有限会社 三九出版 - 明智光秀の家臣,東行澄の末裔(2)


















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☆《自由広場》 
     明智光秀の家臣,東行澄の末裔 (2) 

           岡本 崇(京都府木津川市) 

 平成18年1月18日,数日前の古文書教室で配布された,淺田家の家系図を眺めていて,兼弘と周宏とが同一人物で,私の父方と母方の双方が,野口家を通じて親戚になる事を知った。2年前に福井康子さんから頂いていたメモを思い出したのである。
 平成22年12月17日,淺田周宏氏から,「御大典記念昭和名鑑」(角谷登馬橘著 昭和4年9月1日発行)の中に記載の親戚の「西尾幾治」(南河内郡国分村・大阪帝国大学創立史の著者),「野口泰弘」(豊能郡南豊島村字原田・清和源氏よりの系図あり),「大東勝行」家の3枚のコピーが郵送されて来た。淺田家親戚の,奥田稔五郎家(三嶋郡。宇多源氏佐々木氏の末裔・江戸時代は過書船所有)が,大切に所蔵されて来た本の中身のコピーであるらしい。「御大典記念昭和名鑑」という本は,何処の図書館を探しても見つからない幻の名鑑である。
 私が古文書教室へ入らなかったら,福井康子さんが訪問してくれなかったら,全て分からなかったと思う。「出会いは偶然であるが、求め探さなければ、出会わない」と云う,大学ゼミの恩師,難波田春夫先生の「風流鈔」の中の言葉が思い起こされる。

 「御大典記念昭和名鑑」の「大東勝行」家の掲載内容の一部を下に抜粋する。
「元亀、天正の頃に至り、六郎兵衛行澄、縁あって明智光秀に仕へ、天正十年、山崎合戦の時、豊臣勢と戦ひ、武運拙く戦死を遂ぐ。
其子冶左衛門實勝、河州諸福村に落ち延び、農に帰して蟄居す。これを中興家祖なりとす。實勝落延びるに臨み、数多の財貨は放擲に委し、単に祖先伝来の家寶たる観音の像を行李に蔵め、之を背負ひて伴ひ参らせ、各所流転して茲土に来たり、子孫永住の地と定めたり。件の尊像は家廟に祀り 今尚現存する。面目ならず当時杖として携へ来たりし鎗も、族籍降下の記念として保存しあり。冶左衛門實勝、帰農後は、鋭意一家の興隆を祈り、夙夜皕勉業を励み、粒々辛苦を積んで産を培ひ、不断の努力其の功を奏し、晩年は頗る裕福と為れり。村内現存の勝福寺は、實勝の創建係れるものにして、明治維新後、神仏混交を云為され、毀壊の運命に瀕したるも、維持の方策を講じたる結果、 堂宇改築を加へ保存することゝ為れり、實勝建立の志願透徹したるものと謂ふべし。」
5.NHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」
 平成23年1月から大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」が始まった。
主人公は,江戸幕府第2代将軍・徳川秀忠の正室,「江」。姉である茶々・初と共に,戦乱に翻弄されながらも,家族や周囲の人々との絆を育み,天下太平の世を願い続け,やがて将軍の正室となり大奥の礎を築いてゆく過程を中心に,時代の中心で歴史を見つめてきた江の姿を通して,新たな戦国史・女性史としてのドラマが描かれていた。
 「千姫」は徳川秀忠と「江」の長女であるから,徳川家康にとっては孫にあたる。
山城国伏見城内の徳川屋敷で産まれ,7歳で豊臣秀頼と結婚し大坂城に入る。1615年の大坂夏の陣では,祖父・徳川家康の命を受けた津和野藩主,坂崎(宇喜多)直盛により落城する大坂城から救出された。千姫を救出したら結婚させるという約束があったのに,家康が亡くなると1616年,桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と結婚。 
 この時,約束違反だと不満を持った坂崎直盛が輿入れの行列を襲って千姫を強奪する計画を立てているという理由で,直盛は家臣により殺害され、それを直盛が自害したように見せかけたが,坂崎家は改易処分となった。これは「千姫事件」と言われる。その「千姫事件」の主役,坂崎(宇喜多)直盛の子孫が,私の曾祖母ですよと淺田氏にメールをする。坂崎という名前は,宇喜多直盛に家康が名乗らせた名前であった。
 4代目,岡本徳兵衛の長女サトは天保10年に,藤谷宇陀屋茂右衛門(善城の三並茂右衛門)へ嫁いでいる。また6代目徳永は妻に善城村三並茂十郎の長女ヒデを迎えた。ヒデは私の曾祖母になるが,実家の酒屋の屋号が「宇〇陀屋」であった。
 〇の所に家紋の「木」のマークが入っていた。家紋を「木」と読めば、「宇木陀屋」転じて,「宇喜多」となる。西吉野の蔵の長持の上に,「木」のマークの家紋入りの大きな布がかけられていた。私は、ご先祖様が材木屋でもしていたのかと思い,パッチワークして部屋に飾っていた。捨てずに飾っていたのも,ご先祖様のお導きだろうか。
 平成23年2月6日,淺田周宏氏から,義母(澤田久左衛門家出身,中島大水道掘削の三庄屋の一人)の母の実家は,「春日大社南郷目代今西家屋敷」として,「国の史跡」に指定されている豊中市浜にある今西家である。この家の,36代当主の妻が,明智光秀の娘の「三津(みつ)」であるとメールを頂いた。(続く) 
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