有限会社 三九出版 - 好齢女(こうれいじょ)盛(せい) もの語る 一世紀近く生きた年寄りの独り言


















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           好齢女(こうれいじょ)盛(せい) もの語る
          一世紀近く生きた年寄りの独り言
                (その2) 付・夫婦別姓について

           鈴木 雅子(東京都国立市)

 昭和の初めの頃,お正月のカルタに私の大好きだった「童謡かるた」というのがあったのだが,ご存知の方はおられるだろうか。うろ覚えのそれを紹介すると「ぬさるきじもお供して」「ばのお耳はとんがりお耳」「をつんではおつむにさせば」「うほう蛍(ほたる)しのぼたる」「におのかっこの緒が切れた」「べとべ鳶(とんび)空高く」「んちん電車がやってくる」「すりす子りすちょろちょろ子りす」「ま(沼)で鳴くのは蛙の子」「す番してるよ女の子」「たしは言葉が分からない」「んげの花束河童(かっぱ)の行列」「ねんねのお鳩(はと)も歌いましょう」「ぎさにざんぶりこ波がざんぶりこ」「(らい)年おいで燕(つばめ)が帰る」「を歌えば靴がなる」「手々つないで野道をゆけば」「のおふとん(寝ている兎の絵))ぬくそうに」「のお寺の鐘が鳴る」「じは日本一(にっぽんいち)の山」「んこん子狐油買い」「るてる坊主てる坊主」「ふりお月さん雲のかげ」「ューピもポッポもラッタッタ」「やけ小やけで日が暮れて」「高も鮒(ふな)も出てきて遊べ」「んなかわいい小鳥になって」「五夜お月さん雲のかげ」「さよならさよなら明日(あした)」等々。子供やお地蔵さん,兎,子狐などの可愛い絵札だった。今の子供達はどんな歌を歌い,どんな遊びをしているのだろう。身近にそんな年頃の子がいないし,テレビ等の影響もあろうから大違いだろうし,私には想像もできない。だがこれら昔のは思い返すと純朴で無垢で,懐かしい響きの言葉ばかりだったと思う。童謡も言葉通りやさしく,子供心を温かくはぐくんでくれていたと思う。こんな事を思うのも年とったせいだろうが,あの頃の童謡はほんとにやさしく温かだった。
 小学校には貧しい家の子も豊かな家の子も色々いたけれど,私の覚えている限りではいじめなんていう言葉は耳にしなかったと思う。教室で隣合せになるとすぐ仲よくなり一緒に遊んだ。どの子とも仲よく,仲間はずれにするなんて事はなく,軍靴の音が近づいてくる当時の事,中には軍人のお父さんを自慢する子もいたが,親の職業は子供とは無縁。私の仲良しは靴屋さんや酒屋さんの子だったが,道すがらそのお店の前で合流,仲よく一緒に登校したものだ。小学校卒業後は戦争が始まったせいで皆ばらばらになり,同窓の集まりもなく幼友達の消息はとだえ,いつの間にかそれから八十年程の年月が過ぎてしまった。懐かしい子供時代の世界は遥か昔。思い出の中にか ―8― [好齢女盛もの語る] すかに残るのみ。日本では女性は結婚すると夫の姓に変るのが多いから,昔の友達も 名前を聞いてもその人だと気付けないだろうし,又,もう亡くなった方もあるだろうし,もしどこかで会ってもすぐには分からないかもしれない。わびしい限りである。
 夫婦別姓問題にふれたので、ちょっと横道にそれるが,一言書いておきたい。私は結婚前に論文を一つ学会誌に発表していたので,結婚後,論文はもとの姓で発表したいと言ったところ,そんな事をしたら離婚だと夫となった人から言われ,それでは損をするのは女ばかりだと,口惜しかったが我慢するしかなかった。後年ある人から「あの論文を書いたMさんはその後どうしたのかと思っていた」と言われ,我慢した自分がとてもみじめに思えて情けなかった。今,改姓後の人生の方が長くなってしまった私は,旧姓ではもう通用しないかも,とは思うが,文句を言った人がいなくなって二十年。私に流れているのは旧姓の代々の先祖の血であるし,先年まとめたのは生家の歴史をたどったものなので, その著書にはせめてもと思い,最後に「(旧姓森田)」と記した。これで少しは血のつながった先祖に申し訳が立ったかと思う。
 日本では結婚すると夫の姓になる人が多いが,私の先祖の記録では「○(数字)代○○(名)、妻○○(妻の生家)氏○○(名)」のように記してある。夫婦同姓ときめられて,それに慣れた男性が,無意識に自分が主,妻は従と思うに至ったのだろう。女学校の友達に谷山さゆりさんとか君五(い)鶴(づ)子さんとか,親御さんが姓にふさわしいとの思いをこめて名づけたと思われる方がおられた。戦争のせいでその後の事は知らないが,結婚・改姓したらその思いは無になり,よそながら残念でもある。私は昔の友人に会うと勝手ながらその頃呼びあった姓,なじみ深い呼びなれた姓で呼んでしまう。
 なお一言つけ加えておくが,婚家では父母ともとてもよい人達で,私は嫁いびりという言葉とは全く無縁の日々を過ごすことができて有難い事だったと亡き舅姑には心から感謝している。と書いたところで思い出した。結婚前の冬に初めて訪ねた鈴木の家で飼っていた猫がトコトコやってきて私の膝にちょこんと乗った。初めての人の膝に乗るなんて珍しいとびっくりされたが、(私はもともと猫派で,子供の頃いつも猫と一緒に寝ていた)多分猫の方でも猫好きだとわかったのだろう。考えてみると私を家族だと最初に認めてくれたのはあの猫だったのかも,と思い返すとおかしくなる。猫の名は「去年(こぞ)」と言った。
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