埴谷教を吹聴している私にメールをくれた知人がいて聴講することができた。講演会を聴講することが特別なラッキー感を伴う……何か妙な気がした。情報がもう少し普遍的に,たとえば県立図書館にチラシを配置するなどの配慮はあっただろうかと思った。
主宰者はやるべきことを年度行事としてやっているのかもしれないが,どの辺までが広報範囲なのだろう。まさか10人参加でも100人参加でも開催行事が記録資料として残ればなんてことはありえないとしても,マイナーな,もしくは取っ付きにくい作家の場合と,出版前に予約が何万という売れ筋の作家とでは,前者のほうが広報のしかたに一段の工夫と熱意が要求されるのではないだろうか。
私が知る知らぬは論外にして,文化事業を根付かせることの難しさは,再開館後に ―8― [好齢女盛もの語る] 数度訪問してみて肌で感じる度合いが増えている。以下は今年の体験である。
2月19日,埴谷雄高のアンドロメダ忌に記念館へ出かけた。去年も一昨年も何のイベントにも出会っていない。だからどんな期待もないのだけれど,命日と思うと行かない自分に苛だちが生じるからで,行ったからどうではないのに,足が高速バス停へと自然に向かってしまう。贔屓の引き倒しが頭をよぎる。
閑話休題。今回は失望などという表現も当てはまらない,言えば「びっくり」の感覚を抱いて小高を後にしたのである。何かあったの? なぁんだ,と言われそうなのだが,窓口担当者が埴谷雄高なる固有名詞に関心を示してはくれなかった。たまたまのタイミングで,訪館の二日前,朝日新聞夕刊に,福島市で今やっている《埴谷雄高『死霊』を読む会》が仲間たちの写真入りで掲載された。難解の二文字で括られるマイナーな作品を,年齢層の幅ある女性グループで読んでいるのが珍しかったらしい。
誰彼れとする話題ではないけれど,私にすれば,命日の話題とするにグッドタイミングの情報かと,ここ埴谷記念館の受付嬢の前に差し出したわけである。A3の新聞コピーには埴谷雄高の写真もそれなりの大きさに載っていた。私が「アラ」とか「まあ」とかの反応を期待しなかったわけはない。しかし,手にとってはもらえなかったのである。借りたい本ではなく,A3判の新聞が何で目の前に出されているのか,彼女は私と新聞を交互に見たが,それ以上の反応は示さなかった。おしゃべりのこの私が「今日は命日ですね」との言わずもがなさえ発声できなかったのである。自分はどこにいるのだろうと,つい周囲を見回した。
窓口担当者は来館者が借りたいと窓口に出した書籍を貸し出す手続きをするのが業務である。看板の作家への興味の有無は確かに別の話だとは思う。受付に突然新聞を出した老女は,何を求めて来館したのか,彼女の方こそ知りたかったかもしれない。
しかしである。今現在は,コロナ禍で断っていられるが,埴谷・島尾文学記念館に行きたいという東京や横浜の埴谷愛読者との繋がりもできている。県内とはいっても80キロほどある案内だから,がっかりさせるための役割はしたくないし,なによりも埴谷・島尾両作家のために悲しすぎると思う。資料館の現状とは何処もこんな箱物維持状況なのであろうかと,今年はむなしさと二人連れの帰路であった。 (2021/4/30)
○ 埴谷・島尾文学資料館を訪ねて ○
文学資料館という箱物
水澤 葉子(福島県福島市)
福島県南相馬市小高区に埴谷・島尾記念文学資料館がある。2000年に「文化の里づくり」という計画のもと,文化施設である浮舟文化会館内に開館された。埴谷雄高も島尾敏雄もともに本籍が小高にあるという。二人の交際は家族ぐるみであった。
開館された2000年にはたまたま埴谷雄高の『死霊』を,仲間数人で読み始めていたこともあり,当時の居住地山形市から仲間の運転する車で訪ねて行った。細部の記憶は朧(おぼろ)だが,段ボール箱が未開のまま通路のあちこちに置かれていたこと,担当職員が大学から直行のごときフレッシュマンだったことが印象に残っている。
あれから21年。歳月はいろいろな事象をあぶり出すものである。記すべきは2011・3・11の東日本大震災が筆頭であろう。災害を受けて休館となり,再開は5年4カ月後の2016年の7月だった。文学資料館の運営は,美術館なども同じだろうが,大衆受けなくして維持管理は難しいのかもしれない。5年余り閉館されたことによって実際に困った人が何人いただろうと考えさせられた。
再開館記念行事として『小高から未来へ――島尾敏雄のふるさとを巡る』を開催。講演の講師として若松丈太郎氏,島尾伸三氏,梯久美子氏を依頼している。これは,どこにチラシを置いてくれたか私は網の張り方を知らず後の資料による知識である。翌2017年には『没後20年 埴谷雄高展』および記念講演として《埴谷雄高『死霊』をどう読むか》立石 伯氏を講師に開催している。これは埴谷教を吹聴している私にメールをくれた知人がいて聴講することができた。講演会を聴講することが特別なラッキー感を伴う……何か妙な気がした。情報がもう少し普遍的に,たとえば県立図書館にチラシを配置するなどの配慮はあっただろうかと思った。
主宰者はやるべきことを年度行事としてやっているのかもしれないが,どの辺までが広報範囲なのだろう。まさか10人参加でも100人参加でも開催行事が記録資料として残ればなんてことはありえないとしても,マイナーな,もしくは取っ付きにくい作家の場合と,出版前に予約が何万という売れ筋の作家とでは,前者のほうが広報のしかたに一段の工夫と熱意が要求されるのではないだろうか。
私が知る知らぬは論外にして,文化事業を根付かせることの難しさは,再開館後に ―8― [好齢女盛もの語る] 数度訪問してみて肌で感じる度合いが増えている。以下は今年の体験である。
2月19日,埴谷雄高のアンドロメダ忌に記念館へ出かけた。去年も一昨年も何のイベントにも出会っていない。だからどんな期待もないのだけれど,命日と思うと行かない自分に苛だちが生じるからで,行ったからどうではないのに,足が高速バス停へと自然に向かってしまう。贔屓の引き倒しが頭をよぎる。
閑話休題。今回は失望などという表現も当てはまらない,言えば「びっくり」の感覚を抱いて小高を後にしたのである。何かあったの? なぁんだ,と言われそうなのだが,窓口担当者が埴谷雄高なる固有名詞に関心を示してはくれなかった。たまたまのタイミングで,訪館の二日前,朝日新聞夕刊に,福島市で今やっている《埴谷雄高『死霊』を読む会》が仲間たちの写真入りで掲載された。難解の二文字で括られるマイナーな作品を,年齢層の幅ある女性グループで読んでいるのが珍しかったらしい。
誰彼れとする話題ではないけれど,私にすれば,命日の話題とするにグッドタイミングの情報かと,ここ埴谷記念館の受付嬢の前に差し出したわけである。A3の新聞コピーには埴谷雄高の写真もそれなりの大きさに載っていた。私が「アラ」とか「まあ」とかの反応を期待しなかったわけはない。しかし,手にとってはもらえなかったのである。借りたい本ではなく,A3判の新聞が何で目の前に出されているのか,彼女は私と新聞を交互に見たが,それ以上の反応は示さなかった。おしゃべりのこの私が「今日は命日ですね」との言わずもがなさえ発声できなかったのである。自分はどこにいるのだろうと,つい周囲を見回した。
窓口担当者は来館者が借りたいと窓口に出した書籍を貸し出す手続きをするのが業務である。看板の作家への興味の有無は確かに別の話だとは思う。受付に突然新聞を出した老女は,何を求めて来館したのか,彼女の方こそ知りたかったかもしれない。
しかしである。今現在は,コロナ禍で断っていられるが,埴谷・島尾文学記念館に行きたいという東京や横浜の埴谷愛読者との繋がりもできている。県内とはいっても80キロほどある案内だから,がっかりさせるための役割はしたくないし,なによりも埴谷・島尾両作家のために悲しすぎると思う。資料館の現状とは何処もこんな箱物維持状況なのであろうかと,今年はむなしさと二人連れの帰路であった。 (2021/4/30)
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