☆《自由広場》
農業は農業である~今なぜ憲法問題か
坂本 進一郎(秋田県大潟村)
今朝(H29.10.6)の「日本農業新聞」を見てやはりなと思った。新聞には希望の党は農家への補助金を削る。農家は儲ける農業をしてくれという希望の党の公約である。自民党は農家への補助金を削ってきたが,希望の党も自民党に似てきた。これで,希望の党はやはり第2自民党だということがハッキリしてきた。したがって今回の選挙は本家の自民党と新興の自民党,否小池と安倍の闘いのようになってきた。
この希望の党の公約を見て色々の事を思い出した。まず農業は生産の場であると共に,生活の場――手っ取り早く言うと生業(なりわい)――であることである。農業はもともと生業であったものが,農業の中でも織物,味噌,醤油などの加工部門の儲かる部分は農業から独立して行った。そして今日のように最も農業らしい部分が残った。それは生業の性格を引きずっている。農業問題を見る時,「生産の場」であると共に「生活の場」であるということが出発点であることに心をとどめなければならない。
ところが農基法農業は農業を儲かる農業へと人々を誘導する役割をした。高度経済成長は「資本の論理」が日本列島に浸透して行く役割をしたが,農業もそれに合うように改変しようとした。それが農基法農業であった。だが農業は資本主義のメカニズムに合わない。守田志郎はEU農業を視察した後,「農業は農業である」ということを言ったという。私もEUの農業を見てそのことを感じた。農業と工業をそのまま競争させたら農工間格差により農業は工業に呑みこまれてしまう。そこで,EUは戸別所得補償などの助成金によって農業を守ろうとしている。中山間地ほど資本主義のメカニズムに弱く工業との競争力はないので,助成金は条件不利地対策のように手厚い。手厚いのは19世紀末農業新興国アメリカから安い農産物がヨーロッパに押し寄せてきて,それと対抗するため関税を高くして農業保護を行った。その伝統が今日も続いていて, 農業を保護しようという気持ちが人々に受け入れられているからだ。 だが「農業は農業」だという発言は農基法農政に対する異議申し立てでもある。
一方,文化勲章をもらった東畑精一は1960年代の規模拡大に大躍進するアメリカ農業を見て,「農業は企業になれる」。農業と工業の違いは何か。それは煙突があるかないかの違いだけだと言い放った。これは農基法農政推進の立場であった。しかし,東畑の考えは農業を荒廃させ,社会に格差を生み出し,「農業を行う自由」(農業権)(憲
法22条)を侵害するに違いない。事実今そうなっている。
例えば,必要以上に農産物が輸入され自給率が下がれば,減反あるいは耕作放棄という形で国内の生産基盤は奪われ,農業収入は減少する。4割もの米生産調整(減反)の今日,現在はそのような状況の結果,生産基盤を奪われ減収につながっているように実感している。100軒離農の陰にはこういう現実があるということに注意しなければならない。生産基盤の奪取は「農民の農業を行う自由」を奪うことにもなるし,農民の基本的人権を侵害することになるのではないか。
貿易自由化優先の背景には世界貿易の流れがある。ガット時代は相互互恵により貿易交渉は比較的自由裁量の幅があった。ところがWTO時代になると,世界貿易を牛耳るまでに成長した多国籍企業のカーギル,コンチネンタルにとってガット方式の交渉では儲けがまだるっこい。そこで超大国アメリカ政府に働きかけた。その結果,交渉から自由裁量は消え,TPPになると国境はもう不要だと言わんばかりに弱肉強食の交渉になった。「自給性」の高い農業にとっては,相互互恵の交渉が肌に合っている。
ともあれ,MSA協定(1954年)やガット加入(1955年)の以後,食糧輸入の基調が農政の根幹になっていった。しかもアメリカはさらに日本に小麦を輸出するにはどうしたらいいか作戦を立てた。それには日本人の食味を粒(コメ)から粉(パン)食に変えることだと考えた。そこで麦の穀倉地帯の西海岸・オレゴン州ポートランドに小麦販売戦略の前線基地を設けた。そしてキッチンカーが小麦食宣伝のため,日本国内の農村を隅々まで走り回ったことは有名である。すでにMSAは農業基本法を裏から支えていたのである。
さらに輸入依存に傾かせたのは,上述のようにガットに加入し,1960年121品目の輸入を開始し,農産物輸入の幕が切って下ろされてからである。これによって小麦の輸入量は1960年に250万トン輸入し,1970年には400万トンも輸入している。今現在小麦の輸入量は620万トン(米の生産量は何とたったの750万トン)にもなっている。以後この食糧輸入の基調が農政の根幹となって行く。この結果日本人は後述のようにパンを食べ,米を食べなくなったので,米の減反政策まで行われることになってしまったのである。
護憲と農業再生は表裏の関係にある。これから改憲の話が賑やかになりそうだ。しかし,上から目線の改憲でなく草の根改憲ならいいが,国論を二分する改憲は,国内のまとまりを難しくして動きが取れなくするだけなので,改憲論争は止めた方がいい。
農業は農業である~今なぜ憲法問題か
坂本 進一郎(秋田県大潟村)
今朝(H29.10.6)の「日本農業新聞」を見てやはりなと思った。新聞には希望の党は農家への補助金を削る。農家は儲ける農業をしてくれという希望の党の公約である。自民党は農家への補助金を削ってきたが,希望の党も自民党に似てきた。これで,希望の党はやはり第2自民党だということがハッキリしてきた。したがって今回の選挙は本家の自民党と新興の自民党,否小池と安倍の闘いのようになってきた。
この希望の党の公約を見て色々の事を思い出した。まず農業は生産の場であると共に,生活の場――手っ取り早く言うと生業(なりわい)――であることである。農業はもともと生業であったものが,農業の中でも織物,味噌,醤油などの加工部門の儲かる部分は農業から独立して行った。そして今日のように最も農業らしい部分が残った。それは生業の性格を引きずっている。農業問題を見る時,「生産の場」であると共に「生活の場」であるということが出発点であることに心をとどめなければならない。
ところが農基法農業は農業を儲かる農業へと人々を誘導する役割をした。高度経済成長は「資本の論理」が日本列島に浸透して行く役割をしたが,農業もそれに合うように改変しようとした。それが農基法農業であった。だが農業は資本主義のメカニズムに合わない。守田志郎はEU農業を視察した後,「農業は農業である」ということを言ったという。私もEUの農業を見てそのことを感じた。農業と工業をそのまま競争させたら農工間格差により農業は工業に呑みこまれてしまう。そこで,EUは戸別所得補償などの助成金によって農業を守ろうとしている。中山間地ほど資本主義のメカニズムに弱く工業との競争力はないので,助成金は条件不利地対策のように手厚い。手厚いのは19世紀末農業新興国アメリカから安い農産物がヨーロッパに押し寄せてきて,それと対抗するため関税を高くして農業保護を行った。その伝統が今日も続いていて, 農業を保護しようという気持ちが人々に受け入れられているからだ。 だが「農業は農業」だという発言は農基法農政に対する異議申し立てでもある。
一方,文化勲章をもらった東畑精一は1960年代の規模拡大に大躍進するアメリカ農業を見て,「農業は企業になれる」。農業と工業の違いは何か。それは煙突があるかないかの違いだけだと言い放った。これは農基法農政推進の立場であった。しかし,東畑の考えは農業を荒廃させ,社会に格差を生み出し,「農業を行う自由」(農業権)(憲
法22条)を侵害するに違いない。事実今そうなっている。
例えば,必要以上に農産物が輸入され自給率が下がれば,減反あるいは耕作放棄という形で国内の生産基盤は奪われ,農業収入は減少する。4割もの米生産調整(減反)の今日,現在はそのような状況の結果,生産基盤を奪われ減収につながっているように実感している。100軒離農の陰にはこういう現実があるということに注意しなければならない。生産基盤の奪取は「農民の農業を行う自由」を奪うことにもなるし,農民の基本的人権を侵害することになるのではないか。
貿易自由化優先の背景には世界貿易の流れがある。ガット時代は相互互恵により貿易交渉は比較的自由裁量の幅があった。ところがWTO時代になると,世界貿易を牛耳るまでに成長した多国籍企業のカーギル,コンチネンタルにとってガット方式の交渉では儲けがまだるっこい。そこで超大国アメリカ政府に働きかけた。その結果,交渉から自由裁量は消え,TPPになると国境はもう不要だと言わんばかりに弱肉強食の交渉になった。「自給性」の高い農業にとっては,相互互恵の交渉が肌に合っている。
ともあれ,MSA協定(1954年)やガット加入(1955年)の以後,食糧輸入の基調が農政の根幹になっていった。しかもアメリカはさらに日本に小麦を輸出するにはどうしたらいいか作戦を立てた。それには日本人の食味を粒(コメ)から粉(パン)食に変えることだと考えた。そこで麦の穀倉地帯の西海岸・オレゴン州ポートランドに小麦販売戦略の前線基地を設けた。そしてキッチンカーが小麦食宣伝のため,日本国内の農村を隅々まで走り回ったことは有名である。すでにMSAは農業基本法を裏から支えていたのである。
さらに輸入依存に傾かせたのは,上述のようにガットに加入し,1960年121品目の輸入を開始し,農産物輸入の幕が切って下ろされてからである。これによって小麦の輸入量は1960年に250万トン輸入し,1970年には400万トンも輸入している。今現在小麦の輸入量は620万トン(米の生産量は何とたったの750万トン)にもなっている。以後この食糧輸入の基調が農政の根幹となって行く。この結果日本人は後述のようにパンを食べ,米を食べなくなったので,米の減反政策まで行われることになってしまったのである。
護憲と農業再生は表裏の関係にある。これから改憲の話が賑やかになりそうだ。しかし,上から目線の改憲でなく草の根改憲ならいいが,国論を二分する改憲は,国内のまとまりを難しくして動きが取れなくするだけなので,改憲論争は止めた方がいい。
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