有限会社 三九出版 - 花と野球を伴(とも)として


















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花と野球を伴(とも)として
佐々木 徳郎(東京都町田市)

人は誰も,時を経ても忘れられない幼き日の想い出をもっている。それは幼児体験に起因するのは言うまでもないことだが,「おばあちゃん子」として育った私の場合は祖母との触れ合いを通しての体験が忘れられない想い出であり,私のこれまでの生き方の一面を決めたと言っても過言ではない。
私は,父が盛岡鉄道管理局に勤務していた関係で岩手県盛岡市で生まれた。しかしその父が昭和19年10月,中支に於いて陸軍所属鉄道官として35歳で戦没してしまった。さらに母がセキズイカリエスという病を患って病弱なために自分の実家で生活することになり,私は一関市花泉町にある父方の祖父母の家に住むこととなったのである。そうして,いわゆる「おばあちゃん子」となったわけであるが,豊富な人生体験に基づく祖母の一言一言,またその後ろ姿から,私は当時の年齢なりに様々なことを学び取っていったように思う。
祖母は,心の内と外・行動の裏表に差が生じることを嫌った。人が見ていないときの行動を大切に,とも言った。そして,義理人情,心遣いや気配りについて語り,天の恵みに感謝する心をもつようにと話した。いや,話したばかりではない。その言葉が実際の行動にもしばしば見られた。
祖母のこのような日々の言動による私への“躾”により,‘私の人としての生き方についての考え方が芽生え,育っていったように思う。特に故郷を離れて大学に学んだころ,そして社会に出てからも,様々な人との“邂逅”を大事にしたいと患っている私は,幼き頃の祖母の教えが脳裏から離れることはなかった。
また,祖母はよく花を愛し,花と語らっていた。自然と人間との調和などと言えば大袈裟かもしれないが,自然との豊かな語らいのできる人であった。その影響を知らず知らずのうちに受けたのであろう,私は“花大好き人間”になった。この幼児体験から花の美しさ,可憐さ,強さなどを何度も何度も実感し,花に対して感謝する気持ちが湧き上がったこともたびたびあった。仕事に疲れたとき,何かの困難に当面したとき,花の声なき言葉に癒され,力をもらった経験は数え切れないほどある。
今の私は,庭に咲くマッハボタン,桔梗が大好きである。趣味の「カメラ」のレンズが向くのはいつも花たちの方である。
もう一人,私の人生を豊かなものにしてくれた人がいる。それは叔父である。叔父は昭和24年に一関一高の野球部長となった。その影響で私は花泉の小・中学校から一関一高,そして仙台の東北大学4年まで,ずっとそれぞれの野球部に所属し,プレーを続けることになった。現在の私の“人脈形成’’はまさに野球のお陰と言ってよい。
就職した富士銀行時代も,そして退職後も然りである。平成16年の春に母校・一関一高が「21世紀枠」で49年ぶりに選抜甲子園大会に出場したときは,感激いっぱいで,同窓の友らと共に喜び合ったものである。そして今も,母校野球部の活躍のためにでき得る限りの応援を続けている。まさに「野球万歳!」である。
“花と野球”,この二つは,幼き頃に祖母と叔父から与えられた私の人生のよき伴走者であった(そういう意味では,本稿は『自分史』の“目次”でいえば本文ではなく,<はしがき>となるものかもしれない)し,これからもそうであるにちがいない。そして人生を走り続けている私は今,祖母の教えに合致しているか反しているかは別として,自分がこれまで歩んできた道を振り返りつつ,
まだ,行ったことがない街がある
まだ,見たことがない風景がある
まだ,食べたことがない料理がある
まだ,読んだことがない本がある
まだ,聴いたことがない音楽がある
まだ,観たことがない映画がある
まだ,話したことがない人々がいる
………
まだ,やったことがないコトがある
来るべき人生のゴールデンタイムはこれからはじまる
お愉しみはこれからだ
をモットーとしている。しかし,若い時のように力で我武者羅に突き進むことはできないので,このモットーに向かって,「朝は希望を持って起き,昼は努力に生き,夜は感謝に眠る 「日々是好日」の実践を心がけているところである。

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