《自由広場》
飼い犬と野良猫の想い出話
森本 純平(和歌山県海南市)
大昔の結婚前には,ミックス犬を飼っており,「太郎」と命名していた。結婚後は,「コロ」を飼ったが,いずれも「フィラリヤ」病にやられた。それで,しばらく飼うのを止めたが,県庁勤務時に,泉州の熊取町から通勤するようになり,「マッチ―」と「カズヤ」を飼い,現在の自宅に連れてきた。散歩は殆んどしなかったので,「カズヤ」はすぐに死んだが,「マッチ―」は元気に長生きした。
それまでは,私も若かったので,唯「人間と犬」の関係でしかなかった。その時に,牝猫が付近を徘徊し,餌をやるとすぐなついてきた。裏の車庫で出産したので,様子を伺うと子猫8匹を咥えて,隣家の倉庫に隠し住んでいた。隣人に見られたのか,再び,我が庭の中の地下水路に潜っていた。子猫が時々出てきて,飼い犬に驚かされ,何匹かは突然死した。それで考えたのか,何週間か後に逃亡を諦めて1匹の子猫を咥えて出てきた。それで家の中で飼って,親猫を「チャー」,子猫を「プリン」と名付け,2階の小窓から出入りさせた。「チャー」は隣との塀の上に座り,隣の迫田照子女史からの餌をせがんでいたが,子猫の「プリン」は,ほぼ毎晩ネズミを咥えてきて,私達に見せてくれた。「チャー」は喧嘩して,顔を切られて死亡し,「プリン」は前の国道で車に跳ねられたと聞かされて,駆けつけたが,既にかたづけてくれていた。
犬好きの私は,紀州犬ミックスを泉州の親類からもらい受け,「スヌーピー」と名付けた。一匹では寂しそうだったので,和歌山市の「NPO法人・VOV」からミックス犬の「トーマス」を譲り受けた。裏山にドッグランを作った。しかし,「スヌーピー」は雷雨時には,異常な力が働き,塀を乗り越え,小屋に帰って来た。それで,彼にはレールを設置して,乗り越えないようにした。しかし,「トーマス」がフィラリヤで突然に死亡し,1匹になるとスヌーピーはドッグラン放置後1分以内に啼きだし,散歩を強要するようになった。
以前は2匹の犬,ニックネーム「けん」,「こう」君に引かれて,裏山のミニ88か所を越えて真言宗「禅林寺」に参り,菩提寺の西山浄土宗「宝珠寺」,さらには「春日神社」に参拝して,小学校同窓生とトークして帰るコースを採択したが,最近は裏山の急坂と神社の階段は登りづらく,このコースは利用しなくなった。
今では,犬も私も年を重ねたので,サザンカ遊歩道を往復するコースを取っている。
時には,インテリゼントパーク「いきいき広場」を越え,ゴールデンラブラドールの「ネネ」に餌をやり,「のびのび公園」を経由して,柴犬「ごん太」に会い,人があまり通らない贅沢な遊歩道を経由して,「わんぱく公園」を通って帰るコースを選択している。
「わんぱく公園」のこのコースは高価な犬君達と出会う機会が多いので楽しい。また,平日はお祖母さんとお孫さん(保育園に入園するまでの)のコンビが来訪されており,休日には遠い所からの親子コンビが多い。「めだかの学校」,「どんぐりの歌」さらに「犬のおまわりさん」が子供達との共通歌である。子供達の前では「スヌーピー」の名前が好評であるが,選挙の年は「総理」,12月には「トナカイ」と呼び名を変えて自分に活力をつけている。
若い時代は,犬と人間の関係で自分に絶対の権力があったが,今では,犬が「総理大臣」で,私は「官房長官」か「外務大臣」の立場で犬の気持ちがわかるようになってきたのは,年齢のなせる技かもしれない。彼がマークしている進路を決め,方角を変えようとすると拒否され,彼の言う通りの道で,散歩開始時間も決めてくれる。私は唯お付きをするだけである。精神状態は同じレベルになってきた証拠かもしれない。
最近の川柳は,「散歩行く 僕は官房 犬総理」,「散歩行く コースはすべて犬が決め」,「犬総理 妻は財務で 僕外務」,「わんぱく(公園名)は 僕は行けずに 犬が行く」,「好青年 わんぱく行けず 犬が行く」等である。
14歳の犬にもなると,75歳の私とクラスメートの心境である。先日も聞いてみた。「何故,君は4足で歩くのか」と。すると「小さい頃から4足で歩くように父母から教えられた」ので,「急に2つ足では歩くことが出来ない」と言う。年を取ると4足の方が安定してよい。例えば単車,スクーターや自転車よりも自動車が安定しているようにと考えているとのことであった。なるほどと納得できる今日この頃である。
飼い犬と野良猫の想い出話
森本 純平(和歌山県海南市)
大昔の結婚前には,ミックス犬を飼っており,「太郎」と命名していた。結婚後は,「コロ」を飼ったが,いずれも「フィラリヤ」病にやられた。それで,しばらく飼うのを止めたが,県庁勤務時に,泉州の熊取町から通勤するようになり,「マッチ―」と「カズヤ」を飼い,現在の自宅に連れてきた。散歩は殆んどしなかったので,「カズヤ」はすぐに死んだが,「マッチ―」は元気に長生きした。
それまでは,私も若かったので,唯「人間と犬」の関係でしかなかった。その時に,牝猫が付近を徘徊し,餌をやるとすぐなついてきた。裏の車庫で出産したので,様子を伺うと子猫8匹を咥えて,隣家の倉庫に隠し住んでいた。隣人に見られたのか,再び,我が庭の中の地下水路に潜っていた。子猫が時々出てきて,飼い犬に驚かされ,何匹かは突然死した。それで考えたのか,何週間か後に逃亡を諦めて1匹の子猫を咥えて出てきた。それで家の中で飼って,親猫を「チャー」,子猫を「プリン」と名付け,2階の小窓から出入りさせた。「チャー」は隣との塀の上に座り,隣の迫田照子女史からの餌をせがんでいたが,子猫の「プリン」は,ほぼ毎晩ネズミを咥えてきて,私達に見せてくれた。「チャー」は喧嘩して,顔を切られて死亡し,「プリン」は前の国道で車に跳ねられたと聞かされて,駆けつけたが,既にかたづけてくれていた。
犬好きの私は,紀州犬ミックスを泉州の親類からもらい受け,「スヌーピー」と名付けた。一匹では寂しそうだったので,和歌山市の「NPO法人・VOV」からミックス犬の「トーマス」を譲り受けた。裏山にドッグランを作った。しかし,「スヌーピー」は雷雨時には,異常な力が働き,塀を乗り越え,小屋に帰って来た。それで,彼にはレールを設置して,乗り越えないようにした。しかし,「トーマス」がフィラリヤで突然に死亡し,1匹になるとスヌーピーはドッグラン放置後1分以内に啼きだし,散歩を強要するようになった。
以前は2匹の犬,ニックネーム「けん」,「こう」君に引かれて,裏山のミニ88か所を越えて真言宗「禅林寺」に参り,菩提寺の西山浄土宗「宝珠寺」,さらには「春日神社」に参拝して,小学校同窓生とトークして帰るコースを採択したが,最近は裏山の急坂と神社の階段は登りづらく,このコースは利用しなくなった。
今では,犬も私も年を重ねたので,サザンカ遊歩道を往復するコースを取っている。
時には,インテリゼントパーク「いきいき広場」を越え,ゴールデンラブラドールの「ネネ」に餌をやり,「のびのび公園」を経由して,柴犬「ごん太」に会い,人があまり通らない贅沢な遊歩道を経由して,「わんぱく公園」を通って帰るコースを選択している。
「わんぱく公園」のこのコースは高価な犬君達と出会う機会が多いので楽しい。また,平日はお祖母さんとお孫さん(保育園に入園するまでの)のコンビが来訪されており,休日には遠い所からの親子コンビが多い。「めだかの学校」,「どんぐりの歌」さらに「犬のおまわりさん」が子供達との共通歌である。子供達の前では「スヌーピー」の名前が好評であるが,選挙の年は「総理」,12月には「トナカイ」と呼び名を変えて自分に活力をつけている。
若い時代は,犬と人間の関係で自分に絶対の権力があったが,今では,犬が「総理大臣」で,私は「官房長官」か「外務大臣」の立場で犬の気持ちがわかるようになってきたのは,年齢のなせる技かもしれない。彼がマークしている進路を決め,方角を変えようとすると拒否され,彼の言う通りの道で,散歩開始時間も決めてくれる。私は唯お付きをするだけである。精神状態は同じレベルになってきた証拠かもしれない。
最近の川柳は,「散歩行く 僕は官房 犬総理」,「散歩行く コースはすべて犬が決め」,「犬総理 妻は財務で 僕外務」,「わんぱく(公園名)は 僕は行けずに 犬が行く」,「好青年 わんぱく行けず 犬が行く」等である。
14歳の犬にもなると,75歳の私とクラスメートの心境である。先日も聞いてみた。「何故,君は4足で歩くのか」と。すると「小さい頃から4足で歩くように父母から教えられた」ので,「急に2つ足では歩くことが出来ない」と言う。年を取ると4足の方が安定してよい。例えば単車,スクーターや自転車よりも自動車が安定しているようにと考えているとのことであった。なるほどと納得できる今日この頃である。
投票数:21
平均点:10.00
「日本語」って不思議な言葉ですね!(その6) |
本物語 |
量子から遺伝子へ |