有限会社 三九出版 - 初めての世界一周旅行記(その2・英国編)


















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☆超音波医学国際会議出席異聞(10)
                初めての世界一周旅行記(その2・英国編)

                         和賀井 敏夫(神奈川県川崎市)

 ○マンスフィールド(イングランド)
 1969年6月17日,初めての英国訪問に緊張しながら,まず招待されたマンスフィールド総合病院を訪問した。放射線科のタウンゼント博士の連絡に従い,ロンドン,パディントン駅より列車に乗り,ダービー駅に到着。タウンゼント先生が出迎えてくれた。彼の車に案内され,それが物凄いスポーツカーだったのに驚嘆。聞くとこれは彼の趣味で,カーレーサーのライセンスも持っているとのことだった。スポーツカーで高速道路を快走,マンスフィールドの町に着いた。2階建ての家が多く並ぶ古いが親しみの持てる町だった。マンスフィールド総合病院は,大きい古い煉瓦造りの2階建ての建物だったが,内部は近代的に改装されていた。早速,タウンゼント博士主催の講演会に出席した。超音波診断法はまだ経験が無いらしく,質問も初歩的なものが多かった。
 講演後,彼の自宅に案内された。郊外の広い敷地内の煉瓦造りの古い大きい2階建ての家で,内部は近代化されていた。奥様と2人の小学生のお子さんを紹介され,私は2階の広い部屋に泊めて頂くことになった。ベッドとシャワー室,トイレが付いた立派なものだった。夜,私の歓迎ホームパーテイが,2,3の病院の仲間や隣人10名ほどを招待して行われると聞かされ,初めてのことで緊張した。9時頃より皆さん集まり出した。皆さん顔馴染みらしく,気の置けない雰囲気にはほっとした。10時頃になってやっとバイキング式の夕食が出たのには,空腹だっただけに嬉しかった。皆さん居間のソファーや椅子に座ったり,立ったりして料理や飲み物を楽しんでいた。私は皆さんに紹介されたが,多くの人は日本人に会うのが初めてとのことで,日本のことが話題の中心となった。しかし「日本は〈赤い中国〉の一部か,何でも食べるか,水道はあるか」など,現在より約半世紀前の英国の田舎での日本の認識は,インテリ階級でもこの程度であったことは驚きだった。次いでカーデフに向かった。
○カーデフ(ウェールズ)
 夜遅いカーデフ駅到着にもかかわらず,王立カーデフ病院のグラベル博士が迎えに出てくれたのは感激だった。早速,ご自宅に案内され,2階の素晴らしいゲストルームに宿泊することになった。ここでも奥様から宗教による食事の制限など色々質問されたのには,当時の英国のインテリ階級でも日本の理解度の低さには驚かされた。翌日,王立カーデフ病院を訪問,中世の聖堂を思わせる歴史的な外観に驚くと同時に内部の近代化にも感心させられた。早速,教授の昼食会に招待され,皆さんに紹介された。驚いたのは病院スタッフの紹介に,教授A・内科・イングランド,教授B・外科・ウェールズ,教授C・眼科・スコットランド,部長D・小児科・アイルランドなど出身地をつけることに驚くと同時に,ウェールズ人の郷土に対する誇りと伝統が感じられた。昼食会では食事を取りながら議論をする風習があるとのことで,約2時間かけての昼食が理解された。昼食後,放射線科グラベル先生主宰の講演会に臨んだ。この病院では有名な乳癌診断装置による超音波診断研究が活発だったので,私の講演に対する質問も活発だった。
 当時私は「英国はイギリス,イングランド」と簡単に思っていたが,実際は大英帝国(United Kingdom)はイングランド,ウェールズ,スコットランド,北アイルランドの4か国よりなるもので,これら各国は独自の言語などの文化を持っていることを初めて知らされたのだった。カーデフでは小学校の教育はウェールズ語で行われ,週何度か英語の授業もあるとのことなど,全く知らなかったとは言え驚くことばかりだった。また英国王室はウェールズ懐柔のため,歴史的に英国王室第1王子を「Prince of Wales」に任命してきたが,丁度私がカーデフを訪問した時は,チャールズ皇太子の就任の直前であった。ウェールズ人は就任の挨拶はウェールズ語で行わなければならないとして,チャールズ皇太子はカーデフ大学の寮に入りウェールズ語の特訓を受けるとのことだった。また街角にはこの式典を祝って,緑地に赤竜のウェールズ国旗が飾られていた。国旗についても,現在の大英帝国の国旗ユニオンジャックは,イングランド,スコットランド,北アイルランドの国旗を合成したものだが,ウェールズはこれに加わらなかったとのことからも,ウェールズ人の独立精神が感じられた。また我々戦中派にとっては,[Prince of Wales]と言えば,第2次大戦開戦劈頭,大英帝国が誇る新鋭戦艦 [Prince of Wales] が帝国海軍航空隊の爆撃機によりマレー半島沖で撃沈されたことを思い出していた。
 カーデフから私の教え子が留学中のリバプールを訪問後,大西洋を横断,アメリカ訪問に向かった。



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