有限会社 三九出版 - 手すりがあっても掴るな


















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☆〔新作●現代ことわざ〕

             手すりがあっても掴るな

             村端 字造(東京都港区)

約一年前,心身ともに弱まった妻が「要介護1」の認定を受けました。自宅の階段の昇り降りもままならない状態なので手すりをつけることになりました。おかげさまで妻は何とか階段の昇り降りができるようになりましたが,知らず知らずのうちに私までが手すりに掴まって昇るようになりました。確かに足腰への負荷が少なくなり楽に昇れるのですね。でも,ふと「足腰の負荷が少なくなれば,それは足腰の力を弱めることになりはしないか。家の中の階段ぐらいは自分の足だけで昇り降りした方が足腰を鍛えるためにもよいのではないか」という考えが浮かびました。それで手すりに掴まるのを止めることにしました。その結果,実際のところは分かりませんが,少なくとも気分は,弱りかけていた足腰が元の力を取り戻したようになりました。
一方,手すりのせいではないでしょうが,妻は少しずつ体力が落ち,手すり設置の数ヶ月後は家事もまったくできない状態になりました。妻との二人暮らしの私は,炊事,洗濯,掃除等,家事の一切をやらなければならなくなったのです。外出もままなりませんので家に閉じ込められたような気分にもなりました。そんな状態になってから二ヶ月ほど経って,見るに見かねたのか,息子の嫁と娘が,週に1日、交互に出かけてきて家事をやってくれるようになりました。すると私は体力的にも心理的にも彼女たちに頼るようになり,週のうちの六日は波に揉まれながら小さな島の港を目指して進む小船のような心境になっていました。言うまでもなく,“小さな島”とは娘たちが来てくれる日のことです。
そんなある日,孫が泊りに来て,夕食の片付けをしている私の様子を見て言いました,「今ジイジがやっていることをバアバは何十年もやってきたんだよね」と。私はただ「そうだね」と,ひと言返しただけでしたが,妻のこれまでの苦労を改めて認識させられると同時に,妻のためにも自分のために,このままではだめだという思いも湧きました。そして,我が家は私と妻だけの日が「通常」なのであり,娘たちが来るのは「特別な日」なのだと考えることにしました。特別な日を当てにしてはいけない,そう考え直しましたら“週のうちの六日”の気分がずいぶん楽になり,“小船での航行”ではなくなりました。私の心の中で,娘たちは「手すり」だったのです 
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