有限会社 三九出版 - 複眼的な見方の大切さ


















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〔後生に告ぐ!〕
                    複眼的な見方の大切さ
                            武田 喜治(東京都杉並区)

 お遍路は「出会いの旅」であると同時に「気づきの旅」でもある。机に座って頭をひねってもなかなか思い浮かばないことも散歩に出ると新しいアイデアなどがふとひらめくことがあるように,次の札所を目指して無心になってただひたすら歩いていると,普段気づかないことに気づかされることが実に多い。歩きの効用かもしれない。数多くの札所の中でも最大の難所である12番焼山寺へ上がっている時に気づいたことは,上り坂もあれば下り坂もある。道は右に左に曲がり,晴れもあれば雨もある。つまり現実の世界は相反する二つのことから成り立っているのではないかということであった。ただ当たり前のことにすぎないが,これまで意識したことはなかった。
 目を広げてみると,坂に上りと下りがあるように,すべての物事は,相反する二つのものからなっていることが伺える。目に見えるものと見えないもの,主観と客観,量と質,ブレーキとアクセル,男と女,始めと終わり,権利と義務,形式と実質,喜びと悲しみ,生と死という具合で数え上げたらキリがない。
 欧米人の思考の基本になっていることは,すべてのものを「権利と義務」,「男と女」などのように「対」としてとらえ,これらの「対」は二つ併せてワンセット,表裏一体のものとの見方をし,両者の相互性によってはじめてそれぞれの持ち味が活きるという考え方をしていることである。古代中国には陰陽説があり,相反する二つの「気」を「陰陽」といい,この「陰」と「陽」とがお互いに作用しあって万物が造り出されているという見方があったといわれる。
 しかし,我々はこの相反する二つのものを表裏一体のものと見るのではなく,両者を別々に切り離して自己中心的に自分に都合のよいものを受け入れ,自分に都合の悪いものは拒絶するような風潮が強いように思う。例えば,本来,苦と楽は表裏一体の関係にあり,苦がなければ楽もなく,楽がなければ苦もない。しかし,現実の我々はできるだけ,苦を避けて楽を得ようとしているが,これでは本当の人生の姿は見えてこないように思う。
 「目に見えるもの」だけを信じるというこれまでの日本の社会は,ものの見方や価値観が片方だけに偏り,その弊害がいろいろな面で現れているように思う。実際には「目に見ないもの」にも大切なことがたくさんある。戦後「目に見えないもの」は,「科学的でない」,「客観的でない」,「証明できない」との理由で否定されてきた。他方において尊重されたものは,「目に見えるもの」,「数量化できるもの」で,その代表格は「数字」。「経済成長,つまり量的な拡大が幸せをもたらす」という単純な原理への信仰が戦後長い間支配してきた。
 このように戦後の我が国の経済発展の姿を見れば,相反する二つのもののうち,いずれか一方を優先し,他方を軽視するような風潮が続き,効率,スピード,物質的なものが重視され続けてきたのではないだろうか。例えば戦後我が国の森林においては在来の常緑樹や落葉広葉樹が切り倒され,その代わりに経済性が高いとされるスギ,ヒノキが植林された。しかし,木材価格の低下で間伐などの手入れもされずに,伐採期が到来しても伐採されることなく森林は放置されている。効率性,経済性だけが重視され,それが端的に裏目に出たのが我が国の現在の森林の姿のように思われる。また福島県で地震に伴う津波被害により深刻な原発事故が発生した。効率優先によって安全性の確保がおろそかにされてきたのではないかという見方もできなくもない。また,たとえ原発が経済性に優れていたとしても,地震大国の日本に果たしてふさわしいものかという見方もできる。もちろん,効率やスピードの大切さを否定するものではない。しかし,効率が重要であるように,非効率的な要素も同様に重要であるということである。
 近年になって,モノ優先の社会のもろさ,経済的繁栄に対する不信感が一気に噴き出して人々は内面的な豊かさ,心に目を向けるようになってきた。量的な拡大を求めるのではなく,人生のやりがい,生きがいといった質的な充実を求める方向へ大きく関心が移っている。最近では経営者自らが「経済成長至上主義」に対して疑問を投げかけ,「GDP(国内総生産)を伸ばすのに疲れた。その割にみんな幸せではない。何のために成長を続けるのか新しい指標を模索すべきだ」と経済成長至上主義への反省の声も聞かれるようになってきている。また最近「1強多弱」な政治状況の中で,「これしかない」とものごとを単純化する動きがあるほか,アクセルばかりでブレーキが利かなくなった政治の行く末に懸念は深まるばかりである。
 あれかこれかの二者択一ではなく,あれもこれもいずれも大事であるとする複眼的な見方が,現在ばかりではなく今後ますます求められるように思う。


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