有限会社 三九出版 - ドン・キホーテの町・マドリッドの国際会議


















トップ  >  本物語  >  ドン・キホーテの町・マドリッドの国際会議
mini ミニJIBUNSHI
☆超音波医学国際会議出席異聞(15)

          ドン・キホーテの町・マドリッドの国際会議

           和賀井 敏夫(神奈川県川崎市)

1973年9月,来月10月のスペイン・マドリッドでの第13回国際放射線学会(ICR)大会組織委員長より,「乳癌の新しい診断法」に関するメジャーシンポジウムに参加して,「超音波診断法」の講演をして欲しいとの急な招待状がきたのには驚いた。私は放射線関係学会には関係なかったが,滞在費学会負担や,初めて訪問するスペインに興味があったことから招待を受諾した。このICRは参加1万人を超し,日本からも400人近い参加という世界最大の医学会で,ここで「乳癌の超音波診断法」を初めて発表することは,またとない好機と期待に胸が膨らんだ。
10月15日,夕刻,羽田空港を出発。ロンドン経由で,翌日午後2時,マドリッド空港に到着した。空港から学会専用のシャトルバスで,ICR大会会場を訪ねた。主会場は「会議宮殿」というだけあって,内部の文字通りの豪壮な造りに感心した。
招待演者の参加登録を行って資料一式を渡され,同時に私の宿泊は郊外のホテルであることを知らされた。これは今回の大会の参加者が多く,私の参加申し込みが遅かったため,市内のホテルは満員で郊外のホテルになったと謝っていた。タクシーで約30分の大会指定の郊外のホテルに行った。森の中の静かな良いホテルだった。部屋に入り,早速プログラムを検討,私のシンポジウムの出番は4日目ということを知り,緊張感に襲われた。ホテルのレストランで美味しいスペイン料理の夕食を堪能。ゆっくり休んだ。
翌朝10月17日,朝食後,タクシーで学会会場に行った。まず小会議場での胆石の超音波診断の分科会に出席した。英国カーデフのグラベル医師(「本物語」48号で紹介)の堂々とした発表には嬉しかった。討論に移り,超音波による胆石の診断成績が問題となった時,演者のグラベル医師が「この会場に出席している日本のドクター・ワガイが,この問題については詳しい」と紹介されたのには,驚いてしまった。突然ではあったが,司会者の薦めにより,超音波による胆石症診断の意義と成績について答えることができたのは幸いだった。その後,学術展示場を訪ねた。私のブースの多くの乳癌の諧調性超音波断層写真と説明文の展示は評判が高く,多くの会員が集まって見ていたのには嬉しくなった。英国製のX線CTの装置の展示を初めてみたが,当時の低い性能では,今日の如き普及は全く想像できなかった。
昼食後,一人で市内見物に出掛けた。私にとってのスペインは,闘牛,ドン・キホーテ,フラメンコくらいだった。まず,有名なスペイン広場を訪ねた。この広場の中央に,ドン・キホーテと従者のサンチョ・パンサの像があった。この像を眺め,私のこれまでの研究生活はドン・キホーテ的なものがあったことを思い浮かべながら感無量なものがあった。それから歩いて近くの王宮を訪ねた。王宮は200年以上も前に造られたもので,立派な壮大な白亜の宮殿には感心した。この王宮正面玄関にも,伝統の立派な制服の衛兵が立っていたが,無愛想な態度はお国柄によるものだろうと思った。
10月18日,午後3時より大会主催による参加者全員のスペイン名物の闘牛見物の招待があった。闘牛見物は初めてのことだけに興味津々だった。全周に3階席を持つ巨大な円形の闘牛場の学会貸し切りには,さすがに驚いた。しかし,始まってみると,1頭の牛に多くの闘牛士が沢山の槍を刺し,最後に牛が倒れる凄惨な状況には,現地のスペインをはじめラテン系の人々は興奮に酔いしれ,その歓声は怒濤の津波のような感じだった。私はこのような状況には到底付き合えない気分で,その内気持ちが悪くなり,たまらず途中で場外に逃げ出してしまった。
10月19日,私の出番の「新しい乳癌診断法」のメジャーシンポジュウムが,大会議場で行われた。この主会場は約2000人収容の全席机付きの階段式構造で,しかも,演者の声は各席に付いているイヤホーンで,英独仏の同時通訳を選んで聞くようになっているシステムには感心した。経済大国とまで言われるようになった日本の,国際会議場の例一つ取ってみても,その文化程度の低さには情けなくなってしまった。
私を含む5名の演者は,ステージ上の席に着席し,各演者は自席の机上のマイクを使って講演を行った。広い大会場がほぼ満員になったのを見て,欧州での乳癌に対する関心度の高さには感激だった。私の演題は,「諧調性超音波断層法による超音波診断」で,その原理から診断成績まで詳しく話すことができた。司会者の総括の中で,超音波診断の将来性を力説していたのは,心から嬉しかった。夕刻から,ICR大会主催の夕食会が町の中心の大きいレストランで行われ,スペイン料理のフルコースを堪能した。また,本場のフラメンコの踊りと音楽の迫力には圧倒されたのだった。
10月20日,第13回ICR会議の最終日,本会議場での感動的な閉会式に出席後,次なる訪問地のフランス,ツール大学に向け出発した。


投票数:33 平均点:10.00
前
百聞は一見に如かず
カテゴリートップ
本物語
次
何事も実践しないと分からない

ログイン


ユーザー名:


パスワード:





パスワード紛失