『絵に年齢は無い』
臼庭 瑞夫(東京都中野区)
今年,3月,20年ぶりに茨城県古河市の家内の親戚宅を訪問して驚きました。玄関ホール,事務所,応接室,廊下,家中の至る所に大きな油絵が飾ってありました。
84歳の叔父は立派な本職の画家になっていたのです。60歳から趣味の絵画を独学で始め,65歳で日本三大画壇「一水会」に初出展,入選の快挙。それ以来,連続10回の入賞実績もある,立派な画家,先生でした。自宅奥には,大きなアトリエを増築,高い天井,採光のよい大部屋に,所狭しとばかり,80号〜100号級の大きな作品が何十点も,雑多に立て掛けてありました。84歳翁のアトリエとは思えないほどのエネルギーが溢れていました。専用ベッドも備えて,自由気ままに制作活動に集中した叔父の心境に引き込まれていました。還暦以来,叔父の24年間の「居城」を見た想いでした。私は飽かず作品を眺め,叔父・翁の来し方に思いを巡らせました。
私はこれほどまでに謙虚に自分の世界を楽しんでいる人物に会ったことはありません。「絵」で生活することなく,只只 好きな絵を描き続けてきた商店主でした。作品を売ることはなく,川越の老舗「亀屋」を描いた人選作品は地元川越市の銀行に飾られ,又,幾つかの公共施設のロビーなどにも作品が展示されております。日本を代表する一流画家250名,8巻の画集『日本名画紀行』にも安井曽太郎,東山魁夷,平山郁夫など錚々たる画壇の一員として名を連ねて掲載されています。
ちなみに,叔父の名前は,画家・北島平蔵。経歴紹介欄には独学と記されていました。叔父は75年前の尋常小学校1,2年生の時の「図画」を放り出して見せてくれました。昭和初期のわら半紙,画用紙に描いた子供の「図画」十数枚。純真無垢な子供時代の「図画」を見て鳥肌が立つ感動を覚えました。裏面には担任教師の赤鉛筆での三重丸と寸評。兵隊さん 飛行機,運動会の絵などなど,昭和初期にタイムスリップ。「少年の眼と心」を感じました。ビニール袋に大切に保管されていた75年前の十数枚の「図画」は,独学画家・北島平蔵翁のDNAであり,“宝”です。
叔父が語った一言。「絵には年齢は無いんだヨ」に,画家としての心優しい奥の深い観察力, 人生観,人間力を感じました。
店の経営も長男が跡をしっかり守って,悠々自適。私は,年輪を重ねて尚「盛旬」であるためのヒントをもらった一日でした。
臼庭 瑞夫(東京都中野区)
今年,3月,20年ぶりに茨城県古河市の家内の親戚宅を訪問して驚きました。玄関ホール,事務所,応接室,廊下,家中の至る所に大きな油絵が飾ってありました。
84歳の叔父は立派な本職の画家になっていたのです。60歳から趣味の絵画を独学で始め,65歳で日本三大画壇「一水会」に初出展,入選の快挙。それ以来,連続10回の入賞実績もある,立派な画家,先生でした。自宅奥には,大きなアトリエを増築,高い天井,採光のよい大部屋に,所狭しとばかり,80号〜100号級の大きな作品が何十点も,雑多に立て掛けてありました。84歳翁のアトリエとは思えないほどのエネルギーが溢れていました。専用ベッドも備えて,自由気ままに制作活動に集中した叔父の心境に引き込まれていました。還暦以来,叔父の24年間の「居城」を見た想いでした。私は飽かず作品を眺め,叔父・翁の来し方に思いを巡らせました。
私はこれほどまでに謙虚に自分の世界を楽しんでいる人物に会ったことはありません。「絵」で生活することなく,只只 好きな絵を描き続けてきた商店主でした。作品を売ることはなく,川越の老舗「亀屋」を描いた人選作品は地元川越市の銀行に飾られ,又,幾つかの公共施設のロビーなどにも作品が展示されております。日本を代表する一流画家250名,8巻の画集『日本名画紀行』にも安井曽太郎,東山魁夷,平山郁夫など錚々たる画壇の一員として名を連ねて掲載されています。
ちなみに,叔父の名前は,画家・北島平蔵。経歴紹介欄には独学と記されていました。叔父は75年前の尋常小学校1,2年生の時の「図画」を放り出して見せてくれました。昭和初期のわら半紙,画用紙に描いた子供の「図画」十数枚。純真無垢な子供時代の「図画」を見て鳥肌が立つ感動を覚えました。裏面には担任教師の赤鉛筆での三重丸と寸評。兵隊さん 飛行機,運動会の絵などなど,昭和初期にタイムスリップ。「少年の眼と心」を感じました。ビニール袋に大切に保管されていた75年前の十数枚の「図画」は,独学画家・北島平蔵翁のDNAであり,“宝”です。
叔父が語った一言。「絵には年齢は無いんだヨ」に,画家としての心優しい奥の深い観察力, 人生観,人間力を感じました。
店の経営も長男が跡をしっかり守って,悠々自適。私は,年輪を重ねて尚「盛旬」であるためのヒントをもらった一日でした。
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