四国遍路は「只管打歩」(しかんたほ)の旅
押田 匡俊(東京都府中市)
昨年古希を迎えましたが,未だ老成にはほど遠い青さの抜けない老年未熟者というほろ苦さの中を生きています。63歳の時に,勤務生活から半ば身を引きましたが,その折に四国遍路を思い立ちました。あの弘法大師の拓かれた四国の修行道を,海沿いにまた山中深く入り込む道を,歩き貫きたいと思いました。
自分の未知の領域に触れて,自分は何者なのかを問う自分探しの旅でもありました。まだ肌寒い3月中旬の朝,徳島の第一番札所,霊山寺の門前に立ったときは緊張と不安で身の振るえる思いでした。白衣,菅笠,輪袈裟,金剛杖,経本,納め札,地図などを買い揃え,靴は登山靴,リュックに洗面具・下着・雨具という出立ちでした。菅笠には同行二人(いつでも弘法さまと二人連れ)と筆での大書があり,更に「迷うが故に三界は城 悟るが故に十方は空 本来東西無し 何処にか南北有らん」と記されています。迷えば周りは壁だらけ,悟れば天上大風,ひたすら道を歩みなさい というような意味でしょうか。心強いのは手に持つ南無大師遍照金剛の杖,四面に般若心経が書き込まれ,これを突きながら歩くと不思議に歩き易く,特に山道では正に金剛の友でした。遍路後に計ったら,何と30センチも短くなっていました。何しろ1300キロの歩行ですから。
最初の第一歩を踏み出した時,前途遼遠の感を深くし,東京〜九州間にも匹敵する距離を眩暈のする想いで不安の中での出立でした。
昔から「遍路転がし」と言われる山中の難所がいくつもあり,泣きながら這い上がることもありましたが,中でも12番焼山寺,21番太龍寺が,最初の阿波の国では屈指の難関でした。古杉が鬱蒼と繁る参道・遍路道には千数百年前の空海の時代を髣髴とさせる往古の深さ,静けさ,厳しさがありました。
禅の世界には「只管打座(しかんたざ)」という,ひたすら座り続けることで禅の三昧境を味わえるという言葉がありますが,遍路行では毎日,早朝から夕暮れまでひたすら歩くと「只管打歩(しかんたほ)」(造語)とでもいうべき三昧境に達することがありました。それは何も考えない,ひたすら足を交互に運ぶことの愉悦感とでもいうのでしょうか,心が無垢になり,無心になり,歩く楽しさが全身を浸してくれるような充実した不思議な気分になるのです。それは日を重ねるにつれ,毎日のように体感され遍路行に身を浸す喜びを味わいました。
阿波,土佐,伊予,讃岐と四国の広大さを感じつつ歩きましたが,なによりも歩き遍路を通して感動し続けたことは,四国の人々の心身に泌み渡っている「お接待」と呼ばれる喜捨行為でした。毎日のように道端で待ち受けて下さる方がいて,ある人はお菓子を,それも疲れを癒す黒砂糖を下さったり,果物を差し出されたり,1円玉を両手に一杯持って来られて,自分の代りにこれをお寺に納めてくれと頼まれたり,中には車で待ち設けて,米をポン菓子にしたものを袋に入れて頂いたりしました。軽くて腹の足しになり,エネルギー源にもなるこの心籠る好意には感泣する思いでした。更には昼食に立ち寄った食堂で,歩き遍路さんからはお金は頂けないとどうしてもお接待にして下さったりするのです。加領郷(かりょごう)という寂しい漁村を通った時に三人の老婆が日向ぼっこをしておられ,私の姿を見ると揃って手を合わせいつまでも礼拝されるのには恐縮しました。
遍路実施前に下調べはしていましたが,大半は遍路宿と呼ばれる昔ながらの旅館,その他民宿などに泊り,毎日欠かさず洗確をし,入浴,夕食,ほんの一献ですが般若湯も頂き,同宿の遍路あれば懇親する日々でした。中には後継者がいなくて休止中の宿もあり,宿泊に難渋することもありました。大体毎日30キロ程度を目安にして歩きました。四国ならではのことと思いますが,「善根宿」と呼ばれる全くの善意で無償で見ず知らずの遍路を泊めて食事を供して頂けるお宅が散見されるのには本当に驚きました。この行為は一年中毎日のことですから簡単に出来ることではありません。遍路道には道標がかなりこまめに設置されていて,そこに江戸期以来の無数の善意の奉仕者の存在を感じました。それと遍路道保存協力会編の「四国遍路ひとり歩き同行二人」の詳細な案内地図が懇切に道と宿を教えてくれました。遍路には必携のバイブルでした。
実質40日で完歩し,88番大窪寺に到着した時は思わずも涙が頬を伝い,結願を感謝したことでした。自分探しの旅でしたが,突然何かが悟れるというようなことではなく,自然に随順して歩き,人々の無数の好意に感涙し,自分ひとりの矮小さを実感したことが大きな収穫だったように思います。空海は地,水,火,風,空,識大(心)の六大が宇宙という生命体だ,草木にも岩にも土にも命があるのだと言いましたが,そこに人間世界と地球環境への今後のあり方が存問されているように思いました。人間の人間・自然界に対する自省と自制が地球を救う唯一の遍路道なのではないでしょうか。
「只管打歩」が四国遍路の私への大きな贈り物です。これからも無心にひたすら歩き続けられたらと思っております。
押田 匡俊(東京都府中市)
昨年古希を迎えましたが,未だ老成にはほど遠い青さの抜けない老年未熟者というほろ苦さの中を生きています。63歳の時に,勤務生活から半ば身を引きましたが,その折に四国遍路を思い立ちました。あの弘法大師の拓かれた四国の修行道を,海沿いにまた山中深く入り込む道を,歩き貫きたいと思いました。
自分の未知の領域に触れて,自分は何者なのかを問う自分探しの旅でもありました。まだ肌寒い3月中旬の朝,徳島の第一番札所,霊山寺の門前に立ったときは緊張と不安で身の振るえる思いでした。白衣,菅笠,輪袈裟,金剛杖,経本,納め札,地図などを買い揃え,靴は登山靴,リュックに洗面具・下着・雨具という出立ちでした。菅笠には同行二人(いつでも弘法さまと二人連れ)と筆での大書があり,更に「迷うが故に三界は城 悟るが故に十方は空 本来東西無し 何処にか南北有らん」と記されています。迷えば周りは壁だらけ,悟れば天上大風,ひたすら道を歩みなさい というような意味でしょうか。心強いのは手に持つ南無大師遍照金剛の杖,四面に般若心経が書き込まれ,これを突きながら歩くと不思議に歩き易く,特に山道では正に金剛の友でした。遍路後に計ったら,何と30センチも短くなっていました。何しろ1300キロの歩行ですから。
最初の第一歩を踏み出した時,前途遼遠の感を深くし,東京〜九州間にも匹敵する距離を眩暈のする想いで不安の中での出立でした。
昔から「遍路転がし」と言われる山中の難所がいくつもあり,泣きながら這い上がることもありましたが,中でも12番焼山寺,21番太龍寺が,最初の阿波の国では屈指の難関でした。古杉が鬱蒼と繁る参道・遍路道には千数百年前の空海の時代を髣髴とさせる往古の深さ,静けさ,厳しさがありました。
禅の世界には「只管打座(しかんたざ)」という,ひたすら座り続けることで禅の三昧境を味わえるという言葉がありますが,遍路行では毎日,早朝から夕暮れまでひたすら歩くと「只管打歩(しかんたほ)」(造語)とでもいうべき三昧境に達することがありました。それは何も考えない,ひたすら足を交互に運ぶことの愉悦感とでもいうのでしょうか,心が無垢になり,無心になり,歩く楽しさが全身を浸してくれるような充実した不思議な気分になるのです。それは日を重ねるにつれ,毎日のように体感され遍路行に身を浸す喜びを味わいました。
阿波,土佐,伊予,讃岐と四国の広大さを感じつつ歩きましたが,なによりも歩き遍路を通して感動し続けたことは,四国の人々の心身に泌み渡っている「お接待」と呼ばれる喜捨行為でした。毎日のように道端で待ち受けて下さる方がいて,ある人はお菓子を,それも疲れを癒す黒砂糖を下さったり,果物を差し出されたり,1円玉を両手に一杯持って来られて,自分の代りにこれをお寺に納めてくれと頼まれたり,中には車で待ち設けて,米をポン菓子にしたものを袋に入れて頂いたりしました。軽くて腹の足しになり,エネルギー源にもなるこの心籠る好意には感泣する思いでした。更には昼食に立ち寄った食堂で,歩き遍路さんからはお金は頂けないとどうしてもお接待にして下さったりするのです。加領郷(かりょごう)という寂しい漁村を通った時に三人の老婆が日向ぼっこをしておられ,私の姿を見ると揃って手を合わせいつまでも礼拝されるのには恐縮しました。
遍路実施前に下調べはしていましたが,大半は遍路宿と呼ばれる昔ながらの旅館,その他民宿などに泊り,毎日欠かさず洗確をし,入浴,夕食,ほんの一献ですが般若湯も頂き,同宿の遍路あれば懇親する日々でした。中には後継者がいなくて休止中の宿もあり,宿泊に難渋することもありました。大体毎日30キロ程度を目安にして歩きました。四国ならではのことと思いますが,「善根宿」と呼ばれる全くの善意で無償で見ず知らずの遍路を泊めて食事を供して頂けるお宅が散見されるのには本当に驚きました。この行為は一年中毎日のことですから簡単に出来ることではありません。遍路道には道標がかなりこまめに設置されていて,そこに江戸期以来の無数の善意の奉仕者の存在を感じました。それと遍路道保存協力会編の「四国遍路ひとり歩き同行二人」の詳細な案内地図が懇切に道と宿を教えてくれました。遍路には必携のバイブルでした。
実質40日で完歩し,88番大窪寺に到着した時は思わずも涙が頬を伝い,結願を感謝したことでした。自分探しの旅でしたが,突然何かが悟れるというようなことではなく,自然に随順して歩き,人々の無数の好意に感涙し,自分ひとりの矮小さを実感したことが大きな収穫だったように思います。空海は地,水,火,風,空,識大(心)の六大が宇宙という生命体だ,草木にも岩にも土にも命があるのだと言いましたが,そこに人間世界と地球環境への今後のあり方が存問されているように思いました。人間の人間・自然界に対する自省と自制が地球を救う唯一の遍路道なのではないでしょうか。
「只管打歩」が四国遍路の私への大きな贈り物です。これからも無心にひたすら歩き続けられたらと思っております。
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