俳句に親しみと夢を求めて
吉村 栄司(埼玉県さいたま市)
俳句に親しむことをおススメします。
私は今年で俳句歴10年になります。俳句づくりを体験し,楽しむためには,まず俳句の会に入会することです。俳誌の通読や通信教育受講等の併用も効果的手段となります。俳句会では参加者の句を互選(参加者同士が互いに選句すること)することで自分の選句力を認識することが出来ますし,清記した漢字の読みや誤字の勉強にもなります。また句会によっては定期的な「吟行」を開催して,出先での即興力を養うグループ活動も頻繁に行われます。句会は一般的に月一度の開催が普通で,参加者は5句程度を持ち寄ります。つまり,句会のメンバーが10人居れば合計50句が集まります。これを各人が何句かずつ「選句」して披講へと続くわけです。結果として自分の句が何句選ばれたかが判明します。この他人の句を選句することが実力の有無を判断する大きな要素ともなります。さらに選句した理由・感想を参加者の前で発表するわけですから必然的に選句には力が入ります。
さて,選句の妙味について述べてみます。
A 上州の雪なき寒さ達磨市(ひさ志)
B 上州の星降る寒の達磨市(ひさ志)
この2句の「中七文字」の措辞は微妙に違います。私はAの「雪なき寒さ」が好きです。上州生まれでもあり新年の達磨寺請でも経験しているからかもしれません。
次の句はご存じの芭蕉師の句です。
C さみだれをあつめて早し最上川
D さみだれをあつめて涼し最上川
誰もがCの句で覚えてをりますが,Cの句に推敲される前はDの句であったと言われております。Cの句の方が最上川の壮大さが浮かんでくるのではないでしょうか。
次に句の措辞を考えながら詠んでみてください。
・ 雨に飛ぶ翼張りつめ夏つばめ(ひさ志)
やはり中七文字の表現ですが,夏に見かける燕には雛を育てる一種の重厚さがあります。遥しい翼を張って相当激しい雨中を子育てのために飛び交う姿は感動的でもあり,やがて子つばめは巣立つわけです。スズメ達は雨中には姿を見せませんね。
さて,これまで記述してきた例句は主として私の実兄で俳句結社「桑海」の前主宰でもありました吉村ひさ志のものを借用しました。兄ひさ志が逝去して3年が経過しておりますので無断掲載を赦してくれるものと信じてをります。兄の句には「心象俳句」が比較的多く,若輩者の私にもその影響が少なからず出ております。俳句づくりの本道は,歴史的に「花鳥風月」を詠むことが多き故に,「吟行」が盛んに行われているようです。
また兄の句で恐縮ですが,母の思い出を詠んだ句,「母想ふはうれんそうの赤き根に」(ひさ志)があります。母は兄の身体を心配してホウレン草は根元まで食べるようにとの親心で良く食膳に出しました。兄はそれが嫌で仕方がなかったのです。そのことが心にいつも残ると共にホウレン草を見るたびに母を思い出すのです。「青春の傷跡いくつ登山靴」(ひさ志)もあります。兄の青春時代は戦中真っ只中であり,暗い学生時代でもありました。登山などが楽しみの一つであったのです。たまたま我が家が靴の製造卸商でもあったので重厚な本革の登山靴でありました。そんな頑丈な靴のあちこちに岩で傷ついた跡がいくつも残っていた様を詠んだ心象俳句なのです。
さてさて,そろそろ自分の拙句を披露しないと本文の主旨に反すると主催者のお叱りを受けますので,恥ずかしながら掲載して稿を締めくくります。まずは中学時代に上毛新聞の俳句欄に掲載された句,「鷹の群れ一人が叫びあっと見る」があります。立派な有季定型の句なっていると思いませんか。そして半世紀が経過,「平明さ」と「心象俳句」を求めて句歴十年で初めて俳句大会に人選した,「手のひらを反してをどり終りけり」と「父の声全開にして鬼やらひ」の2句かあります。前句は郡上八幡への吟行で詠んだ句,後者は子供時代の少ない父の想い出を詠んだ句であります。
まもなく古希を迎えんとする私にとって,両親や兄姉との思い出はもちろん,楽しかった青春時代の友との集い・初恋と失恋・恩師の教え等々,盛りだくさんの想い出を題材にした「心象俳句」づくりは,これからの余生の生甲斐でもあり,ささやかな盛春の夢の実現でもあります。
ぜひ読者の皆さんには俳句の道にどしどし踏み込んで「句づくりの喜び」を見出して欲しいものと念願して終稿とします。
吉村 栄司(埼玉県さいたま市)
俳句に親しむことをおススメします。
私は今年で俳句歴10年になります。俳句づくりを体験し,楽しむためには,まず俳句の会に入会することです。俳誌の通読や通信教育受講等の併用も効果的手段となります。俳句会では参加者の句を互選(参加者同士が互いに選句すること)することで自分の選句力を認識することが出来ますし,清記した漢字の読みや誤字の勉強にもなります。また句会によっては定期的な「吟行」を開催して,出先での即興力を養うグループ活動も頻繁に行われます。句会は一般的に月一度の開催が普通で,参加者は5句程度を持ち寄ります。つまり,句会のメンバーが10人居れば合計50句が集まります。これを各人が何句かずつ「選句」して披講へと続くわけです。結果として自分の句が何句選ばれたかが判明します。この他人の句を選句することが実力の有無を判断する大きな要素ともなります。さらに選句した理由・感想を参加者の前で発表するわけですから必然的に選句には力が入ります。
さて,選句の妙味について述べてみます。
A 上州の雪なき寒さ達磨市(ひさ志)
B 上州の星降る寒の達磨市(ひさ志)
この2句の「中七文字」の措辞は微妙に違います。私はAの「雪なき寒さ」が好きです。上州生まれでもあり新年の達磨寺請でも経験しているからかもしれません。
次の句はご存じの芭蕉師の句です。
C さみだれをあつめて早し最上川
D さみだれをあつめて涼し最上川
誰もがCの句で覚えてをりますが,Cの句に推敲される前はDの句であったと言われております。Cの句の方が最上川の壮大さが浮かんでくるのではないでしょうか。
次に句の措辞を考えながら詠んでみてください。
・ 雨に飛ぶ翼張りつめ夏つばめ(ひさ志)
やはり中七文字の表現ですが,夏に見かける燕には雛を育てる一種の重厚さがあります。遥しい翼を張って相当激しい雨中を子育てのために飛び交う姿は感動的でもあり,やがて子つばめは巣立つわけです。スズメ達は雨中には姿を見せませんね。
さて,これまで記述してきた例句は主として私の実兄で俳句結社「桑海」の前主宰でもありました吉村ひさ志のものを借用しました。兄ひさ志が逝去して3年が経過しておりますので無断掲載を赦してくれるものと信じてをります。兄の句には「心象俳句」が比較的多く,若輩者の私にもその影響が少なからず出ております。俳句づくりの本道は,歴史的に「花鳥風月」を詠むことが多き故に,「吟行」が盛んに行われているようです。
また兄の句で恐縮ですが,母の思い出を詠んだ句,「母想ふはうれんそうの赤き根に」(ひさ志)があります。母は兄の身体を心配してホウレン草は根元まで食べるようにとの親心で良く食膳に出しました。兄はそれが嫌で仕方がなかったのです。そのことが心にいつも残ると共にホウレン草を見るたびに母を思い出すのです。「青春の傷跡いくつ登山靴」(ひさ志)もあります。兄の青春時代は戦中真っ只中であり,暗い学生時代でもありました。登山などが楽しみの一つであったのです。たまたま我が家が靴の製造卸商でもあったので重厚な本革の登山靴でありました。そんな頑丈な靴のあちこちに岩で傷ついた跡がいくつも残っていた様を詠んだ心象俳句なのです。
さてさて,そろそろ自分の拙句を披露しないと本文の主旨に反すると主催者のお叱りを受けますので,恥ずかしながら掲載して稿を締めくくります。まずは中学時代に上毛新聞の俳句欄に掲載された句,「鷹の群れ一人が叫びあっと見る」があります。立派な有季定型の句なっていると思いませんか。そして半世紀が経過,「平明さ」と「心象俳句」を求めて句歴十年で初めて俳句大会に人選した,「手のひらを反してをどり終りけり」と「父の声全開にして鬼やらひ」の2句かあります。前句は郡上八幡への吟行で詠んだ句,後者は子供時代の少ない父の想い出を詠んだ句であります。
まもなく古希を迎えんとする私にとって,両親や兄姉との思い出はもちろん,楽しかった青春時代の友との集い・初恋と失恋・恩師の教え等々,盛りだくさんの想い出を題材にした「心象俳句」づくりは,これからの余生の生甲斐でもあり,ささやかな盛春の夢の実現でもあります。
ぜひ読者の皆さんには俳句の道にどしどし踏み込んで「句づくりの喜び」を見出して欲しいものと念願して終稿とします。
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