有限会社 三九出版 - 自分を助けるものは自分


















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〔新作●現代ことわざ〕
              自分を助けるものは自分


                           
                    田中 富榮(徳島県徳島市)

 私は1936年(昭和11年)1月15日の夜7時ごろに生まれたと母が話していた。外は雪が積もっていたそうである。私が生まれた1ヶ月後に日本の社会では2.26事件が起こっている。 大東亜戦争と共に育ち, 私が6歳のとき父がガダルカナルで戦死。夜が明けると町内から出征して行った青年が,白木の箱で英霊となって故郷へ帰ってくるのが日常の光景であった。わが家でも親戚の人々が次々と戦死し,その度に母はもんぺ姿で親戚の家へお悔やみに出かけて行った。未来ある健康な若者が戦争で殺される時代が私の子供時代だったのである。
 高校3年生になると進学するか就職するか自分の将来を決めなければならない。私は職業婦人になって経済的自立をしたいというのが夢であった。当時は女性は結婚して家庭に入るのが社会常識だったが,自分の将来を考えると人に頼って生きて行くのは不安でならなかった。自分の身は自分で守る。自分を助けてくれる者は自分しかいない。そのためには女性でも努力すれば自分の能力を存分に発揮できる職業に就きたい。専門職としての免状を持ち,安定して働ける職場,それが看護師を選んだ私の目標であり,人生の道であった。徳島大学医学部付属高等看護学校合格通知を戴いたとき,しっかり勉強して国家試験に合格し,看護師の資格を取り「看護の道」を一筋に歩んでゆこうと決心した。
 父が29歳の若さで戦死し,あまりにも多くの若者が死んでいった現実を見てきたので,今生きているからといって保障のない人の命が信じられなかった。母の苦労を共に体感してきたので,経済的自立ができていれば将来どんな社会の変化があろうとも安心して生きてゆける。自分が選んだ道だから,この信念を貫いて私は定年までの40年間を看護師として働いたのである。
 今思い返してみると,看護師という専門職は病人相手の職業であり,病気に対する不安や恐怖,発熱や疼痛などの身体的精神的苦痛をもった患者さんたちが,入院生活を余儀なく強いられ苦痛に耐えて治療に専念しているところであるから,看護師にとっても非常にストレスがかかる職業であった。幸い私は看護師という職業が自分の性格に合っており,この職業が好きだったので定年まで働けたことに感謝している。




 
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