有限会社 三九出版 - 好齢女盛(こうれいじょせい) もの語る 一人で悩まないで 認知症


















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          一人で悩まないで 認知症

            児玉 洋子(東京都目黒区)

 農村の高齢化は都市に比べ急速に進んでいます。農家の平均年齢は67歳。他産業で定年退職となる層がトラクターを操作し,牛を飼ったり,トマトを栽培したりと現役で働いています。
 私が勤務している日刊の全国紙である「日本農業新聞」はこうした農家が購読しています。新聞社には読者の声が毎日届けられます。「義母が認知症で、介護に苦労している」「自分もそろそろ年だし、認知症になったらどうしよう」――そんな悩みが増えたことに気付いたのが,認知症の取材を始めたきっかけでした。農業と家事をしながらの家族介護や老々介護が深刻な課題となっていることを感じてもいました。
 手始めに読者モニターを対象に行ったアンケート調査で,「老後最も不安に思う病気」を尋ねました。結果は,死因1位のがんを抜いて認知症がトップでした。理由は「どんな病か分からない」「看病の仕方、向き合い方が分からない」「家族や周囲に迷惑を掛ける」「介護してくれる人がいない」など。介護する家族は電話で切々とつらさを訴えてくるのに,いざ取材に伺おうとすると尻込みされるのがほとんど。農村社会にあって,「声を上げられない」人が一人で悩まず,むやみに恐れることを解決できないか,手探りの中で取材を始めました。
 栃木県に住む農家女性(74歳)は,94歳の義母の世話をしていました。「おばけがいる」とつぶやきながら家の周りをぐるぐる歩いたり,薬を与えようとすると,「死んでやる」とどなったり,夜中に冷蔵庫を開けたままご飯を食べていることもありました。そんな時はとがめても仕方ないと見て見ぬふりをしてきました。「介護はいつ終わるか分からないし、体力も必要。家族だけで対処せず負担を減らしていこう」と気持ちを切り替え,介護保険サービスの利用を始めました。月・木・土曜はデイサービス,火・金曜はホームヘルパー,月1回はショートステイを使い,自分を解放する時間が確保でき,義母の暴言や徘徊も減りました。「嫁だけが懸命に介護することが美徳とされた時代ではない。一人でみようとは思わないこと」。こう女性が語った言葉が印象的でした。
 北海道の農家女性(82歳)は,以前,長男の妻として97歳の義母を看取りました。介護と農作業はつらかったが,最期を家で過ごせるよう支えたことを誇りに感じていました。亡くなる直前,食欲がなくなった義母は入院しましたが,「家に帰りたい」と繰り返し訴えたそうです。医師がその意思を尊重し,点滴を外して退院させました。その3日後,夫と娘も見守る中,愛着のある自宅で亡くなりました。
 認知症の終末期は寝たきりになっているのがほとんどですが,在宅医療を行う医師は「家ならではの雰囲気が良い薬になる」といいます。天井の色や畳の匂い,隣から聞こえる家族の声,こうしたなじみの環境が有効で,食欲がでたり,よく眠れるようになったりするそうです。ある医師は「死が敗北でなく、人生の集大成ととらえること」とインタビューに応えてくれました。最期は医療関係者がいなくても, 家族や友人で温かく見送ってあげることが本人にとって幸せなのかもしれません。
 元気なうちに自分の最期を決めた方にも会いました。愛媛県に住む93歳の女性は,冷蔵庫の扉に「私が病気になって最期を迎えるとき、延命だけの手当てはしないように」と短冊を書き留めています。長男夫婦とは廊下でつながった二世帯住宅ですが,台所も食事も風呂も家計も分け,自立した一人暮らし。日ごろから家族に自宅で最期を迎えたいと伝え,かかりつけ医にも往診を望んでいます。80歳の時に,「家族に迷惑を掛けたくない」と一人で写真店に行き遺影をとり,寺で戒名も作ってもらいました。今も自分で食べる野菜は栽培し,趣味のコーラスに出掛けます。最期をどう迎えるかの取材なのに始終笑顔で,冗談を飛ばす,素敵な先輩女性でした。
 認知症になっても十分働く力があることを証明してくれたのは,野菜栽培を手掛ける静岡県の農業法人でした。78歳になる認知症の男性は自転車で通勤し,農作業全般をこなし,特に草取りが見事でした。会話が成り立ってもすぐ忘れてしまうので毎回,「帽子をかぶりましょう」「エプロンをつけましょう」と同じ指導を繰り返す必要はありました。が,1年半,勤め上げました。農業は懐の深い産業で,機械や作業方法の工夫次第で障害者でも認知症高齢者でもやれる仕事を生み出せます。その労力が地域のにぎわいにもつながっていきます。周囲が受け入れる意思を持つかどうかなのです。
 連載記事に対し読者から次のような反響が届きました。「認知症は人生最後の最高のプレゼントと私は思っています。一生懸命生きてきた人だけに与えられる最後のわがままな時間だと思います。母を通してそれを今、すごく思っています」。家族が葛藤を乗り越え互いが理解し合える――認知症はそんな力を秘めていると思います。
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