有限会社 三九出版 - 奈良県五條市本陣交差点の道しるべ ⑵


















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☆《自由広場》

                   ○「天誅組の変」こぼれ話○

          奈良県五條市本陣交差点の道しるべ ⑵

              岡本 崇(京都府木津川市)

(〈道しるべ建立に協賛した人びと〉前号の続きである。)
⑦中村甚右ヱ門…五條市野原中村地区の薬師寺の傍らしいが転居され不詳。 
⑧芳田治左ヱ門…五條市霊安寺の芳田家の本家。岡本崇と五條高校の同期であった芳田秀樹の先祖。1700年に分家した,芳田助二郎の妻は,西新子の岡本タミ(4代目岡本徳兵衛の妹)。「道しるべ」が建てられたのはタミが52歳の時。天誅組軍医,井澤宜庵の妻,岡田禮以(4代目岡本徳兵衛の弟の娘)は,タミの姪。私の高校卒業時,同じクラスに8名しかいなかった女性の中の2人までもが,この芳田家とご縁があった。私が東京在住時(昭和58年頃),西新子の実家に,「タミ」の100回忌法要の報告に芳田という方が来られたと聞いていたのが頭に残っていたが,これも今回,この「道しるべ」解読の大きな契機となった。 
⑨岡田重右ヱ門…五條市霊安寺。岡田光弘家も昔は芳田(総本家)と云ったが,多田満仲の子である源頼光か源頼親(大和の守)に岡田と名乗るように言われた。因みに,西吉野町夜中の光源寺は1595年,浄久上人の開基。浄久は源頼親の子孫源有冶十三世の孫。光明寺がある西新子は夜中からの分村である。
⑩山田藤右ヱ門…五條市霊安寺。山田泰三家の先祖と思われる。先祖は地主で金融業を営んでいた。
⑪紙屋又市…五條市北之町の人。詳細は「道しるべ」に記載がある(前号参照)。下辻家本家の下辻又市のこと。1849年の地図を見ると,今の本陣交差点中央部にあった紙屋又市家の右隣に,当麻屋七兵衛貸家・岡屋重次郎貸家・松屋久吉家と並んでいるが,西新子の岡本家(油徳)の本家が松屋で,分家が岡屋と称していたが,関係は不詳。五條市の酒造業,㈱山本本家は宝永年間に初代,当麻屋七兵衛が創業した。
⑫分家(紙屋)又七…五條市北之町の人。元々は木綿問屋と聞くが,紙やお茶も扱った模様。森田節斎(五條市出身の儒学者)に学び,尊攘派志士の梅田雲浜(小浜藩出身の儒学者)と交わる。雲浜は十津川村に多大の影響を与えた人。現在「道しるべ」のある所の家には,分家(紙屋)又七の子孫,下辻常之が住んでおられる。因みに,この下辻家は、岡本崇の義兄の母の出里でもある。
⑬金芝山人林辰…「道しるべ」に経緯を書いた五條市の人(1796年~1868年)。明治元年に72歳で逝去。金芝山人林辰=小林金芝(道隆)=小林辰。小林家は代々医を業とした。森田節斎,梅田雲浜,吉田松陰(長州藩士),大槻磐渓(仙台藩士),紙屋(下辻)又市などと交流があった。墓は五條市内の「極楽寺霊園」にある。この小林家は金芝山常楽院(菩提寺)の前の道路を隔てた所にあった。
金芝山常楽院には,天誅組に軍医として乾十郎とともに参加した,井澤宜庵と妻,岡田禮以(れい)の二人の名前が刻まれた石碑がある。禮以の実家(西吉野町の岡田家)は,岡本徳兵衛家(天誅組が白銀岳に本陣を置いた時は宿舎となり,馬も預かり,兵糧米受領に対する中山忠光卿の証文を3通頂く)の分家。逃亡中の井澤宜庵(森田節斎・頼山陽に学び,親子二代の医者。梅田雲浜と交わる)を岡本家で匿ったとも聞く。その同じ寺内には,櫻井晃二家の墓石があるが,晃二の祖父の貫一が常楽院再興に貢献。その縁で,晃二の父(勉)で朝日新聞の大和柳檀で選者を務めた櫻井思案坊の戒名は「常楽院徳寿法円居士」。この思案坊の「文台節に就いて」というメモの中には次のような,注目すべき文節がある。「幕末に志士が幕府の目をのがれて五條の同志とひそかに交流し或は詩を賦し囲碁をたたかわし歌を作るなど、風流な身を壮して世間の目を誤魔化したもので、志士の間には都々逸をよくするものもありて、時に会を催したもので、その時にこの文台節を唄ったものと聞き伝えられている。勿論誰が節をつけたものかは判らない。」因みに,この櫻井一族からは西吉野町の岡田家(禮以の弟)に嫁いでいる。
「道しるべ」には「四国道」という記載もあるが,奈良時代の南海道は,五條市から県境の真土峠を越えて,橋本市や,かつらぎ町を通り,和歌山市の加太(かだ)から海を渡って淡路国へ至った。この「加太」は淡路島に近く,四国・九州への交通の要所。昭和20年代の話だが,「加太」から西吉野の山奥まで,鮮魚を担いで売りに来る人がいて,「加太のおっちゃん」と呼ばれて親しまれていた。「明治維新の発祥の地」と呼ばれる五條市に於いては,倒幕の狼煙を上げる数年も前から,いろいろと手が打たれていたのであろう。本陣交差点の「道しるべ」もまた,「文台節」と同じ類であり,「明治維新」を指し示す「道しるべ」と考えると大変興味深い。
*本陣交差点(ほんじんこうさてん):五條市須恵1丁目にあり,国道24号・168号・310号が合流する交通の要所。「道しるべ」は,210㎝×36㎝×36㎝。    (了)
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