【隠居の世迷言】
格 の ち が い
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
善公 ご隠居,むずかしい顔をして何を考えているんです?
隠居 いつぞやおまえさんは,あたしのことを「長屋の哲学者」と冷やかしたことがありましたな。その「長屋の哲学者」がすっかり耄碌したというわけです。
善公 そんなこと言いましたっけ。 「長屋の哲学者」かどうかわかりませんが,ご隠居が,この界隈一の物知りであることはたしかです。
隠居 よいしょもいい加減にしておくれ。近ごろ耄碌してきたので,鬆(す)が立った頭の刺激になるかとおもって哲学書なるものを繙いているんですが,これが二進も三進もいかない。2ページ読んじゃ,1ページ戻る。おまけに中身が理解できたかというと,これがまったくダメ。先日,高名な哲学者の本を読んでいたら,先生曰く,独学で哲学書を読むのはむずかしい。あるところまでは大学の哲学科か,然る可き指導者について学ばなければダメだ,と
善公 あっしもはじめは親方に鉋の研ぎ方ひとつから仕込まれましたからね。
隠居 言葉ひとつとっても,たしかに哲学(あるいは哲学者)固有のタームがあって,哲学書を読むのは簡単ではない。しかしね, 近ごろふと,「哲学書を読むこと」と「哲学すること」とは違うんじゃないかと考えたんです。哲学書を読むにはたしかに相応の訓練が必要です。でも哲学することを「生きること」と同義ととらえれば,すこし哲学への向き合い方が違ってくるのじゃないかということに気づきました。つまり自分が生きている世界(や社会)と自分との関係性を正確にとらえること ― それが「哲学すること」の内容だとね。
善公 なるほど。いやはやご隠居も酔狂な……。
隠居 酔狂とはなんです。ところで哲学といえば,今年の2月12日の安倍首相の施政方針演説(*)と3月9日のメルケル独首相の日本での講演(**)は,同じ第二次世界大戦の敗戦国として出発した,日本とドイツのリーダーの政治哲学の有り無しが瞭かになっておもしろかった。
善公 たとえば……?
隠居 たとえば安倍首相は,施政方針演説の「⑥外交・安全保障の立て直し」のところで, 「積極的平和主義」に言及していますが,長い間冷え切っている中韓問題について,「日本と中国は、地域の平和と繁栄に大きな責任を持つ、切っても切れない関係です」「韓国は、もっとも重要な隣人です。日韓国交正常化50周年を迎え,関係改善に向けて話し合いを積み重ねてまいります。対話のドアは,常にオープンであります」とお座なりな言葉を述べただけ。とくに韓国問題については「対話のドアは、常にオープンです」と,みずからの頑なな姿勢には頬被り,相手に下駄を預けています。ここにあるのは空疎で独り善がりな言葉だけです。
善公 首相の心にあるのは「強い日本」……。
隠居 いっぽうメルケル首相は講演の中で, 「ドイツは幸運に恵まれました。悲惨な第2次世界大戦の経験の後、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つは、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう」といっています。ここにはまちがいなく自国の元大統領, 故ワイツゼッカーのよく知られた 「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」(***)という歴史観の継承があり,世界のリーダーとしての見識 ― 「過去」と向き合い,それを受け入れるのは屈辱ではなく「勁(つよ)さ」であるという哲学がうかがえます。
善公 安倍さんはお山の大将ということですか……。
隠居 結局,以前にも紹介しましたが,国際政治学者の原彬久氏がいうように,安倍首相は「祖父(岸信介)の『未完成交響曲』を遺産相続し、書き上げようとして居る」(****)だけなのかもしれません。祖父の遺産である「占領下で作られた戦後体制の打破」 ― すなわち「憲法改正」。その具体的な関心が,「特定秘密保護法の確定や集団的自衛権解釈の変更」などの対症療法にあるのは当然の帰結です。
善公 施政方針演説冒頭の「日本を取り戻す」って,いったいどんな日本を取り戻そうとしてるんですかね。
隠居 安倍首相の施政方針演説について, 朝日新聞の記事(「施政方針演説『戦後以来』の行き先は」)は,「目先の改革への多弁さとは裏腹に、首相は集団的自衛権を含む安全保障法制や戦後70年を踏まえた『積極的平和主義』、そして憲法改正についてはあっさりと触れただけだった」(*****)と論評していますが,どうやら中らずと雖も遠からずといったところですかな。
※参照資料「朝日新聞」/(*)2015.2.13 / (**)2015.3.1 / (***)2015.2.13 /
(****)2014.8.15 / (*****)2015.2.13
格 の ち が い
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
善公 ご隠居,むずかしい顔をして何を考えているんです?
隠居 いつぞやおまえさんは,あたしのことを「長屋の哲学者」と冷やかしたことがありましたな。その「長屋の哲学者」がすっかり耄碌したというわけです。
善公 そんなこと言いましたっけ。 「長屋の哲学者」かどうかわかりませんが,ご隠居が,この界隈一の物知りであることはたしかです。
隠居 よいしょもいい加減にしておくれ。近ごろ耄碌してきたので,鬆(す)が立った頭の刺激になるかとおもって哲学書なるものを繙いているんですが,これが二進も三進もいかない。2ページ読んじゃ,1ページ戻る。おまけに中身が理解できたかというと,これがまったくダメ。先日,高名な哲学者の本を読んでいたら,先生曰く,独学で哲学書を読むのはむずかしい。あるところまでは大学の哲学科か,然る可き指導者について学ばなければダメだ,と
善公 あっしもはじめは親方に鉋の研ぎ方ひとつから仕込まれましたからね。
隠居 言葉ひとつとっても,たしかに哲学(あるいは哲学者)固有のタームがあって,哲学書を読むのは簡単ではない。しかしね, 近ごろふと,「哲学書を読むこと」と「哲学すること」とは違うんじゃないかと考えたんです。哲学書を読むにはたしかに相応の訓練が必要です。でも哲学することを「生きること」と同義ととらえれば,すこし哲学への向き合い方が違ってくるのじゃないかということに気づきました。つまり自分が生きている世界(や社会)と自分との関係性を正確にとらえること ― それが「哲学すること」の内容だとね。
善公 なるほど。いやはやご隠居も酔狂な……。
隠居 酔狂とはなんです。ところで哲学といえば,今年の2月12日の安倍首相の施政方針演説(*)と3月9日のメルケル独首相の日本での講演(**)は,同じ第二次世界大戦の敗戦国として出発した,日本とドイツのリーダーの政治哲学の有り無しが瞭かになっておもしろかった。
善公 たとえば……?
隠居 たとえば安倍首相は,施政方針演説の「⑥外交・安全保障の立て直し」のところで, 「積極的平和主義」に言及していますが,長い間冷え切っている中韓問題について,「日本と中国は、地域の平和と繁栄に大きな責任を持つ、切っても切れない関係です」「韓国は、もっとも重要な隣人です。日韓国交正常化50周年を迎え,関係改善に向けて話し合いを積み重ねてまいります。対話のドアは,常にオープンであります」とお座なりな言葉を述べただけ。とくに韓国問題については「対話のドアは、常にオープンです」と,みずからの頑なな姿勢には頬被り,相手に下駄を預けています。ここにあるのは空疎で独り善がりな言葉だけです。
善公 首相の心にあるのは「強い日本」……。
隠居 いっぽうメルケル首相は講演の中で, 「ドイツは幸運に恵まれました。悲惨な第2次世界大戦の経験の後、世界がドイツによって経験しなければならなかったナチスの時代、ホロコーストの時代があったにもかかわらず、私たちを国際社会に受け入れてくれたという幸運です。どうして可能だったのか? 一つは、ドイツが過去ときちんと向き合ったからでしょう」といっています。ここにはまちがいなく自国の元大統領, 故ワイツゼッカーのよく知られた 「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」(***)という歴史観の継承があり,世界のリーダーとしての見識 ― 「過去」と向き合い,それを受け入れるのは屈辱ではなく「勁(つよ)さ」であるという哲学がうかがえます。
善公 安倍さんはお山の大将ということですか……。
隠居 結局,以前にも紹介しましたが,国際政治学者の原彬久氏がいうように,安倍首相は「祖父(岸信介)の『未完成交響曲』を遺産相続し、書き上げようとして居る」(****)だけなのかもしれません。祖父の遺産である「占領下で作られた戦後体制の打破」 ― すなわち「憲法改正」。その具体的な関心が,「特定秘密保護法の確定や集団的自衛権解釈の変更」などの対症療法にあるのは当然の帰結です。
善公 施政方針演説冒頭の「日本を取り戻す」って,いったいどんな日本を取り戻そうとしてるんですかね。
隠居 安倍首相の施政方針演説について, 朝日新聞の記事(「施政方針演説『戦後以来』の行き先は」)は,「目先の改革への多弁さとは裏腹に、首相は集団的自衛権を含む安全保障法制や戦後70年を踏まえた『積極的平和主義』、そして憲法改正についてはあっさりと触れただけだった」(*****)と論評していますが,どうやら中らずと雖も遠からずといったところですかな。
※参照資料「朝日新聞」/(*)2015.2.13 / (**)2015.3.1 / (***)2015.2.13 /
(****)2014.8.15 / (*****)2015.2.13
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