有限会社 三九出版 - 忘 れ 得 ぬ こ と


















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【隠居の世迷言】
                忘 れ 得 ぬ こ と

                    小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)

善公 ご隠居,顔色が悪いようですが,夏の疲れが出ましたか?
隠居 暑い夏でしたな。あたしも暑さ寒さが堪えるようになりました。もっともこの疲れはからだのことだけではありませんがね。
善公 何かご隠居のこころを悩ますことがありましたかね。
隠居 いろいろあります。たとえば今年もまた広島,長崎で平和祈念式典が行われました。安倍首相は,広島では非核三原則にはふれませんでしたが,世論を気にしたせいか,長崎では「非核三原則を堅持しつつ」という文言が入りました。今年は挨拶の使い回し(昨年その疑惑があった。)はありませんでしたが,長崎の「非核三原則の堅持」を除けば内容はほぼ同じ。安倍首相にとっては,広島と長崎の平和記念式典出席は「お役目」であって,それ以上でもそれ以下でもないということです。
善公 広島・長崎の問題を本気で考えるなら,集団的自衛権解釈の変更や安保法制について,あれほど強引な姿勢を見せることはありえない……。
隠居 そのとおりです。核武装をするほどのご乱心はないとおもいますが,武器輸出,アメリカの核持ち込みなどの規制緩和は予想されます。ところで,今回は広島・長崎両市長の平和宣言も,もうひとつでしたな。安倍首相の対中国・韓国への強硬姿勢,あるいは集団的自衛権をはじめとする一連の安保政策についての強い懸念の表明があってもよかったのではないかとおもいます。長崎市長の「日本国憲法の平和の理念が、今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています」という言葉があったのはせめてものことでしたが……。
善公 でも,被爆者代表の「平和への誓い」には,「今集団的自衛権の行使容認を押しつけ、憲法改正を押し進め、戦時中の時代に逆戻りしようとしています。……安保法案は、被爆者を始め平和を願う多くの人々が積み上げてきた核兵器断絶の運動、思いを根底から覆そうとするもので、許すことはできません」という,強い表明がありましたよ。
隠居 そうでしたね。これは体験者が語る切実な声だけに否定しようのない重さがありました。ところで,8月15日の終戦記念日がくると,あたしにはいつも気になることがあるのです。
善公 何が気になるのです?
隠居 あたしだけが気にしていることなんですがね。おまえさんはまだ生まれていなかったから知らないだろうが,あたしの友人たちはみな,8月15日当日はよく晴れていて,空の青さが印象的だったというんです。あたしにはその「空の青さ」の記憶がぽっかりと抜け落ちています。
善公 なぜご隠居はそれを気になさるんです?
隠居 大人も子供も,その日の空の青さに感動したのは,それまでの暗い,抑圧されていた生活からの解放感があったということです。おおげさにいえば価値の転換がありました。でもあたしは何の感慨もなく,その瞬間をやり過ごしてしまったのです。 そこには目に見えない昨日と明日との切断線があって,「空の青さ」は,だれも言葉にはしなかったけれど,これからやってくる,新しい時代への(すこし不安を伴った)希望の象徴でした。そう,みんな一生懸命に生きてきた,これからもみんな一生懸命に生きていく ― そういう思いを解き放ったのが「空の青さ」だったんです。あたしには誇るべき昨日がなかったし,希望のある明日もなかった。あたしは,戦中は時代に乗り遅れた子供(修身,愛国にこころの中で背を向けていた)だったし,戦後は時代の継子(平和・民主の名のつくものにこころの中で背を向けている)だった。いま振り返れば戦中も戦後も,あたしはいい加減に生きてきたのです。
善公 でもご隠居は,そのときはまだ小学生だったのでは……?
隠居 小学5年生。でもその時代の,その歳の子供はたくさんの理不尽を経験してきたので,とにかく何かから解放されるという喜びの自覚はあったのです。太宰治に『トカトントン』という小説があります。詳細は省きますが,終戦当日,若い将校から徹底抗戦の訓示を聞きながら,「私」は「死ぬのが本当だ」と覚悟をきめます。そのとき「トカトントン」と金槌で釘を打つ音が聞こえてきて,その瞬間「悲壮も厳粛も一瞬のうちに消え、……なんともどうも白々しい気持」になり,いまも厳粛な場面に直面すると「トカトントン」という音に悩まされます。その苦しさに耐えかねて自殺しようとしたそのときにも「トカトントン」。 あたしの「トカトントン」は終戦のときの,あの記憶にない「空の青さ」。どちらも「生」の意味を問うことそのもの。あたしの一生はそれを追い求めることにあるのです。
善公 「ふるさとへ回る六部の気の弱り」 ― ご隠居もお年ですかね。
※広島市長「平和宣言」(「朝日新聞」2015.8.6)/長崎市長「平和宣言」(「朝日新聞」2015.8.10)





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