☆【隠居の世迷言】
雑 感
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
わたしは人生の黄昏の中にいます。戦国時代に「生きすぎたりや、二十年」といった軍人(いくさびと)がいたといいます。また中国唐代の詩人,李賀は「陳商に贈る」という詩の第一句に「長安に男児あり/二十にして 心巳に朽ちたり」と書いています。若くして何かを断念した人間に比べれば,何はともあれ,わたしは無事に(?)八十歳まで生き恥さらしてきたわけですから, (人生の黄昏にどんな感慨をもつかはひとそれぞれですが)おのれの器量を計り損なわない程度には自己鍛錬はしてきたつもりです。そんなわけで,最近時おり,自分の生きてきた道程をふりかえると,そこには荒寥とした景色が広がっていることに愕然とします。この荒寥とした景色がいつからわたしの世界になったのかわかりませんが,その景色の中を孤立無援の〈旅びと〉としてわたしは歩いてきたのだとおもうと,すこし自分がいとおしくなります。しかしそれは刹那の感傷。じっさいのところは,人生の黄昏を迎えたいま,〈この齢までいったい自分は何をしてきたのだろう〉 ― という思いが,こころの中を冷たい風となって吹き抜けていくのを,無知と怠惰の代償として受け止めています。
先日,NHKの「新日本風土記 熊野古道 伊勢路」というテレビ番組をみました。表題どおり伊勢神宮から熊野速玉大社までの古道をたどるというものですが,とくにふたつのエピソードが印象的でした。
その一。和歌山県の七里御浜という所に近い,ある村の行事ですが,初盆を迎えた家では,八月十五日の盂蘭盆会に,死者をあの世に送るための供養の精霊棚というものを作って,それを海に流します。それは海の向こうにあるという浄土に死者を旅立たせる儀式ですが,那智山にある青岸渡寺がその出発の寺と言われている,浄土信仰から生まれた補陀洛渡海の名残りでしょうか。夜は,死者を送る祭壇が砂浜に並べられ,初盆を迎えた家の供養の花火が打ち上げられます。その仕掛け花火を背景にして浮き上がる祭壇は異様なといってよいほど美しい。行事の最後は祭壇に火がかけられておわります。それは死者の浄土への旅立ちですが,この世を仮の住処と考えれば,人間は何処からかやってきて,何処かに立ち去る,まさに死者は〈旅びと〉そのものです。画家ゴーギャンの作品 ― 「われわれはどこから来るのか? われわれは何者なのか? われわれはどこへ行くのか」をおもいだします。人間が〈旅びと〉である
―10―
ことの認識をそこにみることができますが,わたしにとっての重い問いは「われわれは何者なのか?」であります。この問いは,生きてあるうちにも,死してのちにも,おそらく解決のつかない憾みとしてわたしのこころの中にあるようにおもわれます。
その二。長い間埋もれていた熊野古道の峠道を見つけだし,それを整備した老夫婦の話。はじめは夫の道楽(?)でしたが,いつの間にか妻も「しかたがない。それを好きでしよるやがね」といい,その復元に協力します。夫が「野仏が出てきたり,一里塚が見つかったり,それは宝物みたいで,楽しかった」とその仕事をふりかえり,いい笑顔をみせると,妻もまたこころからの笑顔を寄り添わせます。この熊野古道の復元にはおまけの話があって,この古道の峠の頂上で,夫婦は一匹の蝶 ― 南から渡りをするアサギマダラに出会います。そこで,その蝶が好物という藤袴を植えてみたところ,現在ではすっかりアサギマダラの渡りが定着し,その季節にこの〈旅びと〉を迎えることが大きな愉しみになっています。
このふたつのエピソード ― 浄土に使者を送り,旅びとのために古道を復元し,蝶を迎えるという話は,わたしには〈人生=旅〉のアレゴリーのようにおもわれます。わたしは(というより人間は)本質的に時空を旅する〈旅びと〉です。芭蕉も『おくのほそ道』のなかで, 「舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす」といっています。先にもいったように,いま人生の黄昏の中にあって,わたしが思うのは「われわれは何者なのか?」 - つまり「わたしは何者であったのか?」ということですが,たぶんそれは永遠に解けない謎です。長田弘という詩人が「懐かしい死者の木」という詩を,「いつも心のどこかしらにあって、ふとしたときに思い出すと、焚き火を一緒に囲んでいるような近しい感覚を覚える。そんな懐かしい人たちがいる」と書き出しています。わたしは「われわれは(わたしは)何者なのか?」という問いに答えを見出すことはできないけれど,いつかわたしがあの世への旅びとになった後,せめてわたしを知るひとたちが「懐かしい人」だったと,わたしを思い出してくれればそれが救いであり,そのなかに〈答え〉があるのだろうとおもいます。
長田弘は,べつの詩(「人生のオルガン」)のなかで,「平凡でない人生はない。ただ、/人生は人生というオルガンなのだ。/問題はただ一つ、/それをどう弾くかだ」と書いています。わたしはどこかでオルガンを弾き間違えたような気がしています。
※「新日本風土記 熊野古道 伊勢路」(NHK「新日本風土記 熊野古道伊勢路」)(2015.11.13)
※「懐かしい死者の木」「人生のオルガン」(『長田弘全詩集』みすず書房) 「おくのほそ道」(『新訂おくのほそ道』頴原退蔵/尾形仂訳注/角川文庫)
雑 感
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
わたしは人生の黄昏の中にいます。戦国時代に「生きすぎたりや、二十年」といった軍人(いくさびと)がいたといいます。また中国唐代の詩人,李賀は「陳商に贈る」という詩の第一句に「長安に男児あり/二十にして 心巳に朽ちたり」と書いています。若くして何かを断念した人間に比べれば,何はともあれ,わたしは無事に(?)八十歳まで生き恥さらしてきたわけですから, (人生の黄昏にどんな感慨をもつかはひとそれぞれですが)おのれの器量を計り損なわない程度には自己鍛錬はしてきたつもりです。そんなわけで,最近時おり,自分の生きてきた道程をふりかえると,そこには荒寥とした景色が広がっていることに愕然とします。この荒寥とした景色がいつからわたしの世界になったのかわかりませんが,その景色の中を孤立無援の〈旅びと〉としてわたしは歩いてきたのだとおもうと,すこし自分がいとおしくなります。しかしそれは刹那の感傷。じっさいのところは,人生の黄昏を迎えたいま,〈この齢までいったい自分は何をしてきたのだろう〉 ― という思いが,こころの中を冷たい風となって吹き抜けていくのを,無知と怠惰の代償として受け止めています。
先日,NHKの「新日本風土記 熊野古道 伊勢路」というテレビ番組をみました。表題どおり伊勢神宮から熊野速玉大社までの古道をたどるというものですが,とくにふたつのエピソードが印象的でした。
その一。和歌山県の七里御浜という所に近い,ある村の行事ですが,初盆を迎えた家では,八月十五日の盂蘭盆会に,死者をあの世に送るための供養の精霊棚というものを作って,それを海に流します。それは海の向こうにあるという浄土に死者を旅立たせる儀式ですが,那智山にある青岸渡寺がその出発の寺と言われている,浄土信仰から生まれた補陀洛渡海の名残りでしょうか。夜は,死者を送る祭壇が砂浜に並べられ,初盆を迎えた家の供養の花火が打ち上げられます。その仕掛け花火を背景にして浮き上がる祭壇は異様なといってよいほど美しい。行事の最後は祭壇に火がかけられておわります。それは死者の浄土への旅立ちですが,この世を仮の住処と考えれば,人間は何処からかやってきて,何処かに立ち去る,まさに死者は〈旅びと〉そのものです。画家ゴーギャンの作品 ― 「われわれはどこから来るのか? われわれは何者なのか? われわれはどこへ行くのか」をおもいだします。人間が〈旅びと〉である
―10―
ことの認識をそこにみることができますが,わたしにとっての重い問いは「われわれは何者なのか?」であります。この問いは,生きてあるうちにも,死してのちにも,おそらく解決のつかない憾みとしてわたしのこころの中にあるようにおもわれます。
その二。長い間埋もれていた熊野古道の峠道を見つけだし,それを整備した老夫婦の話。はじめは夫の道楽(?)でしたが,いつの間にか妻も「しかたがない。それを好きでしよるやがね」といい,その復元に協力します。夫が「野仏が出てきたり,一里塚が見つかったり,それは宝物みたいで,楽しかった」とその仕事をふりかえり,いい笑顔をみせると,妻もまたこころからの笑顔を寄り添わせます。この熊野古道の復元にはおまけの話があって,この古道の峠の頂上で,夫婦は一匹の蝶 ― 南から渡りをするアサギマダラに出会います。そこで,その蝶が好物という藤袴を植えてみたところ,現在ではすっかりアサギマダラの渡りが定着し,その季節にこの〈旅びと〉を迎えることが大きな愉しみになっています。
このふたつのエピソード ― 浄土に使者を送り,旅びとのために古道を復元し,蝶を迎えるという話は,わたしには〈人生=旅〉のアレゴリーのようにおもわれます。わたしは(というより人間は)本質的に時空を旅する〈旅びと〉です。芭蕉も『おくのほそ道』のなかで, 「舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして、旅を栖とす」といっています。先にもいったように,いま人生の黄昏の中にあって,わたしが思うのは「われわれは何者なのか?」 - つまり「わたしは何者であったのか?」ということですが,たぶんそれは永遠に解けない謎です。長田弘という詩人が「懐かしい死者の木」という詩を,「いつも心のどこかしらにあって、ふとしたときに思い出すと、焚き火を一緒に囲んでいるような近しい感覚を覚える。そんな懐かしい人たちがいる」と書き出しています。わたしは「われわれは(わたしは)何者なのか?」という問いに答えを見出すことはできないけれど,いつかわたしがあの世への旅びとになった後,せめてわたしを知るひとたちが「懐かしい人」だったと,わたしを思い出してくれればそれが救いであり,そのなかに〈答え〉があるのだろうとおもいます。
長田弘は,べつの詩(「人生のオルガン」)のなかで,「平凡でない人生はない。ただ、/人生は人生というオルガンなのだ。/問題はただ一つ、/それをどう弾くかだ」と書いています。わたしはどこかでオルガンを弾き間違えたような気がしています。
※「新日本風土記 熊野古道 伊勢路」(NHK「新日本風土記 熊野古道伊勢路」)(2015.11.13)
※「懐かしい死者の木」「人生のオルガン」(『長田弘全詩集』みすず書房) 「おくのほそ道」(『新訂おくのほそ道』頴原退蔵/尾形仂訳注/角川文庫)
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