有限会社 三九出版 - 大震災の記憶の風化を恐れて


















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☆東日本大震災私は忘れない 
             大震災の記憶の風化を恐れて 
             菊地 文武(宮城県山元町) 
私の家は,仙台平野最南部の海岸線から約1200mの所にあります。当然,巨大津波に飲みこまれましたが,“恥ずかしながら”早く逃げたので,私たち夫婦もすぐ近くに住む次男一家も犠牲にならずに済みました。ここで“恥ずかしながら”と書いたのは,自分たちが避難する時,道路際の広場に集まって危険に気づかずにおしゃべりをしている人たちに「逃げろ」と叫ばなかったからです。彼らを見た時,「津波が来そうだ。逃げろ」と叫ぶのが,避難行動の基本でした。
2011年3月11日の午後,居間でくつろいでいると,突如,地鳴りを伴う激震に襲われました。 70年の人生では経験のない強さと長さの地震でした。 時計を見ると2時46分,大津波の可能性があると感じました。私は2001年の3月まで,高校の地理教師でした。授業の「世界の大地形」という単元では,7・8時間をかけて,世界の地震帯・火山帯・大山脈・海溝を語り,1980年頃からは,プレートテクトニクスの解説にも力を入れていました。それで,海底下で巨大地震が起こると巨大津波が発生する場合が多いと思うようになっていました。2009年頃,地方紙の「河北新報」に貞観11年(869年)の津波についての紹介記事が大きく掲載されたことなども覚えています。 その頃, 災害時の避難路を示した印刷物が町から配布されたのも記憶しています。しかし,人々の記憶には残らなかったようです。
強震が収まるとすぐ,私たち夫婦は近くの息子の家に行き,嫁さんと孫(13か月)を車に乗せ,3㎞西方の高台にある役場の広場に向かいました。ぶら下がる電線や倒壊したブロック塀などをよけながら,丘陵上の役場広場に着いたのは3時10分頃だったと思います。広場に来ていた車は2・3台だけでした。しばらくすると顔見知りの役場職員の若者の車が3・4台,浜に向かって行きました。広報用の設備が地震で壊れたので, 浜方面に広報に向かったのです。 彼らは帰らぬ人になりました。その後,2・30分して,次々と車が入ってきました。私たちは,13か月の孫を保健センターに入れてくれるよう折衝したりしていました。突然,「津波だ」と叫ぶ声を聞いて広場の東側斜面の上に行ってみると,丘陵の麓にある集落から約400m辺りから先は水没していました。3㎞先の海岸の松林も見えません。松の大木の上の方だけが所々で顔を出しています。静かな湖みたいで,水が渦巻いて山元町で700名以上の犠牲者(町外者も含む)がもがき苦しんだあげく眠ることになった場所には見えませんでした。私たちはその湖を茫然と見ていました。
あの日から5年半,山元町の新市街地は一部を除いて完成しようとしています。鉄道も12月10日に復旧開通します。これからは,日本の中での位置づけを探りながら復興への道を辿る段階に入ろうとしています。同時に,東日本大震災で被災した私たちの町も大きな役割をも担っていかなければならないと思います。本稿のここまでの部分で,間接的に触れましたが,今,巨大津波の犠牲と被害の経験は風化して日常の中に埋没しようとしています。今回の東日本大震災から,東北地方太平洋側に関しては,弥生時代の紀元前150年頃以後,巨大津波が3回発生したことが判明しました。紀元前150年頃の弥生の巨大津波,869年(平安時代前期,貞観11年)の巨大津波,1611年(近世の慶長11年)の慶長三陸大津波,そして2011年3月11日の東北大震災津波です。それぞれの間隔は,1019年,742年,400年です。東北地方での巨大地震の間隔は,年を追うごと,狭まっているように見えます。日本では,今騒がれている関東地方・東海地方・四国地方をはじめ,各地に巨大地震の危険が潜んでいます。
巨大津波による災害は,台風のように毎年ではありません。巨大津波は,基本的には100年以上の間隔を置いて沿岸部のみで生じる大災害です。数十年経つと居住者の顔ぶれも違っています。新しい居住者には,対処法について学習する機会はありません。100年もすると,巨大津波による犠牲と被害の記憶は間違いなく風化してしまいます。だとすると,国家的プロジェクトとして,被災地に生じた諸情報を国内だけでなく世界中に発信し続けるしかありません。世界中の常識になれば未来の人々も,巨大津波の実相をインプットできると考えます。
日本は環太平洋造山帯に位置する国々の一つです。日本の国土自体が大山脈で,火山が多く,前面には地震の巣ともいえる海溝があります。このような日本で生起する地震・火山の大噴火・巨大津波を止めることはできません。減災に努めることしかできません。アルプス=ヒマラヤ造山帯にある国々も同様です。このような造山帯にある国々との交流・提携も日本国内での風化防止に役立つはずです。
手段・方法はともあれ,大震災の記憶の風化防止は犠牲者の魂を鎮め,将来の人々の命を守る礎となることを忘れてはならないと思っています。 
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