☆《自由広場》
学生時代の仲間と熊野古道へ
早坂 統行(神奈川県川崎市)
毎年大学時代の下宿仲間の集まりを行っている。年によって参加できない人がいたりしても卒業以来70歳を超えた今まで永年続いている。昨年は,サミット開催予定の伊勢志摩か世界遺産の熊野古道かで迷ったが,“熊野古道に挑戦”に決定した。
10月29日,1日目の朝,自宅最寄りの駅5時の始発電車で新横浜に行き,新幹線「のぞみ」に乗り換えて京都に向かう。京都駅構内で京都のA君と静岡から来たB君の2人と合流。3人ともそれぞれに1年ぶりの再会だが,互いにその1年間のブランクを感じることなく,つい先日会ったばかりのような気持ちで軽く挨拶を交わし,特急「くろしお」に乗り込み紀伊勝浦へ向かう。
車中,早速に,京都駅の売店で調達した缶ビールで再会に乾杯。好天の下すばらしい景色を眺めながら昔話に花が咲く。誰それは奥さんの体調が悪くて不参加とか,本人の都合がつかず不参加と,参加者が減る傾向にあるこの会のメンバーの情報交換や,毎年と同様に今年も,熊野古道の企画をし,ガイドもしてくれるA君のお陰でこの会が長続きしていることへの感謝の言葉などを挟んで,この会のこれまでの思い出や学生時代の話など,話題は尽きない。
10月30日にラストランとなる特急「くろしお」は駅のホームや沿線脇でのカメラフラッシュを浴びながら紀伊半島を走り,海豚の捕獲で有名になった太地を過ぎ,京都から4時間以上かかって紀伊勝浦に到着。ここでもう1人,三重から来たC君と合流し,再会を喜び合う。予定通りに4人が揃ったところでバスに乗り換えて,熊野那智大社の入口大門坂に到着。日頃鍛えたはずの健脚で熊野古道に挑戦するが,石段の登りがかなり厳しい。途中で擦れ違った女性からの「あまり石段が長いので登るのを止めました」という一言で疲れがドッと出る。特に疲れたB君は近道して那智の滝を眺められる場所に移動し,他の3人は熊野那智大社・青岸渡寺を見学参拝して,三重塔から那智の滝を見る。 朱塗りの社と緑と白い滝のコントラストが実にすばらしかった。「時間をかけて見に来た甲斐があった‼」と感激。東京近辺の観光地と比べると落ち着いた観光地の印象を受け,嬉しかった。
バス・電車で勝浦のホテルに夕暮れ前に入り,海を眺めながらゆったり露天風呂を楽しんだ。気分よく風呂から上がり,テーブルに銘々盛り付けられた品々を頂き食事も楽しんだ。ここでも昔話に花が咲く。最近,ラグビーが話題になっているが,学生時代はラグビー部であったA君の合宿中に経験した事故の話や,B君の数年越しの相続問題が解決した話など,これまで知らなかった古くて新しい話,懐かしい話が限りなく出てくる。ロビーでの二次会でもそれが続く。しかし何故か,今日見て感動したはずの熊野那智大社や那智の滝はほとんど話題にならない。ただ,以前と比べて最近は病気と終活の話が多くなってきている。やはり高齢者の集いのせいであろう。
翌30日は近場のクルージングも含めて検討したが,勝浦駅からバスで行き,バス停から歩く道が平坦で距離も短い熊野速玉大社の参詣に決めた。かつて読んだことのある田辺聖子著『古典まんだら』の「古事記」に「熊野に上陸した神武天皇はヤタガラス(八咫烏)に先導され大和の国に入る」と書いてあったが,熊野速玉大社のパンフレットにも「熊野大社のお使いである三本足の「八咫烏」は神武天皇が熊野山中で道に迷われた時、大和の国に入る道案内をつとめたといわれています。」と書いてある。私は今後の人生を誤まらずに歩めるよう,その道案内を神鳥「八咫烏」に祈願した。
熊野速玉大社参詣後,熊野神宝館を覗き新宮駅まで歩き帰路に就いた。C君は1番線の特急「くろしお」で三重方面に,他の3人は2番線の特急「くろしお」で新大阪に向かう。今日も「くろしお」はラストランフラッシュを浴びながら走る。車中,新宮駅前で調達したさんま寿司とビールを肴に,今回の熊野古道のことや学生時代のこと,これまでの集まりに関する話など,思い出話は続く。よくもまぁ話の種がつきないものと思うが,これも約半世紀続いたつき合いとそれだけ長く生きてきたことの証であろう。
新大阪駅で2人と別れ,新幹線に乗り換えて新横浜に向かう。独りリクライニングシートを倒して体を休め,「今回も実に楽しい旅だった‼」と3人の顔を思い浮かべながら感慨にふけった。……元々は自分の下宿や隣の下宿,それに同級生だけでなく先輩も混じってスタートした会である。「血肉分けたる仲」ではないがやはり同じ釜の飯を食った同士という無意識の中の意識, 会えば気持ちは何十年も前にタイムスリップする。メンバー本人,家族の事情もあって参加者が減少し,会の継続が難しくなってくるが,自分は“若返りの薬”でもあると信じて次回の集まりも提案しよう……。
学生時代の仲間と熊野古道へ
早坂 統行(神奈川県川崎市)
毎年大学時代の下宿仲間の集まりを行っている。年によって参加できない人がいたりしても卒業以来70歳を超えた今まで永年続いている。昨年は,サミット開催予定の伊勢志摩か世界遺産の熊野古道かで迷ったが,“熊野古道に挑戦”に決定した。
10月29日,1日目の朝,自宅最寄りの駅5時の始発電車で新横浜に行き,新幹線「のぞみ」に乗り換えて京都に向かう。京都駅構内で京都のA君と静岡から来たB君の2人と合流。3人ともそれぞれに1年ぶりの再会だが,互いにその1年間のブランクを感じることなく,つい先日会ったばかりのような気持ちで軽く挨拶を交わし,特急「くろしお」に乗り込み紀伊勝浦へ向かう。
車中,早速に,京都駅の売店で調達した缶ビールで再会に乾杯。好天の下すばらしい景色を眺めながら昔話に花が咲く。誰それは奥さんの体調が悪くて不参加とか,本人の都合がつかず不参加と,参加者が減る傾向にあるこの会のメンバーの情報交換や,毎年と同様に今年も,熊野古道の企画をし,ガイドもしてくれるA君のお陰でこの会が長続きしていることへの感謝の言葉などを挟んで,この会のこれまでの思い出や学生時代の話など,話題は尽きない。
10月30日にラストランとなる特急「くろしお」は駅のホームや沿線脇でのカメラフラッシュを浴びながら紀伊半島を走り,海豚の捕獲で有名になった太地を過ぎ,京都から4時間以上かかって紀伊勝浦に到着。ここでもう1人,三重から来たC君と合流し,再会を喜び合う。予定通りに4人が揃ったところでバスに乗り換えて,熊野那智大社の入口大門坂に到着。日頃鍛えたはずの健脚で熊野古道に挑戦するが,石段の登りがかなり厳しい。途中で擦れ違った女性からの「あまり石段が長いので登るのを止めました」という一言で疲れがドッと出る。特に疲れたB君は近道して那智の滝を眺められる場所に移動し,他の3人は熊野那智大社・青岸渡寺を見学参拝して,三重塔から那智の滝を見る。 朱塗りの社と緑と白い滝のコントラストが実にすばらしかった。「時間をかけて見に来た甲斐があった‼」と感激。東京近辺の観光地と比べると落ち着いた観光地の印象を受け,嬉しかった。
バス・電車で勝浦のホテルに夕暮れ前に入り,海を眺めながらゆったり露天風呂を楽しんだ。気分よく風呂から上がり,テーブルに銘々盛り付けられた品々を頂き食事も楽しんだ。ここでも昔話に花が咲く。最近,ラグビーが話題になっているが,学生時代はラグビー部であったA君の合宿中に経験した事故の話や,B君の数年越しの相続問題が解決した話など,これまで知らなかった古くて新しい話,懐かしい話が限りなく出てくる。ロビーでの二次会でもそれが続く。しかし何故か,今日見て感動したはずの熊野那智大社や那智の滝はほとんど話題にならない。ただ,以前と比べて最近は病気と終活の話が多くなってきている。やはり高齢者の集いのせいであろう。
翌30日は近場のクルージングも含めて検討したが,勝浦駅からバスで行き,バス停から歩く道が平坦で距離も短い熊野速玉大社の参詣に決めた。かつて読んだことのある田辺聖子著『古典まんだら』の「古事記」に「熊野に上陸した神武天皇はヤタガラス(八咫烏)に先導され大和の国に入る」と書いてあったが,熊野速玉大社のパンフレットにも「熊野大社のお使いである三本足の「八咫烏」は神武天皇が熊野山中で道に迷われた時、大和の国に入る道案内をつとめたといわれています。」と書いてある。私は今後の人生を誤まらずに歩めるよう,その道案内を神鳥「八咫烏」に祈願した。
熊野速玉大社参詣後,熊野神宝館を覗き新宮駅まで歩き帰路に就いた。C君は1番線の特急「くろしお」で三重方面に,他の3人は2番線の特急「くろしお」で新大阪に向かう。今日も「くろしお」はラストランフラッシュを浴びながら走る。車中,新宮駅前で調達したさんま寿司とビールを肴に,今回の熊野古道のことや学生時代のこと,これまでの集まりに関する話など,思い出話は続く。よくもまぁ話の種がつきないものと思うが,これも約半世紀続いたつき合いとそれだけ長く生きてきたことの証であろう。
新大阪駅で2人と別れ,新幹線に乗り換えて新横浜に向かう。独りリクライニングシートを倒して体を休め,「今回も実に楽しい旅だった‼」と3人の顔を思い浮かべながら感慨にふけった。……元々は自分の下宿や隣の下宿,それに同級生だけでなく先輩も混じってスタートした会である。「血肉分けたる仲」ではないがやはり同じ釜の飯を食った同士という無意識の中の意識, 会えば気持ちは何十年も前にタイムスリップする。メンバー本人,家族の事情もあって参加者が減少し,会の継続が難しくなってくるが,自分は“若返りの薬”でもあると信じて次回の集まりも提案しよう……。
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