有限会社 三九出版 - 私の読書抄~その2


















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☆《自由広場》

              私の読書抄~その2

            橋本 恭明(埼玉県小川町)

政治や経済・社会等,このところの変化が激しい。少なくとも70年を超える戦後の平和と豊かな発展を支えてきた理念や理想,そのもとでの現実に様々な変化の動きがある。「武器輸出の動き失速 日本,豪潜水艦選定で落選」(朝日新聞・2016年4月27日朝刊)。我が国が兵器本体の技術供与を目指していたそうだ。驚きである。日本はいつの間にか潜水艦の技術を他国に売りつける国になっている。戦力の不保持・交戦権の否認等の戦後の立憲主義・平和主義はどこに行ったのだろうと素朴に疑う。武器輸出三原則の緩和とか集団的自衛権とか,シビリアンコントロールの弱体化等,様々な政治的・経済的・軍事的な動静が議論になっている。結局のところ,日本や他国の平和を守るとは,何よりも自国の防衛力と他国との政治的軍事的同盟による「抑止力」が必要と強調されている。振り返ってみれば,過去の戦争は,自衛のためとか抑止のためとかで武力の拡大を図り,遂には核兵器の製造とその使用となった。「火打石から刃を作り木からやりを作ることを学んだ私たちの祖先はこれらの道具を狩猟だけでなく人間に対しても使ったのです。…中略…世界のどの大陸でも 文明の歴史は戦争にあふれています。」(オバマ米大統領広島演説の一部)。なるほど,あふれている戦争の過程で武器・武力・戦力保持の拡大競争が続き,遂にアメリカは核兵器を製造,第二次世界大戦で広島・長崎に投下した。広島・長崎は凄まじい被害を受け,その後世界は核開発競争となった。
さて,中江兆民の著作『三酔人経綸問答』(桑原武夫・島田虔次訳・校注,岩波文庫)は明治二十年(1887年)に出版され,明治二十年の時代における日本の政治の基本線を明らかにしようとしたと解説にある。兆民は,西洋近代思想を代表する民主主義者の洋学紳士と「戦争は国の怒りである。よう争わないものは弱虫である。よう戦争しないものは弱国である。」などと主張する膨張主義的国権主義を代表する豪傑君,それに学問は東洋と西洋を兼ね見識は古今を貫く南海先生の三人の論客をして明治二十年代における日本の将来について白熱した議論を展開させるのである。洋学博士は「戦争をやめて平和を盛んにする説はサン・ピエールがはじめて主張したが,このような説は当時賛成する者は極めて少なく,ただ一人ジャン・ジャック・ルソーはこの説にひどく賛成,その後ドイツ人カントもまたサン・ピエールの主張をうけつぎ,『永久平和論』と題する本を著して,戦争をやめ友好を盛んにすることの必要を論じました。」と平和について述べる。カントの『永遠の平和のために』(土岐邦夫訳・世界の大思想11,河出書房)では,「…一 将来の戦争の原因になるような要素をひそかに留保して結ばれた平和条約は有効な平和条約とみなされてはならない。…二 独立して存立しているいかなる国家も相続,交換,買収または贈与の手段によってほかの国家に取得されるようなことがあってはならない。…三 常備軍は時とともに全廃されるべきである。また永遠の平和のための第一確定条項として,各国家の公民的体制は共和的でなければならない。さらに平和のための第二確定条項として,国際法は自由な諸国家の連合に基礎をおかねばならない。」とある。このようなカントの思想が後の国際連盟・国際連合に結実して行ったことはよく知られている。ところで『平和時代を創造するために―科学者は訴える―』(湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一編著,岩波新書,1963年)では,日本国憲法第九条の新しい意義として「日本国憲法が出現するまでは諸外国憲法や国際条約における戦争放棄の規定は侵略の目的のための戦争を放棄することを定めたのに対して、第九条は、単に侵略のための戦争でなくあらゆる戦争を放棄することを定めた。」,「第九条が制定されてから九年後に出されたラッセル・アインシュタイン宣言を熟読し、その後もとどまる処を知らず発達してきている大量殺戮兵器を正視するならば第九条が益々その存在意義をもつかのようになってきていることが分かる。すなわち世界全体としての全面完全軍縮の実現に向かっての努力の中で、第九条は生き生きとした輝きをもっている。これを改変しようとする者こそ、時代に逆行するものであるといわなくてはならない。」と強く訴えている。集団的自衛権の行使を閣議決定した際に多くの憲法学者等が違憲であると判断したことは記憶に新しい。
さて,中江兆民とほぼ同時代の福沢諭吉は『文明の概略』(岩波文庫)の中で次のように述べている。「異説の両極相接するときは、その勢い必ず相衝きて相近づく可からず、遂に人間の不和を生じて世の大害を成すことあり、天下古今にその例少なからず」。武力による「抑止力」では危険な平和の保障と戦争が同居していて,敵対的な平和とも言えよう。テロ・核開発等複雑な国際社会の中にあって,日本の未来はどのようになるのか。少なくとも世界に誇れるべき日本国憲法にのっとり,今後の政治・経済・社会が永遠平和を目指してほしいと強く思う。 
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