有限会社 三九出版 - 好齢女(こうれいじょ)盛(せい) もの語る マリ共和国農村開発の試み(その1)


















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          好齢女(こうれいじょ)盛(せい) もの語る
         マリ共和国農村開発の試み(その1)

          村上 一枝(東京都練馬区)

○ 歯科医師からの転業,サハラの村へ
 小児歯科の開業医だった私に多くの人は「なぜ開業を辞めてボランティア?」と尋ねます。これは私には一番答えにくい質問です。困難な生活を強いられている人の支えを日常生活の一部と考えているので, 私は特別なことと思っていません。 人生には,年代によってなすべき事があるように思い,人生の締めくくりの時期に向いその時が来たと考え,実行に移しただけのことです。また「なぜアフリカ?」の質問もありますが,それは単に,アフリカ旅行で知った子供たちの病気や医療環境の貧しさでした。医療施設の無い村で祈祷師を頼るだけの,日本では考えられない医療環境の現実と人々の知識の不足でした。生まれた瞬間に厳しい人生が待っているような状況に目を反らすことなく,誰かが手を差し出すことではないか?その行動が一隅を照らすだけの光でも役立つことはある,と傲慢にも考えていました。
 1989年8月31日で開業を辞め,10月に日本のNGO団体のボランティアとしてマリへ出発しました。この団体は自然環境保護が目的でサハラの村で植林を行っていました。私の目的とは違いますが,アフリカ人の生活や意識を知る絶好の機会と思い,サハラ砂漠の小さな村(ティンアイシャ村)で連日植林を手伝いながら多くを体験しました。水道や電気,ガス,TVも無く,交通機関も無い,都会と全く異なる過酷な自然環境の下での生活でした。この村にはドクターと称する人がいても医療設備が無いので,もし感染症が発症すれば村全体に直ぐ広がるのは当然です。このような環境の地域がマリに多くあることを知りました。私はこの村に1年にも満たない滞在でしたが多くを学び,サハラの村を去りました。
○ マリ人のNGOに参加して
 次に参加したのは,国内南西部のギニア国境に近いマディア村の現地NGO団体です。この村に2年間住み保健医療改善を担当しました。この団体は私に自由な活動を許してくれ,有効な期間でした。英語を話せるプロジェクトリーダーの協力で困ることはありませんでした。 村の全家庭の健康調査で日常生活に困難な点を探りました。人々には診療所が無い,小学校が直ぐ閉鎖することが大きな問題でした。この団体はカナダのオックスファームケベックの助成で大規模な灌漑用水池が建設されていましたが,用水池の水が他の村に流れ,目的の野菜栽培に役立たない,という問題を抱えていました。これは工事会社が原因ということでした。
 担当の医療活動では,腸内寄生虫駆除や小学生の身体測定を行い,健康に関心を高める意識が普及しました。日本の資金で新規診療所を建設し,今は郡の中心医療施設となっています。また,NGOの珍しい成果を見ることが出来ました。それは,この村はマンゴ生産と男性の出稼ぎで財を蓄えています。これは周囲の村の妬みを招き,長い間他村の嫌がらせが続き,村間の闘争が絶えませんでした。マンゴの木への放火が裁判沙汰になるのも毎年の事でした。私の滞在中,日本の大学生13人と引率の教授がスタディツアーで数日間滞在したことがありました。これは「多くの外国の客が滞在するのは立派な村」と周囲の村の人たちの意識を変え,長い間の闘争が収まりました。その日は村の長老が正装で一堂に会し手打ち式が行われ,我々も招かれました。私は驚きと嬉しさの混じった複雑な心境でした。
 医療だけでなく,女性に裁縫と刺繍を教え収入獲得へ繋がりました。タバスキ(イスラム教の祭)に新しい服を着ることは最大の喜びで,仕立屋は大繁盛ですが,村に仕立屋が無いので女性の未熟な仕立でも収入を得る事が出来ました。出稼ぎ先の夫が家族に布地を送ってきますが,祭日の早朝に届き「子供に新しい服を着せたい,村上作って」と言われると,母親の気持ちや布を送る夫の気持ちが良く分かりますので,私は早朝から日暮れまでミシンを回して仕立てに協力しました。村に電気は無いので作業は陽のある内となります。今,女性たちは夫が買ってくれた中古の中国製ミシンを活用し収入を得ています。私は村では怒り,喧嘩もしましたが,女性の細やかな進歩に喜びを感じました。私が初めてマラリアに罹った時の村人の親切が身に沁み,私と村の人の喜びや悲しみは全く同じで,本質で付き合うことが信頼を得てより良い関係になることを感じました。今でも村の男性が「女は毛布と同じ」と言った女性蔑視の言葉が忘れられませんが,女性が収入を得るようになると,それが村の男性の意識も変えて女性の地位向上へ繋がるのを知りました。私が村で得た経験は,その後に独自プロジェクトを持つ自信になりました。
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