有限会社 三九出版 - 美しい森と泉の国スウェーデン初訪問


















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☆超音波医学国際会議出席異聞(13)
            美しい森と泉の国スウェーデン初訪問

                    和賀井 敏夫(神奈川県川崎市)

 1970年7月,憧れのスウェーデンを初めて訪問することができた。これは当時,超音波心動図(Ultrasound cardiogram UCG)の発明で世界的に有名なスウェーデン,ルント大学のエドラー教授(内科)とヘルツ教授(物理)にお会いするのが目的だった。このために旧知のイエテボリ大学の神経科のB.ヨハンセン先生によるスウェーデンへの招待により実現したのだった。ヨハンセン先生は1963年,順天堂大学の私の超音波研究室の留学生第1号の女医さんだった。彼女は約1か月の留学中,日本文化に大変興味を持ち,私の墓参のための郷里石巻帰省にも同行した。松島見学の後,実家を訪問,実家の人たちの大歓迎を受け泊まって頂いた。金華山観光や実家での五右衛門風呂入浴の経験もした。そのヨハンセン先生とはウイーン世界会議(「本物語」46号)で偶然会合,その時スエ―デン訪問の招待を受けたのだった。
 7月26日夕刻,飛行機がスウェーデン上空に達すると,多くの小さい森と泉と,無数の白い小さい岩山が,緑の地面一杯に撒いたような美しい風景に見とれていた。イエテボリ空港に到着すると,空港ロビーにヨハンセン先生が出迎えていてくれたのは,何とも嬉しかった。先生の車で町に向かう途中,美しい入り江やヨットハーバーが見られるなど,想像した通り町中全体が美しい公園のようだった。やがて,ヨハンセン先生が予約してくれたイエテボリ大学の学生寮に案内された。寮と言ってもホテル並みで,立派なゲスト用の部屋が用意されていたのは感激だった。寮は公園のような美しい丘の上に建てられており,大学病院が近くに見られた。
 翌日,大学病院の見学と講演を行った。豪壮な15階建て2000ベッドの大規模な病院に驚き,ヨハンセン先生の外来や超音波研究室を見学した。午後1時から私の講演が階段講堂で行われ,各科の医師数十名が出席した。ヨハンセン先生の司会で,スウェーデン訪問前に出席したコペンハーゲンでの世界消化器病会議で発表した消化器超音波診断を中心に,乳癌,甲状腺疾患の診断を加え約1時間の講演を行った。スウェーデンは欧州の中でも最も超音波診断研究の進んだ国でもある関係で,1時間程の熱心な討論が行われたのには嬉しかったがさすがに疲れた。その夕刻,ヨハンセン先生の官舎の部屋で私の歓迎パーテイを開催して頂いた。大学関係者が夫婦同伴で計10名ほどの出席。ヨハンセン先生の心のこもった手作りの料理を頂いたのは嬉しかった。
 翌日,ヨハンセン先生に北方郊外の美しいリアス式海岸をドライブで案内して頂いた。タヌム地域の有名な「古代岩石彫刻遺跡」を見学。大きい岩の前面一杯に,石器時代にこの辺に住んでいた先住民が彫ったとされる珍しい文字や動物と思われる模様が描かれていた。その後,今後のスケジュールの説明があり,明日はドライブでイエテボリを出発,憧れのルントのルント大学を訪問,この途中、ファルケンブルグのヨハンセン先生の実家で一泊とのことには,驚きと感謝の念で一杯になった。
 7月29日,午前中,美しいイエテボリ市内を観光。午後,イエテボリより約100キロ南にあるファルケンブルグに向け出発した。約2時間のドライブで,先生の実家のある北海に面したファルケンブルグに到着した。ヨハンセン先生の実家は畑の中の大きい古い農家で,広い麦畑が海岸まで続いていた。
 到着後間もなく遅い昼食をご両親と一緒に頂きながら,ご両親から,ヨハンセン先生が7年前の日本留学中に私の石巻の実家を訪ねた折のことで「大変お世話になった」と繰り返しお礼の言葉を頂き,嬉しかった。
 翌朝,ご両親に心からのお礼を述べ,約200キロ南のルントに向け出発,昼少し前,ルントの町に到着した。ルント大学の物理研究所では,ヘルツ教授は急用の出張で会えなかったが,昨年のウイーン会議で知り合ったリンドストローム氏とお会いし,研究について色々話を聞くことができたのは幸いだった。循環器内科のエドラー教授は私の来訪を心待ちにしておられ,研究について色々討論した後,用意していた私の講演会に出席された。内科を中心に各科の先生が50名ほど出席,エドラー教授の司会で1時間半の講演を行った。ルント大学は欧州の超音波診断研究のメッカのような存在でもあり,出席者の熱心な質問が出て楽しい会となった。
 その後,ヨハンセン先生にルントの町を案内してもらった。小さい大学町ながら,大きい立派な聖堂がある格調の高い町だった。今夜宿泊のルント近郊マルメイのホテルまで送ってもらった。ヨハンセン先生は大学の仕事の関係で,これから深夜のドライブでイエテボリに帰るとのことだった。5泊6日の短い滞在ながら,憧れのスウェーデン訪問を果たすことができ,ヨハンセン先生の親身なご親切に,感謝の念で一杯だった(B.ヨハンセン先生はその後ルント大学神経学教授として招聘され,世界神経学会会長を務めるなど,世界的な神経学者になられたのでした)。




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