有限会社 三九出版 - M 君 の 死


















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☆東日本大震災私は忘れない

            M 君 の 死
          持山 保信(徳島県徳島市)


東日本大震災発生の第一報は仕事中に車のラジオで知った。
ここ徳島でも揺れは感じたらしいのだが,如何せん走行中の車中では何も気づかず,ただ地震速報が直後よりかなりの緊張感を持って報道され,震度は7強,津波の高さは6~7メートルとのことだった。
震源が仙台沖と聞くに及んで我が耳を疑ったものの,身の毛が逆立つのと同時に何かの波動を確かに感じる私でもあった。テレビには津波が石巻市を飲み込みながら猛烈な速度で内陸部に押し寄せる映像が早くから流れたが,その凄まじさに正直,「もうダメだぞ,M君が死ぬ」と予感する波動であった。
このような時に電話は絶対繋がらないことは知っていたが,念のため掛けた携帯はただ無機質的な音を「ツーツーツー」と繰り返すだけだった。
その頃,石巻のM君はやはり死と直面していた。同じ宮城県出身でM君を知る友人から後日になって届いた情報によると,彼は地震直後には高台にある公民館で水墨画のサークル活動をしていたそうで,猛烈な揺れに津波を直感した彼は車で港の近くにある自宅まで帰って行ったのだそうだ。自宅には奥様が一人で残っていたことを心配したのも当然だったのだろうが,悲しいかな今回の災害は過去の記憶とか記録をはるかに超える大きさだった。M君は震災から暫く経って自宅近くで瓦礫に埋もれたマイカーの中で変わり果てた姿で発見されたが,奥様は未だ行方が知れない悲痛な結果となっている。M君の無念さを思うとき,やはりあの時,彼が発信した何かの波動が私に伝わったのだと確信している。
私は北関東の高崎にて4年間,大学に学んだ。昭和42年から46年までだったから,もう45年も前の話となる。 ともあれ,この4年間に私の青春の大部分の思い出は凝縮されていると言っても過言ではなく,とりわけ学生寮にいた3年間は特別思い出深い時期でもある。在学中の友人は全てこの学生寮で知り合った先輩・後輩なのだ。その中の一人がM君である。
石巻のM君は色白の男前である。剣道部で活躍して主将にまで昇進した立派な人物だったことが今更ながら口惜しい。隣の部屋の同級生ということで,学生寮時代の苦しい一年生時代の苦労を分け合った仲でもあった。
そんな彼との一番の思い出が一年生修了記念の伊豆半島一周旅行である。彼と同室の先輩であった北海道のSさんと三人で伊豆大島から旅は始まった。勿論テント・食糧持参の貧乏旅行だ。三月の初旬だったと記憶するが,波浮の港で春一番の暴風雨に遭遇,港を見下ろす高台にあった旧日本軍のトーチカに避難して一夜を明かすことになったが,翌日も天候は回復せず,やむなくもう一泊を覚悟していると,夕刻に私達の様子を見かねた近所の住民が自宅に呼び寄せて泊めて下さった。正直ホッとした。
その時,M君が言った。「これで見られないと思っていたテレビの連続番組が見られる」 直後に私とM君の喧嘩が始まることになる。すなわち私が「なんだコノヤロウ,人のお世話になるのを感謝するのが一番で,番組の心配をするなど不謹慎」と説教したことにM君は「何もそんなに叱らなくたって良いじゃないか。感謝は当然している」といった内容だったが,今から考えるとトーチカで何十時間も足止めを喰って皆がストレスを持っていたことが全ての原因ではなかったろうか。
先輩Sさんの「おい,いい加減にしろ。明日チョコレート買ってやるから仲直りしろ」の一言で私達の険悪なムードは瞬時に雲散霧消した。何故,チョコレートだったのかは今でも謎であるが,兎に角簡単に仲直りした。S先輩は北海道出身,お寺の跡取りで僧侶の資格を持っている話は聞いてはいたが,さすがに説教に迫力があったと記憶する。しかし何故チョコレートだったかは今もって判らないままだ。
そのM君が亡くなった。 卒業以来の音信もなく半ば忘れかかっていた思い出が突如として私の脳裏に蘇ったのはどうしてだろうか。また震災当日に確かに感じた不吉な予感は何だったのだろうか。700キロも800キロも離れた場所に居て,彼が発信したサインが果たして本当に伝わるものなのだろうか。――しかし私は思いたい,それは「東日本大震災を忘れてはならない」というM君の強いメッセージであると。
今後の復興を願い,その記憶を風化させない努力を続けることは日本人として当然の責務であるが,今回の大震災により私が経験したような事象が万単位で同時に起きたことについては,その一つ一つにドラマがある。私もその一つの記録の語り部として小さな責任を果たして行きたいのだが,今はM君のご冥福をお祈りする他はない
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