○東日本大震災私は忘れない
改めて3.11を思う
原田 健作(神奈川県秦野市)
東日本大震災は日本列島の東側にある太平洋プレートと北米プレートのぶつかり合いで起きた典型的な海溝型の地震であった。2011年3月11日,午後2時46分,宮城県牡鹿半島の東南東,約130キロの海底で初めにマグニチュード8.8という巨大地震が起こり,それが引き金となったのか,引き続いてすぐ南側の海底で同じ規模の地震が2つ連続して起こった。結局,3つの地震によって破壊されたプレートは,南北500キロ,東西200キロと非常に広範囲となった。これに追い打ちをかけた津波の被害と原子力発電所の事故は,マグニチュード9.0という未曽有の大地震をかすませてしまう程,衝撃的であったことは論を待たない。
運命の3月11日,定年退職していた私は,いつものように図書館に行き,読書していた。午後2時を大分回った頃,いきなりの激しい横揺れに肝を冷やした。それがすぐに収まるどころか,どんどん強まって行くように感じた。天井の蛍光灯が消え,薄暗い部屋の中,ゆっさ,ゆっさと机が揺れ,建物全体が揺さぶられ,天井のボードが剥がれ落ちるのではないかと恐怖を覚えた。揺れが収まったら廊下に出ようと思ったがいつまで経っても収まらない。他の人たちも一様に顔が強張っている。乗り物に乗っていないのに乗り物酔いになりそうな気持ちの悪い, 振幅の大きな揺れであった。日本のどこかで,とてつもなく大きな地震が発生したに違いないと直感的に思った。館内放送が流れ,宮城県沖で巨大地震が起きたことを告げた。 ようやく揺れが収まり,廊下に出た。揺れていた時間は6分程度であったらしいが,私にはその何倍にも感じられた。ラジオのニュースが流され地震より更に深刻な津波の到来を生々しく伝えるアナウンサーの引きつった声に息を吞んだ。気仙沼市や釜石市の町の何もかもが根こそぎ持っていかれてしまう現実を突きつけられても素直には信じられなかった。ただ津波の威力がこれほど強烈だとは想像もつかなかった。家に帰ってテレビでニュースを見たが,その酷さに妻と二人,声を上げることも出来なかった。日本は昔から災害列島と呼ばれ,常に国のどこかの地域で自然災害が起こり,我々は生活の知恵としてその猛威にまともに立ち向かわず,うまくかわし共存していく術を身に付けたと思い込んでいたが,そういう甘い考えは木っ端微塵に砕かれた。その時点では,地震の悲劇はまだ序章であった。 福島第一原子力発電所では地震による原子炉の自動停止後,津波により非常用電源を全て喪失し,1~3号機が炉心溶融となった。事態を深刻化させたのが水素爆発であった。これによって注水作業が大幅に遅れ,更に大気中に放射性物質が大量に飛散してしまった。原発事故さえなければ7年経った今,復興が軌道に乗り被災地に活気が戻っていただろう。居住困難地域,帰還困難区域は今なお立ち入ることの出来ない忘れられた地域であり,豊かで広大な緑の大地であった福島県内各地はいまだ除染作業の最中にある。避難所から自宅へ戻れない人もまだかなりいて最愛の家族を失い,避難所生活に馴染めず多くの人々が痛みを抱えて生きている。この人たちの痛みを時間が解決してくれることは決してない。苦しいこと,悲しいことは忘れなければ生きて行けないが,この地震の教訓は後世に何としても伝えなければならない。今一度3.11を考え,思うところを述べてみたい。
①自然災害が常態化し,防災対策が最も行き届いている日本で起きた大規模災害であることが大問題である。地震の規模,津波の大きさ,いずれも想定外で,東電・福島第一原子力発電所が外部電力を喪失しカラ炊きによるメルトダウンを起こし原子力安全神話が崩壊した。東京電力,政府は勿論,我々にも過信はなかっただろうか。毎年,時間も金もかけて防災訓練を一生懸命やっているのにその成果を活かせなかった。
②広域災害で死者,行方不明者合わせて1万8千人を超え,その90%が津波によるものだった。避難者は地震の直接の被害よりも二次災害の原発による避難の方が圧倒的に多く,今なお12万人が仮設住宅での生活を余儀なくされている。
③ライフライン寸断,鉄道,道路破断により東北地方が長らく他の地域から孤立状態に陥った。地震の規模が大きすぎて行政機能の麻痺したところが続出して,公の避難所が,かえって危険地域となってしまった。また震源地から遠く離れた地域でも液状化の被害が起こり居住不能の住居や通行不能の道路が数多く出現した。
④世界史上,最も被害額の大きい地震被害となった。政府発表による直接経済被害額は17兆円であった。
⑤防災に対する考え方を見直すきっかけになった。今までのように万里の長城のような防潮堤を築いて災害を抑え込むことだけ考えていても問題は解決しない。自然災害は防災と減災の両面から対応すべきであることに気付かされた。
改めて3.11を思う
原田 健作(神奈川県秦野市)
東日本大震災は日本列島の東側にある太平洋プレートと北米プレートのぶつかり合いで起きた典型的な海溝型の地震であった。2011年3月11日,午後2時46分,宮城県牡鹿半島の東南東,約130キロの海底で初めにマグニチュード8.8という巨大地震が起こり,それが引き金となったのか,引き続いてすぐ南側の海底で同じ規模の地震が2つ連続して起こった。結局,3つの地震によって破壊されたプレートは,南北500キロ,東西200キロと非常に広範囲となった。これに追い打ちをかけた津波の被害と原子力発電所の事故は,マグニチュード9.0という未曽有の大地震をかすませてしまう程,衝撃的であったことは論を待たない。
運命の3月11日,定年退職していた私は,いつものように図書館に行き,読書していた。午後2時を大分回った頃,いきなりの激しい横揺れに肝を冷やした。それがすぐに収まるどころか,どんどん強まって行くように感じた。天井の蛍光灯が消え,薄暗い部屋の中,ゆっさ,ゆっさと机が揺れ,建物全体が揺さぶられ,天井のボードが剥がれ落ちるのではないかと恐怖を覚えた。揺れが収まったら廊下に出ようと思ったがいつまで経っても収まらない。他の人たちも一様に顔が強張っている。乗り物に乗っていないのに乗り物酔いになりそうな気持ちの悪い, 振幅の大きな揺れであった。日本のどこかで,とてつもなく大きな地震が発生したに違いないと直感的に思った。館内放送が流れ,宮城県沖で巨大地震が起きたことを告げた。 ようやく揺れが収まり,廊下に出た。揺れていた時間は6分程度であったらしいが,私にはその何倍にも感じられた。ラジオのニュースが流され地震より更に深刻な津波の到来を生々しく伝えるアナウンサーの引きつった声に息を吞んだ。気仙沼市や釜石市の町の何もかもが根こそぎ持っていかれてしまう現実を突きつけられても素直には信じられなかった。ただ津波の威力がこれほど強烈だとは想像もつかなかった。家に帰ってテレビでニュースを見たが,その酷さに妻と二人,声を上げることも出来なかった。日本は昔から災害列島と呼ばれ,常に国のどこかの地域で自然災害が起こり,我々は生活の知恵としてその猛威にまともに立ち向かわず,うまくかわし共存していく術を身に付けたと思い込んでいたが,そういう甘い考えは木っ端微塵に砕かれた。その時点では,地震の悲劇はまだ序章であった。 福島第一原子力発電所では地震による原子炉の自動停止後,津波により非常用電源を全て喪失し,1~3号機が炉心溶融となった。事態を深刻化させたのが水素爆発であった。これによって注水作業が大幅に遅れ,更に大気中に放射性物質が大量に飛散してしまった。原発事故さえなければ7年経った今,復興が軌道に乗り被災地に活気が戻っていただろう。居住困難地域,帰還困難区域は今なお立ち入ることの出来ない忘れられた地域であり,豊かで広大な緑の大地であった福島県内各地はいまだ除染作業の最中にある。避難所から自宅へ戻れない人もまだかなりいて最愛の家族を失い,避難所生活に馴染めず多くの人々が痛みを抱えて生きている。この人たちの痛みを時間が解決してくれることは決してない。苦しいこと,悲しいことは忘れなければ生きて行けないが,この地震の教訓は後世に何としても伝えなければならない。今一度3.11を考え,思うところを述べてみたい。
①自然災害が常態化し,防災対策が最も行き届いている日本で起きた大規模災害であることが大問題である。地震の規模,津波の大きさ,いずれも想定外で,東電・福島第一原子力発電所が外部電力を喪失しカラ炊きによるメルトダウンを起こし原子力安全神話が崩壊した。東京電力,政府は勿論,我々にも過信はなかっただろうか。毎年,時間も金もかけて防災訓練を一生懸命やっているのにその成果を活かせなかった。
②広域災害で死者,行方不明者合わせて1万8千人を超え,その90%が津波によるものだった。避難者は地震の直接の被害よりも二次災害の原発による避難の方が圧倒的に多く,今なお12万人が仮設住宅での生活を余儀なくされている。
③ライフライン寸断,鉄道,道路破断により東北地方が長らく他の地域から孤立状態に陥った。地震の規模が大きすぎて行政機能の麻痺したところが続出して,公の避難所が,かえって危険地域となってしまった。また震源地から遠く離れた地域でも液状化の被害が起こり居住不能の住居や通行不能の道路が数多く出現した。
④世界史上,最も被害額の大きい地震被害となった。政府発表による直接経済被害額は17兆円であった。
⑤防災に対する考え方を見直すきっかけになった。今までのように万里の長城のような防潮堤を築いて災害を抑え込むことだけ考えていても問題は解決しない。自然災害は防災と減災の両面から対応すべきであることに気付かされた。
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