有限会社 三九出版 - 善通寺の大楠


















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                      善通寺の大楠
                            田中 富榮(徳島県徳島市)

  過日のことである。高野山詠歌一般講習会に出席して「誕生和讃」(※)という曲を教えて戴いた。曲の解説によれば「讃岐国、多度郡屏風ヶ浦は明るい陽光燦々と降りそそぐ天地に緑豊かな田園と、海の幸に恵まれた瀬戸の海に臨む美しい風光の中にありました。そこは目をおおうほどに繁った大きな楠のある佐伯直田公(さえき あたいたぎみ)善通(よしみち)の邸です。青葉かおる宝亀5年(774)6月15日紫雲たなびく朝ぼらけ、天竺の聖僧が懐に入ると夢みて、御母公玉依御前(たまよりごぜん)が懐妊され12ヵ月にしてお大師さまがお生まれになりました。丁度その時鑒真和上(がしんわじょう)と同船して来朝した唐の名僧法進上人(ほっしんしょうにん)が屏風ヶ浦を巡錫中、赤児の泣き声を聞き「ああ あの声は、あの児は非凡なり 他日まさに大法を弘むべし。善く之を育てよ」と父母に告げたと言われます。このお大師さまのお生まれになったところが現在の香川県善通寺であります」と。
 ※ご詠歌「誕生和讃」 「帰命頂礼遍照尊(きみょうちょうらいへんじょうそん)
                宝亀(ほうき)五年の水月の 望のみ空に紫の
                雲のたなびく朝ぼらけ」
               「楠の青葉の香(かん)ばしき館(やかた)の奥に臥し給う
                玉依(たまより)御前の懐(ふところ)を
                出でゆき給う聖をば」
 宝亀5年の6月15日,満月のまだ夜が明けきらない薄明かりの空にめでたい紫の雲がたなびいている早朝,お大師さまはお生まれになったのだなあと,そんな状景を想像しながら私たちは声を張り上げて「誕生和讃」を何回も繰り返しお唱えした。
 二番の歌詞に「楠の青葉の香ばしき〜」と楠が詠まれている。75番札所善通寺には樹齢1300年の楠の大木があり,善通寺でお生まれになったお大師さまが真魚(まお)さまと呼ばれていた幼少のころ,楠に登ったり広々とした庭をかけ回って遊ばれたことであろうと,闊達なお姿を思い浮かべてわたしはほほ笑んだ。
 高野山講習会から帰った後,お大師さまが生まれる100年も前から善通寺の庭に植わっているというその大楠を一目見たいと思い,早速お参りを兼ねて出かけて行った。広い境内の片隅には,さすが樹齢1300年の太い大きな幹をくねらせた大楠が2〜3本植わっていて,地上にはみ出している根も幹ほどの太さで独特の姿形で地を這っており,大蛇のような何か不気味さを感じさせた。見上げるとそのあたり一面葉が生い茂り,「善通寺の楠ここにあり!」と言わんばかりの存在感に圧倒された。はるか昔に真魚さまが登って遊んだころの楠とは想像もつかない姿に変身しているだろう。
 私が訪れたのは10月初旬のころであった。木の周辺には楠の落ち葉が無数に重なり合って落ちていた。その落ち葉を見た瞬間,私は思った。せめて落ち葉であっても全国から高野山詠歌一般講習会に参加している友達に「これが「誕生和讃」の歌詞に出てくる善通寺の本物の楠の青葉ですよ」と,みんなに見せてあげたい。高野山で共に学ぶ友達たちは北海道から九州,沖縄までの人々がご詠歌を習いたくて集まって来ているのである。各県のどこにでもある楠とはまた意味が違う。私は落ち葉を拾って持ち帰った。
 わが家では葉の一枚一枚を洗って新聞紙の間にはさんで水を拭きとり,また新しい新聞紙の間にはさんで並べ,上から重しをして乾燥させ,葉の一枚一枚をビニール袋に入れてリボンをつけ,「しおり」を作った。そして次回の詠歌講習会に持って行き,友達に配った。その一人に北海道の名寄(なよろ)から参加していたお寺の奥さんがおられ,「善通寺の楠の落ち葉で作ったしおりです」と差し上げると,「私の主人は善通寺のお寺で若い時修行して北海道に来ているのです。この葉っぱを見たらきっと昔を懐かしむと思います」と喜んでくださった。
 私は徳島に住んでいるから善通寺へはいつでも日帰りで行ける。しかし全国の人たちは泊りがけの旅支度でなければ来られない。高野山で同じように「誕生和讃」をお唱えしても,楠の青葉は経典の中の伝説物語として遠い存在かもしれない。私は善通寺に今もお大師さまのエピソードが残る大楠が,生き生きと繁っていることをみなさんに手にとって見てもらいたかった。
 高野山講習会は回を重ねるほどお詠歌のみでなく,人との出会いやいろいろな楽しい思い出が多くあり人生をより豊かにしてくれる。私の手元にも楠の「しおり」を今も置いてある。葉は真ッ茶色に変色しているが,私の心の中では友達が珍しそうに手に取り喜んでくれた当時のままの「しおり」として思い出が目に浮かぶのである。


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