《自由広場》 和歌山県の常世館と漆器産業
森本 純平(和歌山県海南市)
海南市にある橘本神社には「前山虎之介宮司の時,我が国最初に導入した〝イタリア無酸 橙、血蜜柑およびシシリーレモン〟等が多く植えられていた」と先々代の前山孫悟宮司が書いておられるそうです。その孫悟宮司の時,私の大学の恩師,田中長三郎先生がその苗を贈ったとのことです。しかしながら,前山和範現宮司に聞きますと,先年,管理労力不足で廃園になってしまったとの事でした。そんなこともあり, 5~6年前に私は「橘本神社による南方熊楠翁と田中長三郎先生」のトークショーを開くべく,熊楠翁を調査されていた京都大学の川島昭夫教授と相談しましたが,私の体調不良で中止になりました。
この神社は,柑橘,果物,菓子業の始祖として広く崇敬される田道間守公を奉祀する神社です。2019年(令和元年),この神社の境内に常世館を建立し,歴史的な資料を拝読できるようになったことは大変良いことです。田中先生の最後の弟子である私も,先生から預かったスケッチブックや多くの学術誌を寄贈しましたので,南方熊楠翁の書簡や川端康成と黒澤明氏の書簡も並べられています。
前山和範宮司は竣工祭の時,「念願の施設が完成した,みかんの研究の場であり,多くの人に来てもらい,歴史を学ぶとともに,最新の柑橘についても知ってもらいたい。地元の盛り上がりも大事,先祖も喜んでくれると思う」と話していました。さらに,当日「みかんにかけた情熱」というタイトルに「常世文庫と田中長三郎の足跡」というサブタイトルをつけたパンフも提供されました。さらに,京都大学の北島宣名誉教授も「常世館の建設はうれしく思う。柑橘の資料の拠点として後世につなげていきたい。一般の人も集まれるような場所になることを願う」と話されました。竣工祭では神事のほか,音楽の世界に認められたサクソホン・アンサンブルによる「みかんの花咲く丘」と「ふるさと」の演奏が行われ「常世館」の完成に花を添えました。
私は今,後白河法皇が詠まれた「橘の本に一夜のかりねして 入佐の山の月をみる」を詠いながら,今後の橘本神社のご発展をお祈りしています。
新天皇陛下の令和時代が始まり,即位の祝いとして,県と各市長会,町村会が紀州 漆器の壺を献上したことを,先日の新聞で見ました。「和歌山にふさわしい品」として選ばれたそうでした。壺の紀州漆器は海南市の主要産業の一つで,国の指定主要産業の一つです。献上された壺は私の小学校時代の同期生である谷岡敏史氏の製品でした。
谷岡氏については,以前,某誌に「友人の伝統工芸士合格に考える」と題して書いたことがあります。平成26年に和歌山県名匠表彰40周年記念展があり,彼が表彰されたことを思い出したからです。また,私も勤務先の送別記念品として彼の壺を買った経験が数回あります。
冷水清一氏の『海南漆器史』によると紀州漆器の発端は室町時代に遡ると書かれています。英語で陶磁器のことを「チャイナ」と言い,漆器のことを「ジャパン」と言われるそうですが,漆器は日本を代表する工芸品とされている証しでしょう。この海南漆器の世界では橋爪靖雄,出口穣爾および山田健二氏等が有名です。また,谷岡家では娘さんの公美子女史が,平成22年伝統工芸士に認定され,5代目として紀州初の女性伝統工芸士に認定されました。彼女は地元で実演やルイジ蒔絵の講師をするなど,産地PRに努められています。また,漆器製品をもっと身近に感じてもらえるようにとアクセサリーなどを製作し,天然素材を組み合わせて人と環境に優しい作品を造られています。
過日,ミシガン州立大学のIsleib教授夫妻が私の家に宿泊されたことがありました。翌日,私は教授を有田の柑橘地帯を案内し,妻は奥様と東京農業大学の女子スタッフを「紀州漆器伝統産業会館(うるわし館)」を中心とした川端道に案内したそうです。その内の「黒江ぬりもの館」を訪問したときには,奥様は1日分の小遣いを使い果たしたようでした
今は「島安汎工芸」となって,安いプラスチック製の商品を扱っていますが,以前,私の父が経営していた海南市大野の会社「興南絹織」では漆器も製造・販売していました。 私は県外への贈り物として,これらの漆器製品を強く望んでいる今日この頃です。
常世館と紀州漆器は私が住んでいる海南市の誇りであると考えており,紹介した次第です。
森本 純平(和歌山県海南市)
海南市にある橘本神社には「前山虎之介宮司の時,我が国最初に導入した〝イタリア無酸 橙、血蜜柑およびシシリーレモン〟等が多く植えられていた」と先々代の前山孫悟宮司が書いておられるそうです。その孫悟宮司の時,私の大学の恩師,田中長三郎先生がその苗を贈ったとのことです。しかしながら,前山和範現宮司に聞きますと,先年,管理労力不足で廃園になってしまったとの事でした。そんなこともあり, 5~6年前に私は「橘本神社による南方熊楠翁と田中長三郎先生」のトークショーを開くべく,熊楠翁を調査されていた京都大学の川島昭夫教授と相談しましたが,私の体調不良で中止になりました。
この神社は,柑橘,果物,菓子業の始祖として広く崇敬される田道間守公を奉祀する神社です。2019年(令和元年),この神社の境内に常世館を建立し,歴史的な資料を拝読できるようになったことは大変良いことです。田中先生の最後の弟子である私も,先生から預かったスケッチブックや多くの学術誌を寄贈しましたので,南方熊楠翁の書簡や川端康成と黒澤明氏の書簡も並べられています。
前山和範宮司は竣工祭の時,「念願の施設が完成した,みかんの研究の場であり,多くの人に来てもらい,歴史を学ぶとともに,最新の柑橘についても知ってもらいたい。地元の盛り上がりも大事,先祖も喜んでくれると思う」と話していました。さらに,当日「みかんにかけた情熱」というタイトルに「常世文庫と田中長三郎の足跡」というサブタイトルをつけたパンフも提供されました。さらに,京都大学の北島宣名誉教授も「常世館の建設はうれしく思う。柑橘の資料の拠点として後世につなげていきたい。一般の人も集まれるような場所になることを願う」と話されました。竣工祭では神事のほか,音楽の世界に認められたサクソホン・アンサンブルによる「みかんの花咲く丘」と「ふるさと」の演奏が行われ「常世館」の完成に花を添えました。
私は今,後白河法皇が詠まれた「橘の本に一夜のかりねして 入佐の山の月をみる」を詠いながら,今後の橘本神社のご発展をお祈りしています。
新天皇陛下の令和時代が始まり,即位の祝いとして,県と各市長会,町村会が紀州 漆器の壺を献上したことを,先日の新聞で見ました。「和歌山にふさわしい品」として選ばれたそうでした。壺の紀州漆器は海南市の主要産業の一つで,国の指定主要産業の一つです。献上された壺は私の小学校時代の同期生である谷岡敏史氏の製品でした。
谷岡氏については,以前,某誌に「友人の伝統工芸士合格に考える」と題して書いたことがあります。平成26年に和歌山県名匠表彰40周年記念展があり,彼が表彰されたことを思い出したからです。また,私も勤務先の送別記念品として彼の壺を買った経験が数回あります。
冷水清一氏の『海南漆器史』によると紀州漆器の発端は室町時代に遡ると書かれています。英語で陶磁器のことを「チャイナ」と言い,漆器のことを「ジャパン」と言われるそうですが,漆器は日本を代表する工芸品とされている証しでしょう。この海南漆器の世界では橋爪靖雄,出口穣爾および山田健二氏等が有名です。また,谷岡家では娘さんの公美子女史が,平成22年伝統工芸士に認定され,5代目として紀州初の女性伝統工芸士に認定されました。彼女は地元で実演やルイジ蒔絵の講師をするなど,産地PRに努められています。また,漆器製品をもっと身近に感じてもらえるようにとアクセサリーなどを製作し,天然素材を組み合わせて人と環境に優しい作品を造られています。
過日,ミシガン州立大学のIsleib教授夫妻が私の家に宿泊されたことがありました。翌日,私は教授を有田の柑橘地帯を案内し,妻は奥様と東京農業大学の女子スタッフを「紀州漆器伝統産業会館(うるわし館)」を中心とした川端道に案内したそうです。その内の「黒江ぬりもの館」を訪問したときには,奥様は1日分の小遣いを使い果たしたようでした
今は「島安汎工芸」となって,安いプラスチック製の商品を扱っていますが,以前,私の父が経営していた海南市大野の会社「興南絹織」では漆器も製造・販売していました。 私は県外への贈り物として,これらの漆器製品を強く望んでいる今日この頃です。
常世館と紀州漆器は私が住んでいる海南市の誇りであると考えており,紹介した次第です。
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