有限会社 三九出版 - バーミアンの石仏


















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バーミアンの石仏
鈴木美恵子(埼玉県川越市)

1970年,27歳の私は退職金で買ったニコンを手にシルクロードを旅した。アフガニスタンのバーミアンも訪れる機会に恵まれ,首都カブールから車で13時間,悪路と格闘しながら走った。車窓からは果てしない地平線,ポツンポツンと点在する遊牧民の黒テントや,ラクダの背に家財や子供を乗せて移動する家族等が見られた。
ようやく辿り着いたバーミアンは,四方をぐるりと丘に囲まれた美しい緑の谷だった。流れる小川,豊かに実った作物,大人も子供も総出で農作業をしている平和な風景。往路の荒涼たる様子に比べ,まさに桃源郷という感じがした。簡素だが清潔なホテルが一軒,ここに泊った。
バーミアンの石仏は高さ約60m。切り立った赤茶色の岩壁にレリーフのように彫られている。足元に立つとのしかかってくるようで,大きさが途方もないものであることを感じた。すでに指先と顔は削ぎ落とされていたが,人を包み込むような温かさに満ちていた。石仏の胎内には階段があり,胸の部分まで登るとそこは広い部屋になっていた。くり抜かれた窓を覗くと,点在する農家,緑の畑や並木。バーミアンの谷が一望できた。階段が導く幾つかの部屋は壁画で飾られていた。彩色は少し剥落しているが躍動感あふれる飛天が描かれていた。離れたところにもうー体小さめの石仏があり,地元の人々はこれをママ,大きい方をパパと呼び「自分達は仏教徒ではないが石仏を誇りに思っている」と胸を張った。石仏に託された制作者の心が見事に表現されている証であろう。宗教さえも超えた表現の力というものを感じた。そしてその当時,アフガンには学校も病院も店も畑も健在だったし,何よりも発展への希望があった。
それが今,石仏をはじめそれらは後の為政者によって破壊された。アメリカを中心とする世界も武力という誤った手助け(広範囲にわたる,恒常的な武力行為は新しい戦争類型に他ならない)はしているが文化を豊かにする支援はしていない。医療や教育,福祉,建設などの国際貢献こそ平和と文化を作り,守る近道でありましょう。
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