有限会社 三九出版 - 天 井 裏 の 怪


















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☆《自由広場》 
            天 井 裏 の 怪 

             鈴木 雅子(東京都国立市) 

 私が子供のころだから,八十年近く前になろうか。家が火事になる前には不思議とネズミがいなくなるものだと言われていた。動物には何か不思議な「勘」があって,そういう前兆を感じとることが出来るらしいのだとか。
 小学校を卒業し女学校に入った次の年にアメリカとの戦争が始まったのだが,東京も次々と空襲をうけて,焼け出された級友が,家が焼ける前にはネズミがいなくなっていたと話すのを聞いて,空襲による普通と違う火事でも,動物には勘が働くのだろうかと不思議に思ったものだった。あの頃は,大抵の家の天井裏にはネズミがいて,夜になるとバタバタと走り廻る音が聞こえたものだった。今はネズミがいなくなったのか,家の構造が昔と違ってよくなったからか,そんな話を耳にするようなことはないようだが……。
 さて,いつのまにかもう十二,三年程経ってしまった昔の話だが,仕事場にしていた川崎・新百合が丘の小家に久し振りに行って泊ったところ,夜,天井裏から何者かが鳴き声をあげたり, 大勢でバタバタ走り廻ったりする音にびっくりして眼が覚めた。驚いて調べてもらったら,屋根裏に穴をあけてハクビシンが入りこんだらしく糞が一杯で,糞を掃除し,尿のしみが目立つ天井を張りかえたりしての大散財。本当にひどい目にあった。
かつてその辺りは開発されていない山野の地だったのだが,少しずつ宅地化し,新開地に近かったので, 多分少し離れた低い山を住みかとしていたハクビシンが,人気(ひとけ)のない留守の家をねらったものらしかった。ハクビシンなんて昔は聞いたこともなかったし,多分日本にはいなかった動物だと思うのだが――辞書を見ると,もともと日本の一部にも生息していたとする説と,移入され野生化したとする外来種説とあるとか。学問的にどうなのか知らないが,少なくとも私は戦前の子供の頃にそんな名は聞いた覚えはなかったし,小田急線沿線の柿生(かきお)の里……結婚して住むことになった,まだ未開発の田舎だった柿生近辺に,ハクビシンなんていう動物がいたとは,動物好きの画家だった舅からも聞いた事はなかった。私は,あれはやはりというか,きっと外来種だと思う。とにかく今の世の中は,ネズミではなくてハクビシンなのである。そこでその当時私は,雨樋を伝って屋根に登り,屋根裏に入りこんだのだろうと,樋の廻りに猫よけの薬,柑橘系のにおいのする薬をふりかけたりしたのだが,これはハクビシンには全然きかないのだとか,あとで聞いてがっくりした。その後トゲトゲのついた鉄線を巻いてみたり,種々ためしたが効果はどれほどだったのか。彼らは庇にとび移れるほどの木にまずとびつき,そこから庇へ,そして屋根裏へと行ったものらしい。そこで植木屋さんに木の剪定を頼み,穴を塞いでもらったりしたので,とりあえずその後今のところは何とか無事である。一度庇から松にとび移る動物が見え,あっと思った時には消えていたが,猫よりも大きめの,あれがハクビシンだったのだろう。未練がましく古巣を偵察に来たのかもしれない。市役所で聞いたら,ハクビシンは特定外来有害鳥獣には指定されていないので,勝手に捕獲したりは出来ないとか。その後は実害のない事を祈るのみだが,何ともすっきりしない気持ちである。
 以前テレビで屋根裏にアライグマが入りこんだ家の騒動を放映していたが,我が仕事場もきっとあんなだったのだろう。笑い話ですまされる問題ではない,当事者にとっては深刻な話なのである。近くに余りお店もなくて不便ではあるが,静かで落ち着いて勉強できると思っていた住まいもよい事ばかりではないようで,神様はうまくバランスをとるようにしておられるらしい。今のところ無事なのは有難い限りなのだが,とに角老骨に鞭うって見廻りを続けるより他になさそうである。小家に行く道すがら,それほど遠くはない東の方に見える低い丘。彼らはまだあの辺に住んでいるのだろうか。お利口さんな彼らは,もう少し人里離れた所に移り住んでしまっているのかもしれない,などと考えながら,とうに九十を過ぎたおばあさんはてくてくと,いやとぼとぼと歩いている。
 話変わって,今私は幕末から明治にかけての曽祖父の記録を読んでいるが,加賀金沢ではその頃キツネやムジナ,カワウソなどがチョコチョコ出没してはわるさをして人間様をからかっていたらしい。嘉永三年の食祭(うかまつ)り(稲荷(いなり)様の祭り)の日に,家の雪隠(せっちん)に油揚げが置いてあり,これは多分キツネが見つからないように隠したのだろうと「ひめおきつ わが好物の揚げ豆腐 見あらわされてはもはやこんこん」と狂歌を詠んでいる箇所があった。ハクビシンに一言。どうか余り人様に迷惑をかけないように暮らして下さいね。――これにて一件落着とはいかないだろうが,とりあえずはめでたしめでたしということにしておこう。 
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