《自由広場》
ワールドカップ観戦記
山本 年樹(神奈川県川崎市)
6月に約3週間ブラジルを訪れ,サッカー日本代表の2試合を観戦しました。ブラジルはかつての勤務地であり,貴重な体験を積んだところですので,その国がどのように変わったのか是非この目で確かめたいという思いもありました。昨年から申し込んでおいた入場券が首尾良く抽選に当り,友人夫妻と4人で出かけました。
1. 第1試合 コートジボアール戦
リスボンで2日休養した後,ブラジルに入り直接試合の地レシーフェに行きました。ブラジル東部海岸の街で,傘の踊りで有名な観光地です。我々の泊ったホテルが選手達の宿にもなっていましたので,ロビーで彼らの到着を待っていました。我々も日本代表の青いユニフォームを着用して盛り上がっていました。しかし大型バスから降りてきた本田,長友,長谷部などの選手の表情が一様に硬くて,にこりともせず,そそくさと別室に行ってしまったのです。疲れているのか,緊張しているのか分りませんが,気持ちの余裕が感じられず残念でした。
試合当日,雨の中我々はシャトルバスで小1時間かけてスタジアムへ。レシーフェには7千人の日本人が集まり,スタジアムは“さむらいブルー”が相手方を圧倒していました。そして試合開始のホイッスルが鳴りました。前半の早い時間に本田のシュートが決まり,我々は大喜びです。しかし,その後なかなか追加点が取れず,ジリジリするような思いで前半戦が終了しました。先取点を取ったことで,逆にこれを守るのか又は攻めて追加点を取るのか,選手間の動きが悪くなったような印象でした。そして後半,相手国の英雄ドログバ選手が登場するや,試合の流れが変わりました。5分間で立て続けにヘッディングシュートを決められ,逆転負けとなりました。深夜を過ぎた中,雨でぬかるんだ道を口数も少なくトボトボと帰路に向いました。サポーター達が黙々とブルーのビニール袋にゴミを集めていました。
2. 第2試合 ギリシャ戦
レシーフェからバスで5時間かけて次の試合地ナタールへ移動しました。ところがバスの中で入場券を紛失,ナタールの警察署で事故証明を出して貰い,それをFIFA現地オフィスへ届け再発行して貰うという一騒動もありました。
さて,スタジアムには高円宮妃もご臨席され,今日こそと我々も声をからして応援しました。試合の方は,相手方のレッドカード退場で11対10という圧倒的な有利な展開となりました。しかし,ギリシャの守りは堅くなかなかゴールを割ることができません。本田や香川がゴールに迫ろうとしますが,それをフォローする選手との連携がうまくいかず,時間だけがいたずらに過ぎて行きました。そして,結局0:0の引き分けに終りました。試合後,観客席に寄ってきた代表選手達の悄然とした姿に,我々も拍手を送るのが精いっぱいでした。
3. 第3試合 コロンビア戦
この試合は内陸の街クイアバで行われましたが,現地ホテルや交通事情が厳しくて,現地観戦をあきらめサンパウロのホテルでTV観戦をしました。
日本はどうしてもこの試合に勝たなけらばならないというプレッシャーがあり,この日も攻撃が空回りしていました。そしてコロンビアの怒涛の攻めにディフェンス陣が切り裂かれ4点もの大量失点となりました。岡崎が1点返したのがせめてもの意地を見せたというところでしょうか。
ザックジャパンの挑戦はここまででした。現地メディアは日本サポーターのマナーを賞賛していましたが,世界の壁の厚さをあらためて実感した大会となりました。サッカーの世界はどんどん進化しレベルが上がってきています。前回優勝のスペインが早々に敗退したり,あのブラジルでさえ準決勝でドイツに1:7という屈辱的大敗をしました。日本もこの敗戦を糧に次のロシア大会に向けて更に一段とたくましく成長してほしいものです。
4. 旧友との交流
サンパウロ滞在中に昔の仕事仲間と会って,久しぶりに話が弾みました。全員が会社を退職していましたが,自分でコンサルタント・オフィスを開業したり,中にはドライ・クリーニングの店をやっていたり,それぞれに充実した生活をエンジョイしていました。語学研修の地ポルトアレグレまで足を伸ばし,親友となった元支店長ウーゴにも会ってきました。彼は7人もの孫にめぐまれ,幸せなシニアライフを送っています。大家族が集まって,美味しいシュラスコ(焼肉)を振舞ってくれました。感動的で忘れられない昼食となりました。試合は残念でしたが実り多い旅となりました。
ワールドカップ観戦記
山本 年樹(神奈川県川崎市)
6月に約3週間ブラジルを訪れ,サッカー日本代表の2試合を観戦しました。ブラジルはかつての勤務地であり,貴重な体験を積んだところですので,その国がどのように変わったのか是非この目で確かめたいという思いもありました。昨年から申し込んでおいた入場券が首尾良く抽選に当り,友人夫妻と4人で出かけました。
1. 第1試合 コートジボアール戦
リスボンで2日休養した後,ブラジルに入り直接試合の地レシーフェに行きました。ブラジル東部海岸の街で,傘の踊りで有名な観光地です。我々の泊ったホテルが選手達の宿にもなっていましたので,ロビーで彼らの到着を待っていました。我々も日本代表の青いユニフォームを着用して盛り上がっていました。しかし大型バスから降りてきた本田,長友,長谷部などの選手の表情が一様に硬くて,にこりともせず,そそくさと別室に行ってしまったのです。疲れているのか,緊張しているのか分りませんが,気持ちの余裕が感じられず残念でした。
試合当日,雨の中我々はシャトルバスで小1時間かけてスタジアムへ。レシーフェには7千人の日本人が集まり,スタジアムは“さむらいブルー”が相手方を圧倒していました。そして試合開始のホイッスルが鳴りました。前半の早い時間に本田のシュートが決まり,我々は大喜びです。しかし,その後なかなか追加点が取れず,ジリジリするような思いで前半戦が終了しました。先取点を取ったことで,逆にこれを守るのか又は攻めて追加点を取るのか,選手間の動きが悪くなったような印象でした。そして後半,相手国の英雄ドログバ選手が登場するや,試合の流れが変わりました。5分間で立て続けにヘッディングシュートを決められ,逆転負けとなりました。深夜を過ぎた中,雨でぬかるんだ道を口数も少なくトボトボと帰路に向いました。サポーター達が黙々とブルーのビニール袋にゴミを集めていました。
2. 第2試合 ギリシャ戦
レシーフェからバスで5時間かけて次の試合地ナタールへ移動しました。ところがバスの中で入場券を紛失,ナタールの警察署で事故証明を出して貰い,それをFIFA現地オフィスへ届け再発行して貰うという一騒動もありました。
さて,スタジアムには高円宮妃もご臨席され,今日こそと我々も声をからして応援しました。試合の方は,相手方のレッドカード退場で11対10という圧倒的な有利な展開となりました。しかし,ギリシャの守りは堅くなかなかゴールを割ることができません。本田や香川がゴールに迫ろうとしますが,それをフォローする選手との連携がうまくいかず,時間だけがいたずらに過ぎて行きました。そして,結局0:0の引き分けに終りました。試合後,観客席に寄ってきた代表選手達の悄然とした姿に,我々も拍手を送るのが精いっぱいでした。
3. 第3試合 コロンビア戦
この試合は内陸の街クイアバで行われましたが,現地ホテルや交通事情が厳しくて,現地観戦をあきらめサンパウロのホテルでTV観戦をしました。
日本はどうしてもこの試合に勝たなけらばならないというプレッシャーがあり,この日も攻撃が空回りしていました。そしてコロンビアの怒涛の攻めにディフェンス陣が切り裂かれ4点もの大量失点となりました。岡崎が1点返したのがせめてもの意地を見せたというところでしょうか。
ザックジャパンの挑戦はここまででした。現地メディアは日本サポーターのマナーを賞賛していましたが,世界の壁の厚さをあらためて実感した大会となりました。サッカーの世界はどんどん進化しレベルが上がってきています。前回優勝のスペインが早々に敗退したり,あのブラジルでさえ準決勝でドイツに1:7という屈辱的大敗をしました。日本もこの敗戦を糧に次のロシア大会に向けて更に一段とたくましく成長してほしいものです。
4. 旧友との交流
サンパウロ滞在中に昔の仕事仲間と会って,久しぶりに話が弾みました。全員が会社を退職していましたが,自分でコンサルタント・オフィスを開業したり,中にはドライ・クリーニングの店をやっていたり,それぞれに充実した生活をエンジョイしていました。語学研修の地ポルトアレグレまで足を伸ばし,親友となった元支店長ウーゴにも会ってきました。彼は7人もの孫にめぐまれ,幸せなシニアライフを送っています。大家族が集まって,美味しいシュラスコ(焼肉)を振舞ってくれました。感動的で忘れられない昼食となりました。試合は残念でしたが実り多い旅となりました。
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