《自由広場》
大腸がん手術後約1年3ヶ月の生存に感謝
青江 由紀夫(千葉市高品町)
「斉藤仁さん死去」(日経新聞13頁4段抜きの見出し)。平成27年1月20日(火)の夕刊。同日午前2時56分,肝内胆管がんのため死去。1984年ロスアンゼルス五輪と88年ソウル五輪と2つの金メダリスト。青森県出身。国士舘大学卒。同大学助教授を経て同大学柔道部監督。クラスは95?超級。1961年1月2日生まれ。2015年1月20日没。54歳。76歳の私は感謝。ご冥福を祈るのみ。
死因は肝内胆管がん。
日本人の死亡の3分の1はがん(癌)という現代。年間のがんによる死者数は30万人以上(柳田邦男『新・がん50人の勇気』・文春文庫37ページ)
こんな文献を見て,私の大腸ガンも,例外でも特別でもない,と納得。
『日本人とユダヤ人』の山本七平氏も膵臓ガンで死去(1921〜1991.12.10。69歳没)。『氷壁』『天平の甍』などの作品で有名な井上靖も食道がんというがんで死去。(1907〜1991。83歳没)。肺にも転移。
「自分で歩き、自分で処理して行かなければならぬものが、人生というものであろう」という名言を残した人井上靖(講談社『日本人名大辞典』222頁)。
私と同じガンの患者として,暗い絶望的な闘病生活を体験した人であろう,という共通的体験。この共通性によって,より親近感を抱く。
今さら,斉藤仁さんのロスやソウルの熱戦のDVDを見たり,七平さんの『日本人とユダヤ人』や井上靖の『氷壁』を読みたい心理ではない。
勿論,この3人の闘病日記が出版されているわけではない。紹介者の柳田邦男の前掲書も闘病状態の記録も簡略で要点のみ。あとは,読者の私の方で想像する。
腸閉塞と大腸ガン。鶏卵大の大きなガンを含む9ケ所のガンの摘出手術。約150?の大腸も半分の7〜80?になっている私の事例。それでも,すでに手術後1年3ケ月も元気で生活できている。感謝すべきことらしい。
服用治療半年の抗ガン剤ゼローダは終了して,昨年10月からは3週間おきに二泊三日の入院で48時間の連続投与の抗ガン剤の点滴。すでに6回も終了。2/4(水)。
沢山の液体状の薬品を投与。テルモ,大塚製薬,富士製薬,ヤクルト,ファイザー,協和発酵,キリンなどの製薬会社の薬品。大量なのは5−FU注1000?と大塚糖液5%300ml。魔法の妙薬とも言われるステロイド剤(副腎皮質ホルモン)は富士製薬6.6?2?など。薬剤師の赤木圭太さんは私と同じ古里広島県の三次市出身で東京理科大薬学部卒で27歳。いろいろリストをプリントして持参して説明してくれる。
しかし,専門的でよくは理解できない。
腫瘍マーカー(CA1919)が112.7となり(1/13 火),前回2014.12/1 月)は162.3であり、約50ポイント減少。その前は2014.10/1(水)の外来の診療の時にはCA1919は134.2。上限値は37以下。
大腸ガンが9ケ所もあったからには,血液中やリンパ液の中に沢山のガン細胞が入っており,体内の毛細血管の集中している処たとえば肝臓や肺や脳には転移し易いので,抗ガン剤で当分は予防する必要がある由は担当医師石毛孔明先生の説明。
余命1年とか2年でしょうかと質問しても,回答は不明確。多分,長いおつきあいになるとは思いますよ,という趣旨の返事。
ガンになってからの生存率5年は,乳ガンで90%,胃がんで70%,大腸ガンで73%とかなり向上しているとは国立がん研究センターの発表の由(近藤彰『どうもの休日―末期がん闘病記』風媒社67頁)。こういうデータを見て,若干安心する。自分は5年生存可能な73%の中に入るかなと期待する。希望を抱く。膵臓がんの場合では85%が1年以内に死亡とのこと。(同書12ページ)。
この風媒社の著者は近藤彰(1948〜2013.11没。65歳)。NHKの記者で名古屋局報道部長・広報部長で退職。その後は系列法人NHKサービスセンター名古屋支局長を2012年10月に退社。この翌年の11月2日に死去。前年2012年12月12日に入院。9日目に膵頭部局所進行ガンと告げられる。約11ケ月の闘病生活で死去。ご冥福を祈りたい。
クレージーキャッツのハナ肇(1930〜1993。63歳没)も,ザ・ドリフターズのいかりや長介(1931〜2004,72歳没)もガンで死去。他人のガンでの死亡の記述を読んで慰められたり、励まされたりする。ガンという神からの贈り物のせいでしょうか。
(H27−2015−2/4(水))
大腸がん手術後約1年3ヶ月の生存に感謝
青江 由紀夫(千葉市高品町)
「斉藤仁さん死去」(日経新聞13頁4段抜きの見出し)。平成27年1月20日(火)の夕刊。同日午前2時56分,肝内胆管がんのため死去。1984年ロスアンゼルス五輪と88年ソウル五輪と2つの金メダリスト。青森県出身。国士舘大学卒。同大学助教授を経て同大学柔道部監督。クラスは95?超級。1961年1月2日生まれ。2015年1月20日没。54歳。76歳の私は感謝。ご冥福を祈るのみ。
死因は肝内胆管がん。
日本人の死亡の3分の1はがん(癌)という現代。年間のがんによる死者数は30万人以上(柳田邦男『新・がん50人の勇気』・文春文庫37ページ)
こんな文献を見て,私の大腸ガンも,例外でも特別でもない,と納得。
『日本人とユダヤ人』の山本七平氏も膵臓ガンで死去(1921〜1991.12.10。69歳没)。『氷壁』『天平の甍』などの作品で有名な井上靖も食道がんというがんで死去。(1907〜1991。83歳没)。肺にも転移。
「自分で歩き、自分で処理して行かなければならぬものが、人生というものであろう」という名言を残した人井上靖(講談社『日本人名大辞典』222頁)。
私と同じガンの患者として,暗い絶望的な闘病生活を体験した人であろう,という共通的体験。この共通性によって,より親近感を抱く。
今さら,斉藤仁さんのロスやソウルの熱戦のDVDを見たり,七平さんの『日本人とユダヤ人』や井上靖の『氷壁』を読みたい心理ではない。
勿論,この3人の闘病日記が出版されているわけではない。紹介者の柳田邦男の前掲書も闘病状態の記録も簡略で要点のみ。あとは,読者の私の方で想像する。
腸閉塞と大腸ガン。鶏卵大の大きなガンを含む9ケ所のガンの摘出手術。約150?の大腸も半分の7〜80?になっている私の事例。それでも,すでに手術後1年3ケ月も元気で生活できている。感謝すべきことらしい。
服用治療半年の抗ガン剤ゼローダは終了して,昨年10月からは3週間おきに二泊三日の入院で48時間の連続投与の抗ガン剤の点滴。すでに6回も終了。2/4(水)。
沢山の液体状の薬品を投与。テルモ,大塚製薬,富士製薬,ヤクルト,ファイザー,協和発酵,キリンなどの製薬会社の薬品。大量なのは5−FU注1000?と大塚糖液5%300ml。魔法の妙薬とも言われるステロイド剤(副腎皮質ホルモン)は富士製薬6.6?2?など。薬剤師の赤木圭太さんは私と同じ古里広島県の三次市出身で東京理科大薬学部卒で27歳。いろいろリストをプリントして持参して説明してくれる。
しかし,専門的でよくは理解できない。
腫瘍マーカー(CA1919)が112.7となり(1/13 火),前回2014.12/1 月)は162.3であり、約50ポイント減少。その前は2014.10/1(水)の外来の診療の時にはCA1919は134.2。上限値は37以下。
大腸ガンが9ケ所もあったからには,血液中やリンパ液の中に沢山のガン細胞が入っており,体内の毛細血管の集中している処たとえば肝臓や肺や脳には転移し易いので,抗ガン剤で当分は予防する必要がある由は担当医師石毛孔明先生の説明。
余命1年とか2年でしょうかと質問しても,回答は不明確。多分,長いおつきあいになるとは思いますよ,という趣旨の返事。
ガンになってからの生存率5年は,乳ガンで90%,胃がんで70%,大腸ガンで73%とかなり向上しているとは国立がん研究センターの発表の由(近藤彰『どうもの休日―末期がん闘病記』風媒社67頁)。こういうデータを見て,若干安心する。自分は5年生存可能な73%の中に入るかなと期待する。希望を抱く。膵臓がんの場合では85%が1年以内に死亡とのこと。(同書12ページ)。
この風媒社の著者は近藤彰(1948〜2013.11没。65歳)。NHKの記者で名古屋局報道部長・広報部長で退職。その後は系列法人NHKサービスセンター名古屋支局長を2012年10月に退社。この翌年の11月2日に死去。前年2012年12月12日に入院。9日目に膵頭部局所進行ガンと告げられる。約11ケ月の闘病生活で死去。ご冥福を祈りたい。
クレージーキャッツのハナ肇(1930〜1993。63歳没)も,ザ・ドリフターズのいかりや長介(1931〜2004,72歳没)もガンで死去。他人のガンでの死亡の記述を読んで慰められたり、励まされたりする。ガンという神からの贈り物のせいでしょうか。
(H27−2015−2/4(水))
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