☆東日本大震災私は忘れない
予測を超える予想を基に備えを
福原 卓彦(神奈川県横浜市)
2011年3月の東北地方大震災は,これを直接経験した方々はもとより,私のように離れた地で体験した者にとっても,その後の人生に大転機をもたらされた方が多いのではないでしょうか。私の義理の兄と姉夫婦は共に宮城県の石巻市に住んでおり,,あの時は二家族とも仙台に出ていて命は別状無かったが,自宅は津波の被害に遭って建物と家財は全滅。当初は通信手段もなく,関係者皆が心配の渦中にあった。二日後に現地に歩いて入った義兄の息子が関係者の無事を確認し,私にもその連絡があった。
そこで直ぐ手助けにと思い,当時住んでいた千葉から,生活関連品等をワゴン車に満載し,現地に向かった。ところが,現地近くまで着いてみると優先指定以外の車は市内に入れないことが判り,近くのホテルで待機せざるを得なかった。やがて市内に入れるようになり目的地に向かったが,市街地は瓦礫や流木などで埋まり,様相は一変しており,驚きは隠せなかった。変わり果てた住宅の跡地でそれぞれの家族と会い,持参品を手渡したが,間もなく道路に海水が上がり車が動けなくなるからすぐ帰れとのことで,ゆっくり話をする暇も無く,帰路に就かわざるを得なかった。
その後も彼らは避難所である学校や公民館などを転々と移動し,仮設住宅に入れたのは暫くしてからだった。元の自宅の住宅地には規制が出来て戻れず,新しい土地の購入の目途も立たずで,未だに仮設住宅住いである。
日本はどこに住んでいても突然の事故や災害から完全に逃れるわけにはいかない。そこで思い出されるのは終戦後の満洲国からの引き揚げの状況である。私は満洲で生まれたが,父は終戦時警察の勤務でソ連国境に出張中で離ればなれになり,母は子供3人を連れて引き揚げ船が出るコロ島まで逃げなければならず,貨物列車に詰め込まれて,途中ソ連兵や追剥に何度も出くわし,食べ物も無く,私は殆んど餓死状態だったので,死体を包むコモまで持たされたと聞いている。これは突然襲う自然災害とは異なるかも知れない。しかしその体験は私にとって,未経験ないくつもの困難を乗り越えてきた発想の元になっていると,今になって振り返ってみれば,そう思えるのである。今回大災害に遭われた方々にとってもその被災が同様の“発想の元”として生かされることを願うものである。卑近な例だが,個人としても自治体にしても,自然災害を事前に想定して普段から訓練したり,救助用具を点検したりしておくこと。ま
た,周辺自治体とも連絡を取り合って普段から,いつ,どんな災害が起きても途方に暮れることなく,助け合いの精神を発揮して対処できるようにしておくこと,こうした事前の準備が今後起こる災害はじめ,様々な困難を乗り越える発想の元となるようにしたいものである。
ところで,私自身のことで恐縮だが,事前の訓練も備えもすることができない“災害”を経験してしまった。ノルウェーのオスロで勤務中,日本に置いていった社会人1年生の長女が突然猛烈な腹痛を起こし,病院に駆け込むも原因・対策も判らず(1年後に大阪で大発生したO-157の疫病と判定された),2週間後に亡くなってしまった。この事例には,事前の準備が全くできなかった事例が続いて起きた。娘が深刻な事態に遭っていることをオスロで連絡を受けたが,この時は北欧の大寒波の中で,妻が悪性の腰痛で寝込んだままであり,直ぐに娘の許に馳せ参じるわけにはいかず,落ち込んでいた。しかし事態は急を要することから航空会社に無理を頼み,なんとか日本に帰って来られたが,娘は既に救急センターに運び込まれていた。飛行場からそのセンターに直行したが,既に娘との会話は成り立たず,回復の手立ても無いまま娘は逝ってしまった。娘の葬儀後,私は任地に戻り,妻は娘が住んでいたアパートの滞在することにした。が,娘の遺骨と遺影に毎日接している妻は「私も娘の所に早く行きたい」と近所の方に話しているようで,私も落ち着いていられなくなった。それで日本に転勤を申し出,叶えてもらったが,妻が今度は「娘が体調が悪かった時に面倒みてやれなかった」ことに責任を感じ,精神が一層おかしくなった。そのため意を決し会社に辞職を願い出,一年後,ようやく会社を去った。
こうしたことは,予想だにしなかったことだけに,事前の訓練はおろか,心の備えすらできないことだった。しかし,こうした場合でも万が一に備えて訓練,備えをしておくことが大切であることを痛感している、
それにしても,退職当時は生活費を得る当てはなかったが,幸いにも海外各地での勤務の経験から,私の不幸を助けようと海外のいろいろな方々からお声をかけていただき,生きていく術を与えてもらった。大震災後の海外からの支援と同じである。
余談が長くなったが,自然災害にしろ人的災難にしろ,今予測可能な範囲を超えた予想を基にそれらに対する事前の準備,訓練が必要であることを忘れてはならない。
予測を超える予想を基に備えを
福原 卓彦(神奈川県横浜市)
2011年3月の東北地方大震災は,これを直接経験した方々はもとより,私のように離れた地で体験した者にとっても,その後の人生に大転機をもたらされた方が多いのではないでしょうか。私の義理の兄と姉夫婦は共に宮城県の石巻市に住んでおり,,あの時は二家族とも仙台に出ていて命は別状無かったが,自宅は津波の被害に遭って建物と家財は全滅。当初は通信手段もなく,関係者皆が心配の渦中にあった。二日後に現地に歩いて入った義兄の息子が関係者の無事を確認し,私にもその連絡があった。
そこで直ぐ手助けにと思い,当時住んでいた千葉から,生活関連品等をワゴン車に満載し,現地に向かった。ところが,現地近くまで着いてみると優先指定以外の車は市内に入れないことが判り,近くのホテルで待機せざるを得なかった。やがて市内に入れるようになり目的地に向かったが,市街地は瓦礫や流木などで埋まり,様相は一変しており,驚きは隠せなかった。変わり果てた住宅の跡地でそれぞれの家族と会い,持参品を手渡したが,間もなく道路に海水が上がり車が動けなくなるからすぐ帰れとのことで,ゆっくり話をする暇も無く,帰路に就かわざるを得なかった。
その後も彼らは避難所である学校や公民館などを転々と移動し,仮設住宅に入れたのは暫くしてからだった。元の自宅の住宅地には規制が出来て戻れず,新しい土地の購入の目途も立たずで,未だに仮設住宅住いである。
日本はどこに住んでいても突然の事故や災害から完全に逃れるわけにはいかない。そこで思い出されるのは終戦後の満洲国からの引き揚げの状況である。私は満洲で生まれたが,父は終戦時警察の勤務でソ連国境に出張中で離ればなれになり,母は子供3人を連れて引き揚げ船が出るコロ島まで逃げなければならず,貨物列車に詰め込まれて,途中ソ連兵や追剥に何度も出くわし,食べ物も無く,私は殆んど餓死状態だったので,死体を包むコモまで持たされたと聞いている。これは突然襲う自然災害とは異なるかも知れない。しかしその体験は私にとって,未経験ないくつもの困難を乗り越えてきた発想の元になっていると,今になって振り返ってみれば,そう思えるのである。今回大災害に遭われた方々にとってもその被災が同様の“発想の元”として生かされることを願うものである。卑近な例だが,個人としても自治体にしても,自然災害を事前に想定して普段から訓練したり,救助用具を点検したりしておくこと。ま
た,周辺自治体とも連絡を取り合って普段から,いつ,どんな災害が起きても途方に暮れることなく,助け合いの精神を発揮して対処できるようにしておくこと,こうした事前の準備が今後起こる災害はじめ,様々な困難を乗り越える発想の元となるようにしたいものである。
ところで,私自身のことで恐縮だが,事前の訓練も備えもすることができない“災害”を経験してしまった。ノルウェーのオスロで勤務中,日本に置いていった社会人1年生の長女が突然猛烈な腹痛を起こし,病院に駆け込むも原因・対策も判らず(1年後に大阪で大発生したO-157の疫病と判定された),2週間後に亡くなってしまった。この事例には,事前の準備が全くできなかった事例が続いて起きた。娘が深刻な事態に遭っていることをオスロで連絡を受けたが,この時は北欧の大寒波の中で,妻が悪性の腰痛で寝込んだままであり,直ぐに娘の許に馳せ参じるわけにはいかず,落ち込んでいた。しかし事態は急を要することから航空会社に無理を頼み,なんとか日本に帰って来られたが,娘は既に救急センターに運び込まれていた。飛行場からそのセンターに直行したが,既に娘との会話は成り立たず,回復の手立ても無いまま娘は逝ってしまった。娘の葬儀後,私は任地に戻り,妻は娘が住んでいたアパートの滞在することにした。が,娘の遺骨と遺影に毎日接している妻は「私も娘の所に早く行きたい」と近所の方に話しているようで,私も落ち着いていられなくなった。それで日本に転勤を申し出,叶えてもらったが,妻が今度は「娘が体調が悪かった時に面倒みてやれなかった」ことに責任を感じ,精神が一層おかしくなった。そのため意を決し会社に辞職を願い出,一年後,ようやく会社を去った。
こうしたことは,予想だにしなかったことだけに,事前の訓練はおろか,心の備えすらできないことだった。しかし,こうした場合でも万が一に備えて訓練,備えをしておくことが大切であることを痛感している、
それにしても,退職当時は生活費を得る当てはなかったが,幸いにも海外各地での勤務の経験から,私の不幸を助けようと海外のいろいろな方々からお声をかけていただき,生きていく術を与えてもらった。大震災後の海外からの支援と同じである。
余談が長くなったが,自然災害にしろ人的災難にしろ,今予測可能な範囲を超えた予想を基にそれらに対する事前の準備,訓練が必要であることを忘れてはならない。
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