「日本語」って不思議な言葉ですね!(その12)
松井 洋治(東京都府中市)
2020年(令和2年)の「新語・流行語大賞」には、新型コロナウイルスの感染リスクが高まるとされる「3密」(密閉、密集、密接)が選ばれた。その後、「5小」<5つの小(こ)(会食は「小(少)人数」で、「小一時間」で切り上げ、しかも「小声」で、「小皿」に取り分け、「小まめ(な換気)」を」)>と都知事が訴えていた。都知事の本心は「5つ」ではなく「6つの小」で、6つ目は「小池もお忘れなく!」だったのでは?…などと不謹慎なことを思ってしまったが、「3密」「5小」のように、「数字を頭につけるだけで、色々なことをまとめて表現できる」という日本語の面白さを、改めて感じた次第である。
そこで今回は、「数字」と日本語の関係について、少し考えてみたい。手始めとして、数字を使った「四文字熟語」に注目してみよう。
数字であるからには「一から」だが、「一」だけで今回の割り当て紙面が終わる可能性もあるため、「四文字熟語」でも「四文字の中に、一つではなく複数の数字が入ったもの」に限定して、順に見て行くことにする。
ほとんどの熟語が、その読みも意味もご存じの方が多いに違いないが、「*」を付けたものだけは、余り使われないこともあり、(註)として、「読み方と意味」を記載させて戴きたい。 「一朝一夕、一喜一憂、一期一会、一進一退、一石二鳥、一日千秋、一攫千金、一騎当千、一望千里」、「二束三文、二人三脚」、「三位一体、再三再四、三寒四温、三拝九拝、三十六計、三千世界」、「四角四面、四捨五入、四書五経、四苦八苦」、「五臓六腑、五風十雨(*)」、「六菖十菊(*)」、「七転八起、七顛(七転)八倒」、「八面六臂、八紘一宇」、「九死一生、九牛一毛(*)」、「十人十色、十年一日」、「百聞一見、百発百中」、「千客万来、海千山千、千差万別、千変万化」、「万死一生」 「複数の数字を含む」ことにこだわっただけでも、「一」から「万」までで、以上39の四文字熟語が並んだ。お約束通り「註」をご一読戴いてから、次に進みたい。 (註)*五風十雨(ごふうじゅうう)…風は五日に一度、雨は十日一度と、天候が 極めて順調に推移しており、「豊作の兆し」があることから、転じて、世の中が平 和な様子をいう。
*六菖十菊(ろくしょうじっきく、りくしょうじゅうぎく・六日の菖蒲(あやめ)十日の菊)…端午の節句の翌日に菖蒲が、菊の節句の翌日に菊の花が届いても使いようがない。時期を逸しては何の役にも立たない。
*九牛一毛(きゅうぎゅういちもう)…九頭の牛の毛の中の僅か一本。つまり、大量の中のほんの一部、物の数にもならない。
「四文字熟語」には中国から伝わる言葉も多いが、既に日本語として定着している。
次は「物の数え方と日本語」についてである。学問的には「数量呼称」とか「助数 詞」とかいうらしいが、要は「一個、二本、三枚」等、「数字に付けて物の種類を表わす接尾語」つまり「数え方」である。とにかく思いつくままに列記してみよう。 「花=一本・一輪、豆腐=一丁、こんにゃく=一枚、寿司=一貫、うどん=一玉、鯨=一頭、魚=一匹・一尾、いか=一杯、鳥=一羽、牛馬・動物一般=一頭・一匹、う さぎ=一羽、俳句=一句、和歌=一首、歌=一曲、謡=一番、詩=一篇、舞=一手・一差し、笛=一本・一管、琴=一張・一面、三味線=一棹・一挺、ピアノ=一台、バイオリン=一挺、椅子=一脚、たんす=一棹、鏡=一面、鏡台=一基、櫛=一枚、電燈=一灯、囲碁・将棋=一番・一局」と、まだまだきりがないが、この辺で。
最後に、最近気づいたばかりの「桜の花の数え方」の違いをお伝えさせて戴こう。 日本の国花「桜の花」には、他の花とは比べものにならないほど「開花する前から散るまで」色々な数え方があるようだ。順番に、蕾(つぼみ)は「一個・二個」、ほころび始めた(これも素敵な日本語ですね)花は「一輪・二輪」、数輪がまとまっている「花房」は「一房・二房」、花びらは「一枚・二枚」、そしてそれが舞い散り始めると「一片(ひとひら)、二片」という。外国で、これほど一つの花の状態を「呼び分ける」例があるとは思えない。かなり昔の話で恐縮だが、ある桜の名所のパンフレットに「万朶(ばんだ)の花」という表現があり「朶」(だ)という字について調べたことがある。
「朶」は、音読みが「ダ」で、訓読みは「えだ」であり、「しなだれる意の垂れるから来ている」とのことで、「枝が垂れ下がる」状態を表わす字であるが、これを「枝垂れる」と表現し、「枝垂れ桜」は誰もが知っている。桜の木の下で、一献傾けられる日が待ち遠しい。それにしても、本当に日本語って、理屈抜きで素晴らしいですね。
松井 洋治(東京都府中市)
2020年(令和2年)の「新語・流行語大賞」には、新型コロナウイルスの感染リスクが高まるとされる「3密」(密閉、密集、密接)が選ばれた。その後、「5小」<5つの小(こ)(会食は「小(少)人数」で、「小一時間」で切り上げ、しかも「小声」で、「小皿」に取り分け、「小まめ(な換気)」を」)>と都知事が訴えていた。都知事の本心は「5つ」ではなく「6つの小」で、6つ目は「小池もお忘れなく!」だったのでは?…などと不謹慎なことを思ってしまったが、「3密」「5小」のように、「数字を頭につけるだけで、色々なことをまとめて表現できる」という日本語の面白さを、改めて感じた次第である。
そこで今回は、「数字」と日本語の関係について、少し考えてみたい。手始めとして、数字を使った「四文字熟語」に注目してみよう。
数字であるからには「一から」だが、「一」だけで今回の割り当て紙面が終わる可能性もあるため、「四文字熟語」でも「四文字の中に、一つではなく複数の数字が入ったもの」に限定して、順に見て行くことにする。
ほとんどの熟語が、その読みも意味もご存じの方が多いに違いないが、「*」を付けたものだけは、余り使われないこともあり、(註)として、「読み方と意味」を記載させて戴きたい。 「一朝一夕、一喜一憂、一期一会、一進一退、一石二鳥、一日千秋、一攫千金、一騎当千、一望千里」、「二束三文、二人三脚」、「三位一体、再三再四、三寒四温、三拝九拝、三十六計、三千世界」、「四角四面、四捨五入、四書五経、四苦八苦」、「五臓六腑、五風十雨(*)」、「六菖十菊(*)」、「七転八起、七顛(七転)八倒」、「八面六臂、八紘一宇」、「九死一生、九牛一毛(*)」、「十人十色、十年一日」、「百聞一見、百発百中」、「千客万来、海千山千、千差万別、千変万化」、「万死一生」 「複数の数字を含む」ことにこだわっただけでも、「一」から「万」までで、以上39の四文字熟語が並んだ。お約束通り「註」をご一読戴いてから、次に進みたい。 (註)*五風十雨(ごふうじゅうう)…風は五日に一度、雨は十日一度と、天候が 極めて順調に推移しており、「豊作の兆し」があることから、転じて、世の中が平 和な様子をいう。
*六菖十菊(ろくしょうじっきく、りくしょうじゅうぎく・六日の菖蒲(あやめ)十日の菊)…端午の節句の翌日に菖蒲が、菊の節句の翌日に菊の花が届いても使いようがない。時期を逸しては何の役にも立たない。
*九牛一毛(きゅうぎゅういちもう)…九頭の牛の毛の中の僅か一本。つまり、大量の中のほんの一部、物の数にもならない。
「四文字熟語」には中国から伝わる言葉も多いが、既に日本語として定着している。
次は「物の数え方と日本語」についてである。学問的には「数量呼称」とか「助数 詞」とかいうらしいが、要は「一個、二本、三枚」等、「数字に付けて物の種類を表わす接尾語」つまり「数え方」である。とにかく思いつくままに列記してみよう。 「花=一本・一輪、豆腐=一丁、こんにゃく=一枚、寿司=一貫、うどん=一玉、鯨=一頭、魚=一匹・一尾、いか=一杯、鳥=一羽、牛馬・動物一般=一頭・一匹、う さぎ=一羽、俳句=一句、和歌=一首、歌=一曲、謡=一番、詩=一篇、舞=一手・一差し、笛=一本・一管、琴=一張・一面、三味線=一棹・一挺、ピアノ=一台、バイオリン=一挺、椅子=一脚、たんす=一棹、鏡=一面、鏡台=一基、櫛=一枚、電燈=一灯、囲碁・将棋=一番・一局」と、まだまだきりがないが、この辺で。
最後に、最近気づいたばかりの「桜の花の数え方」の違いをお伝えさせて戴こう。 日本の国花「桜の花」には、他の花とは比べものにならないほど「開花する前から散るまで」色々な数え方があるようだ。順番に、蕾(つぼみ)は「一個・二個」、ほころび始めた(これも素敵な日本語ですね)花は「一輪・二輪」、数輪がまとまっている「花房」は「一房・二房」、花びらは「一枚・二枚」、そしてそれが舞い散り始めると「一片(ひとひら)、二片」という。外国で、これほど一つの花の状態を「呼び分ける」例があるとは思えない。かなり昔の話で恐縮だが、ある桜の名所のパンフレットに「万朶(ばんだ)の花」という表現があり「朶」(だ)という字について調べたことがある。
「朶」は、音読みが「ダ」で、訓読みは「えだ」であり、「しなだれる意の垂れるから来ている」とのことで、「枝が垂れ下がる」状態を表わす字であるが、これを「枝垂れる」と表現し、「枝垂れ桜」は誰もが知っている。桜の木の下で、一献傾けられる日が待ち遠しい。それにしても、本当に日本語って、理屈抜きで素晴らしいですね。
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