有限会社 三九出版 - 私の看護人生を顧みて


















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☆好齢女盛もの語る(こうれいじょせい) 

       私の看護人生を顧みて 

            小田 昌子(大阪府大阪市) 

 私は,大学病院の看護師として40年勤めましたが,看護師へのスタートを想い起こしますと,その原点は高等学校の通学路にあったカトリック教会の神父様の笑顔にありました。毎朝お会いする神父様の,笑顔とともにかけられる「おはようございます」の言葉には,人と人を繋ぐ真の温かさがありました。この温かさによって,私自身が人間に興味をもち,更に病む人々へ少しでもこの受けた笑みの温もりが伝えられ寄り添うことができればとの思いが湧き,看護師の道を歩む始まりとなったのでした。
 看護師となって一年目のことです。まだ未熟な私はターミナルの患者様から「生きること」「死に向き合うこと」の,死に直面されている尊厳を教わりました。
 それは,肺癌を告知された女性画家(画号:順杏)との話です。順杏様は気分の良い時はデッサンをされていましたが,そんなある時,「最後の個展になると思うわ……」と酸素マスクをされながらも笑顔を絶やさず,今生きている確かさを力強く発せられた言葉が脳裏から離れません。
 ある日の事,順杏様から「ありがとう。小田さんが
勤務の日はとっても気分がいいの。気づいたらその日
は私は笑ってるの」と,一枚のデッサン画を戴きまし
た。それは私の看護師姿の肖像画でした。 「この絵は
私の最後の作品。いつの日も思い出してね,小田さん」
と順杏様から言われた私は,その瞬間涙が溢れ,唯々
言葉もなく二人は見詰め合っていました。患者様の生
命を掛けた肖像画から真の「ありがとう」を戴きまし
た。その後は順杏様は筆を持つこともなく,数日後に
静かに笑顔のままご臨終となりました。偶然でしょう
か,私は死の瞬間に直面しました。私を待って居られたかのように,私が勤務の夜,消灯直後に機械音だけが響く静かな病棟にナースコールが鳴りました。医師と共に訪室しますと,途絶えそうな息で,「電気を消して,私の傍に居て,手を握って」と消え入る様な声で囁かれました。握り合ったその時に「あ・り・が・と・う」と,涙の中にもにっこりと笑みを浮かべて息を引き取られ,永遠のお別れをしました。医師と私は医療者であることを忘れ,その三人の手は離れることのない順杏様の温もりのお別れとなったのでした。この貴重な体験は私の心の「看護探求」に大きく影響しました。〝どんな時にもありのまま,その人に対面している私″〝死を迎える準備の現実を目前としている生の時間,それを見守る私″〝共に笑い涙する,共に手を握り合う究極の看護を続ける私″こうした私自身の看護人生を作りあげる礎となりました。
 一人ひとりの尊厳を大切にして看護の仕事を続けてきましたが,その中で患者様から教わり,患者様との出会いから私の心に培われた患者様からの7つのメッセージを紹介させていただきます。
 1つ どうか,私の人生の歴史を見て下さい,認めてください。
 2つ どうか,私に声をかけてください。いつもあなたの笑顔を待っています。
 3つ どうか,私に親切にしてください。言葉でうまく伝えられませんがあり
        がとうの気持ちを大切にしています。
 4つ どうか,私の尊厳を認めてください,あなたにも在るように。
 5つ どうか,私を愛してください。今の私はあなたに上手く思いを伝える
        ことができませんが,いっぱい感謝しています。
 6つ どうか,私の今をわかってください。
 7つ どうか,私の為に祈ってください。
これらは,大学病院での後半には管理者としての務め,また学生育成の務めも果たしてきましたが,その折にも同僚,後輩から共感,支持されたものと自負しております。歩んできた私の看護人生を顧みての看護観でもあります。

 こうして,病む人から沢山の看護の心髄を教わり,感謝を抱きながら,まだまだ修行が足りない私と思いつつ,大学病院勤務から福祉の道・特別養護老人ホーム勤務へと,私は歩みを新たにしています。ありがたいことに,人生の先輩,高齢者の方々からいっぱいの知恵,人生の宝物を頂きました。邂逅のご縁を宝として歩いています。
 平凡な人生をと願う両親の反対を押し切って進んだ看護の道でしたが,今は亡き父,高齢の母も私を評価し見守ってくれていることと思っています。―合掌― 
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