有限会社 三九出版 - アドリア海の真珠,ユーゴスラビア・ドブロブニクの国際会議


















トップ  >  本物語  >  アドリア海の真珠,ユーゴスラビア・ドブロブニクの国際会議
☆mini ミニJIBUNSHI 

             ☆超音波医学国際会議出席異聞(18) 
    アドリア海の真珠,ユーゴスラビア・ドブロブニクの国際会議 

         和賀井 敏夫(神奈川県川崎市) 

最近はクロアチアと言えばサッカー強国として,またドブロブニクやザグレブなど観光地としても有名になってきたが,ここに紹介するのは,1989年の内戦により,ユーゴスラビアがクロアチアなど6か国に分裂するより10年ほど前の話である。
1979年初め,ザグレブ大学のクーリャック教授から,同年9月にドブロブニクで国際超音波診断シンポジウムを開催するので,講師として出席してほしいとの招待を受けた。 当時クーリャック教授は産婦人科超音波診断研究において活発な活動を示し,欧州において頭角を現してきており,私も彼とは親交があった。しかし当時は,同年7月の私が主催する日本での世界超音波医学連合大会の準備に忙殺され,考える余裕もなかった。また1974年の初めての共産圏ルーマニア訪問の恐怖が思い出され,あまり気が進まなかった。しかし,クーリャック教授の強い要請もあり,また今回の国際シンポジウムが開催されるドブロブニクは,「アドリア海の真珠」と呼ばれる景勝の地であると聞かされていたことなどから,招待を受諾したのであった。
9月28日,アリタリア航空の南回りで成田空港出発,ローマ空港を経由してアドリア海を越え,対岸のユーゴスラビアのドブロブニク空港に到着した。当時,ユーゴスラビアは共産圏に属しているものの,チトー元帥の指導により,西側に門戸を開く独特な政策を取っていた。このため空港での入国管理や税関での係官の態度が,予想外に親切であったことには驚くと同時に,西欧人の観光に人気あることが理解された。夜遅く会議が行われるエクセルシオールホテルに到着,ロビーで会長のクーリャック教授夫妻の出迎えを受け,相擁して再会を喜び合った。部屋はリゾートホテルらしく,清楚な雰囲気には好感が持たれた。
翌朝,ベランダに出ると眼前に深緑の美しいアドリア海が広がり,右手に歴史的なドブロブニク城が眺められる絶景には,思わず歓喜の声を挙げたほどだった。朝食にレストランに行くと,多くの旧知の友人の歓迎を受けたのは嬉しかった。食後,早速会議事務員の案内で, 歴史的なドブロブニク城を見学した。ホテルから歩いて数分で,中世期の城壁に囲まれたドブロブニク城に着いた。この城壁は15世紀頃に造られた典型的な都市国家で,後年世界遺産に登録されたものである。城内に入ると,多くの美しい聖堂,宮殿,住宅や石畳の道など,歴史的な中世の町並みを現在までそのまま保存し使用している風景は感動的だった。メインストリートのプラッア通りの石畳は,革靴で歩いても頭に響かないように独特の柔らかい石が使用されているので,長年の多くの歩行者のために石畳の角が丸くすり減っていること,またこのメインストリートの両側の建物は絵の遠近手法に沿って実際に設計されているので,町が実際より大きく見えるなどの説明に感心した。街を取り巻く城壁に登ってみた。城壁の全周は約2キロ,幅約2~3メートル,崖に沿って上り下りがあるなど,中国の万里の長城のミニチュア版という感じだった。しかも,海側の城壁は絶壁の上に造られており,城壁の処所の堡塁には中世の古い大砲が良く手入れされて,深緑のアドリア海に向かって並んでいる風景は正に絵の如き絶景だった。
翌朝,9時,主に欧州各国からの参加者300名が出席して,開会式が行われた。日本人の参加は私一人だった。クロアチアの郷土音楽の演奏後,会長のクーリャック教授の開会の挨拶があり,次いでユーゴスラビア超音波医学会の名誉会員証授与式が行われた。英国,豪州の先生方に続いて,私も名誉会員証を受けたのは,事前に何の連絡も無かっただけに感激だった。この会議は世界的な学者が講師となる教育講習会のような性格のもので,私は乳癌と肝臓癌の超音波診断の2題の講演を行った。
会議の期間中,初日の夕べには,ドブロブニク城内の宮殿での民族音楽と舞踊に招待された。宮殿の屋上が会場となっており,降るような満天の星の下,素晴らしいクロアチア伝統の音楽と民族衣装での踊りと唄を楽しんだ。会議3日目は,全員終日のフィッシュピクニクに招待された。 午前9時, 会議貸切りの遊覧船で出航,美しい島々の景色を眺めながら,約2時間で小さな美しい島に到着した。桟橋の近くの木造の小屋での焼き魚とワインの食べ飲み放題や水泳や散策などを楽しんだ。その内,ヌーディストビーチ行きの小さい船が出発するとのアナウンスには驚いてしまった。旧知の先生方ご夫妻がニコニコ手を振りながら出発して行くのを見て,欧州とくに共産圏におけるヌーディスト運動の普及には驚き,日本人の感覚とかなり違うものが感じられた。
10月5日,シンポジウムの閉会式が行われた。その約12年後の1991年,ユーゴ内戦の折にこの美しいドブロブニク城が砲撃により破壊される様子をテレビで見て心を痛めたが,その後,復旧されたと聞いてほっとしている。 
投票数:35 平均点:10.00
前
天災,人災,そして「権力災」
カテゴリートップ
本物語
次
人事を尽して天命を待つ

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失