有限会社 三九出版 - 複雑系の科学(その2)―73億個の世界―


















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☆《自由広場》
不確実性の経済を考える・第9回
           複雑系の科学(その2)―73億個の世界―

            吉成 正夫(東京都練馬区)



「複雑系の科学」が研究対象にしているのは,蟻の行列や渡り鳥,昆虫のコロニー,さらに蜂,魚などの統率のとれた集団行動など,生物系では脳の働き,生物進化,免疫系など,気象現象では熱波,台風などの気象変化,私たちの社会生活では,交通渋滞,ゲリラ戦,商品市況,金融市況の暴落現象,等々,広範な現象です。つまり「相互作用をしている多くの要素が集まって生じる現象の研究」(「複雑系入門」NTT出版)です。
ここでは経済現象や証券市場に関係する「複雑系の科学」の知見をご紹介します。私が最も興味を引かれたのは,「バタフライ効果」です。例えば「北京で蝶が羽ばたくと,ニューヨークで嵐が起きる」など,ちょっとしたことが引き金となってとんでもない結果を引き起こすことが学問的に実証されました。日本にも「風が吹けば桶屋が儲かる」という諺がありますが,それと似ています。
1961年に気象学者のエドワード・ローレンツが気象モデルの計算をしていて, 検算のための計算結果が出るまでにコーヒー・ブレークで席を外しました。当時はコンピュータの計算でもかなり時間がかかったのです。しばらくして戻ってみると予想外の結果がモニター画面に表示されていました。その原因は,初期値を万分の1だけ切り捨てた誤差の結果と判りました。彼が様々な誤差値を入力して軌道を描くとちょうど蝶が羽ばたいている形になるので「ローレンツ・アトラクター」と呼ばれ,さきの比喩がうまれました。その後,「初期値の敏感性」として多くの研究成果が発表されています。人間社会も,世界に73億人(国連「世界の推計人口:2015年」)がひしめき合い,個々人が独自性を持ちつつ競争と協調を繰り返しながら相互に関係しあっている点で気象現象と類似しています。つまり,わずかな差異で大きく異なる結果を招く「初期値の敏感性」が働き,経済や市況変化がとんでもない動きを示し,その結果が予測しにくいのです。人間の場合は,それぞれが考え方を修正して行動していくだけに, 気象の粒子の動き以上に複雑な動きになっていくことは想像に難くありません。これを数式で処理するのは初めからできない相談です。
逆の見方をしますと,個々人の能力や努力次第では周囲に大きな影響を与え,世界を変えていくことができますし,十分に挑戦に値する世界であると前向きに捉えることができます。仏陀は「この世の中の全てのものは実体がない」と観じていました。国家も会社も家庭も夫婦も世間で想定しているような実体を持っているわけではなく,そこに関わる人がどのように創り上げていくかでその実体が定まってきます。
人間は多様な存在で,それぞれが自分自身の世界を持っています。極端に言いますと73億個の世界があるわけです。しかも,それぞれが等しい力関係を持っているわけではありません。全体の流れにうまく適合しているかどうかでパワーの強弱が決まってきます。ですからメイン・パワーを持つ人々の動向をフォローすることでかなり流れを読み解くことができます。どこまで精度を高めることができるかどうかは,観察者の情報収集力と洞察力次第です。結局,未来を如何に読み取るかは,緻密な分析も然ることながら,未来に広がる無数の選択肢の中からどの選択肢の蓋然性が高いのかを判断できる資質が求められるのです。
次に大切なのは,それぞれの人たちが何にどのように関わるかの問題です。村上泰亮元東大教授は「反古典の政治経済学」(中央公論社,1992)で,人間のイメージする世界は「事物(環境)」「他人」「自分(あるいは「自我」)」から構成されると述べています。この三つの要素が相互に絡み合って社会,政治,経済,芸術が営まれていくのですが,さらに厄介なのは,現在ある「自分」を客観的に把握することは大変難しく,自分が認識している「自分」と他人が評価している「自分」との間にはかなりにギャップがあるのが普通です。村上教授の指摘に加えて,「自分」と「自分」の関係が加わり,また「他人」と「他人」の間にも認識のギャップが存在し,これが様々な紛争や,あるいは合従連衡を伴いつつ歴史が進んでいくことになります。
いま国際政治で最も注目されているのは「イスラム国」と「テロ」です。これには,
かつてのイスラム世界の最大版図であるオスマン帝国の復権を狙った動きとの見方があります。米国のイラク戦争の失敗がパンドラの箱を開けてしまいました。中国では習近平が「中国の夢」を掲げてかつての版図の回復を図ろうとしています。米国,欧州を加えたメイン・プレーヤーを軸に周辺国の離合集散でこれからの国際政治が展開されていくに違いありません。決して秩序だった趨勢を辿るのではなく,微妙な政策のズレやちょっとした事件が想定外の結果を引き起こしながら歴史が進行していく,まさに「初期値の敏感性」そのままの世界です。
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