東日本大震災私は忘れない
被災地を訪ねて
佐藤 篤正(神奈川県藤沢市)
東日本大震災当時,私は非常勤講師として神奈川県の県立高校に勤務する傍ら,町内会で防災を担当,鵠沼地区ボランティアの立ち上げに携わっておりました。それらの勤務先の教員や町内会の有志による被災地訪問の話やボランティアの方々から聞く災害の状況はテレビの映像をはるかに超えた衝撃的なもので,言葉も出ませんでした。私も被災地を訪れなければという思いが強かったのですが,母と二人の弟を亡くしたことにより行動が制約されて動けない日が続きました。そのため,積極的に被災地に寄り添う活動を続けておられる方に比べて,何も行動に移せない自分は,被災地は気にはなるけれども訪れることの敷居の高さと心の焦りをも感じておりました。
そんな折,数年前のことですが,「みちのく潮風トレイル」という,環境庁の〝地域復興を願い,青森県八戸市から福島県相馬市までの海岸線を「歩くための道」″を紹介した記事に出合いました。〝人の歩くスピードで旅をすることで,日々姿を変えていく植物の芽吹き,色とりどりの花々の開花,大自然に棲む野生動物などの様々な自然を目にし,山背や津波などの自然の脅威を想像して,その地域に根ざした特有の文化や地元住民の温かなもてなしに接し,「人と自然」「人と人とのつながり」を感じとることができます。未知との出合いを求めて歩き出しましょう″という趣旨の文言でした。私はこの記事に勇気づけられて,〈5年計画〉でこれを実行してみようと決めました。1年目の2017年は,サラリーマン時代の在職中にお世話になった会社の顧問が生まれた福島県の相馬市とその顧問が最初に教職に就いたという宮城県の気仙沼市を訪問しました。2年目は,職場の同僚の出身地である青森県の八戸市と,同じく職場の先輩が短大の講師をされていた岩手県の久慈市を訪ねました。そして3年目の2019年には気仙沼市から大船渡市,釜石市,宮古市,久慈市と回りました。去年,2020年は新型コロナウイルスの関係で「歩く旅」はできませんでしたが,この3年間に歩いてみて特に印象に残ったこと,考えさせられたことは,今もそして今後も忘れられないことと思いますので,次に述べたいと思います。
まず,1年目に訪れた気仙沼市では,幸運にも「語り部タクシー」の小野寺さんとい う方に出会えて多くの被災箇所を訪ねることができました。小野寺さんにはタクシー に乗り込むと早速ご自分で作成された,気仙沼の地図に災害箇所を表示した資料を見せて頂き,それを基にエピソードを交えて案内して頂きました。そのエピソードでは〝命を救った欅の話″〝防災堤防と避難道路の道幅″〝今は震災遺構として旧校舎が残されている気仙沼向洋高校の役割″〝市内にある震災の各記念碑に関する出来事″等を聞かせていただきました。また,唐桑半島ビジターセンターに併設の「津波体験館」にも案内して頂き,4面を使い,音響と振動,送風とを組み合わせた11分間の映像で,五感を以って津波の恐ろしさを体験しました。
次は,相馬市の松浦湾でのことです。泊った「ホテルみなとや」に着いたら女将さんから「復興工事を行っておられる人達が帰られる前にお風呂にどうぞ」と言われ,まだ復興工事が続いていること,これから先も続くことを知らされました。また,夕食後に女将さんに,辛い思いをさせ心を傷つけるのではないかと心配しながらも「震災の時のお話をお聞きしたいのですが」と尋ねると,「私達は来て頂いてお話させてもらうことが嬉しいんですよ」と言われ,震災前の海との関わり,日々の生活などを話してもらった後,二階まで来た津波を屋上から撮影したという30分ほどのビデオを,説明を加えながら見せて頂きました。東北人の強さと優しさ,温かさを感じ,心が大変安らぐ思いをしました。
最後に釜石市でのことです。まず,宿泊した宿から徒歩で市内見学。初めに20㎏のザックを背負って避難場所まで歩き, “体験避難”をしましたが,お年寄りや幼い子,体が不自由な人は誰かの助けがないと安全な高台まで避難することはとても難しいことと思いました。それからラグビー場の近くにある震災伝承と防災学習のための施設「いのちをつなぐ未来館」に行き,語り部ガイドの菊池のどかさんの話を聞きました。菊池さんの話では,釜石には「釜石の奇跡と悲劇」があるということも聞きました。「奇跡」は釜石東中学校の生徒が避難するのを見て隣にある鵜住居小学校の児童も学校を飛び出し,中学生が小学生の手を引いて避難し,両校合わせて600名が全員無事に避難できたこと。「悲劇」は同じ地区で二階建ての防災センターに避難した200人余りのうち160名余りが亡くなったということです。ここに避難した人達の多くは避難場所が周知されておらず,避難訓練もされておらなかったということでした。
以上の事例から,わが町内会の防災教育,防災訓練のあり方を再確認しなければならないと,強く思った次第でした。
被災地を訪ねて
佐藤 篤正(神奈川県藤沢市)
東日本大震災当時,私は非常勤講師として神奈川県の県立高校に勤務する傍ら,町内会で防災を担当,鵠沼地区ボランティアの立ち上げに携わっておりました。それらの勤務先の教員や町内会の有志による被災地訪問の話やボランティアの方々から聞く災害の状況はテレビの映像をはるかに超えた衝撃的なもので,言葉も出ませんでした。私も被災地を訪れなければという思いが強かったのですが,母と二人の弟を亡くしたことにより行動が制約されて動けない日が続きました。そのため,積極的に被災地に寄り添う活動を続けておられる方に比べて,何も行動に移せない自分は,被災地は気にはなるけれども訪れることの敷居の高さと心の焦りをも感じておりました。
そんな折,数年前のことですが,「みちのく潮風トレイル」という,環境庁の〝地域復興を願い,青森県八戸市から福島県相馬市までの海岸線を「歩くための道」″を紹介した記事に出合いました。〝人の歩くスピードで旅をすることで,日々姿を変えていく植物の芽吹き,色とりどりの花々の開花,大自然に棲む野生動物などの様々な自然を目にし,山背や津波などの自然の脅威を想像して,その地域に根ざした特有の文化や地元住民の温かなもてなしに接し,「人と自然」「人と人とのつながり」を感じとることができます。未知との出合いを求めて歩き出しましょう″という趣旨の文言でした。私はこの記事に勇気づけられて,〈5年計画〉でこれを実行してみようと決めました。1年目の2017年は,サラリーマン時代の在職中にお世話になった会社の顧問が生まれた福島県の相馬市とその顧問が最初に教職に就いたという宮城県の気仙沼市を訪問しました。2年目は,職場の同僚の出身地である青森県の八戸市と,同じく職場の先輩が短大の講師をされていた岩手県の久慈市を訪ねました。そして3年目の2019年には気仙沼市から大船渡市,釜石市,宮古市,久慈市と回りました。去年,2020年は新型コロナウイルスの関係で「歩く旅」はできませんでしたが,この3年間に歩いてみて特に印象に残ったこと,考えさせられたことは,今もそして今後も忘れられないことと思いますので,次に述べたいと思います。
まず,1年目に訪れた気仙沼市では,幸運にも「語り部タクシー」の小野寺さんとい う方に出会えて多くの被災箇所を訪ねることができました。小野寺さんにはタクシー に乗り込むと早速ご自分で作成された,気仙沼の地図に災害箇所を表示した資料を見せて頂き,それを基にエピソードを交えて案内して頂きました。そのエピソードでは〝命を救った欅の話″〝防災堤防と避難道路の道幅″〝今は震災遺構として旧校舎が残されている気仙沼向洋高校の役割″〝市内にある震災の各記念碑に関する出来事″等を聞かせていただきました。また,唐桑半島ビジターセンターに併設の「津波体験館」にも案内して頂き,4面を使い,音響と振動,送風とを組み合わせた11分間の映像で,五感を以って津波の恐ろしさを体験しました。
次は,相馬市の松浦湾でのことです。泊った「ホテルみなとや」に着いたら女将さんから「復興工事を行っておられる人達が帰られる前にお風呂にどうぞ」と言われ,まだ復興工事が続いていること,これから先も続くことを知らされました。また,夕食後に女将さんに,辛い思いをさせ心を傷つけるのではないかと心配しながらも「震災の時のお話をお聞きしたいのですが」と尋ねると,「私達は来て頂いてお話させてもらうことが嬉しいんですよ」と言われ,震災前の海との関わり,日々の生活などを話してもらった後,二階まで来た津波を屋上から撮影したという30分ほどのビデオを,説明を加えながら見せて頂きました。東北人の強さと優しさ,温かさを感じ,心が大変安らぐ思いをしました。
最後に釜石市でのことです。まず,宿泊した宿から徒歩で市内見学。初めに20㎏のザックを背負って避難場所まで歩き, “体験避難”をしましたが,お年寄りや幼い子,体が不自由な人は誰かの助けがないと安全な高台まで避難することはとても難しいことと思いました。それからラグビー場の近くにある震災伝承と防災学習のための施設「いのちをつなぐ未来館」に行き,語り部ガイドの菊池のどかさんの話を聞きました。菊池さんの話では,釜石には「釜石の奇跡と悲劇」があるということも聞きました。「奇跡」は釜石東中学校の生徒が避難するのを見て隣にある鵜住居小学校の児童も学校を飛び出し,中学生が小学生の手を引いて避難し,両校合わせて600名が全員無事に避難できたこと。「悲劇」は同じ地区で二階建ての防災センターに避難した200人余りのうち160名余りが亡くなったということです。ここに避難した人達の多くは避難場所が周知されておらず,避難訓練もされておらなかったということでした。
以上の事例から,わが町内会の防災教育,防災訓練のあり方を再確認しなければならないと,強く思った次第でした。
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