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《自由広場》 
                     肩 書 き 人 生
                            松井 洋治(東京都府中市)

 最近,念願の「無職」となった学生時代からの友人が,新しい名刺をくれた。
 「肩書き」が何もなく,ただ「姓名」と「住所,電話番号,メールアドレス」だけのもので,何ともすっきりしている。72歳になり,同級生の大半は「肩書き」どころか「名刺」そのものとも,全く無縁の生活をしている。
 そんな中で,まだ現役で頑張っている(頑張らざるを得ない?)私は,なかなか名刺との縁は切れないが,先日,最近頂戴した名刺の整理をした。
 自由業の方々の名刺には,顔写真や似顔絵,各種イラストを入れるなど,様々な「遊び」で,自己PRに配慮したものが多く,結構楽しめるが,サラリーマンのそれは,基本的には,会社名・役職名(肩書き)などだけで,個性を感じさせられるものはまず見当たらない。あれこれ整理していく途中で,改めて「すごい!」とつぶやく名刺に出くわした。先にご紹介しておくが,この名刺を下さった方は日本人である。
 頂戴した時にも驚いた記憶があるが,大げさに言えば「真っ黒」の名刺なのだ。黒いのは紙の色ではなく,印刷された字がぎっしりと並んでいて,隙間が殆どないのである。まず,名刺の表(おもて)に印刷されているのは,漢字は,ご本人の姓名と,住所だけで,あとは全て英語(横文字)の肩書きがびっしり。そして,裏面は,現在兼務しておられる全部で(本稿を書くに当たって初めて数えてみたが)16もの役職名(肩書き)がずらり。こちらは全て日本語の活字で埋め尽くされている。
 この方のお名前を申し上げれば,その業界では知らない人はいないほどの有名人であり,実力者であり,これら16の肩書きは全て,傘寿を迎えられた現在も,しっかり兼務されているから驚くばかりだが,年齢的にも,さぞかしお疲れになるに違いない。特に「肩」が凝るのでは?と,余計な心配をしている。
「肩書き」に関しては,もう一人,「どうしてそんなに“肩書き”にこだわるの?」と言いたくなる同級生の話を聞いていただこう。
 彼は,私が16年前まで勤務していた企業のメインバンクに在籍していた。
 当時,経理担当だった私は,同行の融資部に,毎月必ず「月次決算報告」のために行っていた。彼は,融資部とは直接関係がなく,同行に行っても一度も会うことはなかったのだが,ある時,在学中のサークルの後輩から「会員名簿」が送られてきた。
 見ると,その彼は,何と,そのメインバンクの「総務部長」となっているではないか。政府系の金融機関であり,従来から「国立で,しかもT大出身者しか部長にはなれない」と聞いていた私は,驚くと同時に,「彼はすごい。頑張ったんだ!」と感心して,翌月の報告の際,早速,担当者に尋ねてみた。
 ただ,「こちらの総務部長さんは…」と,そこまでしか言わなかったことを20数年経った今でも,大正解だったと思っているが,「総務部長は,Kという人ですが,何か?」という答えに一瞬たじろぎ,「いえ、こちらの総務部さんに,K大(私立)出身のHという人がいると思いますが,私の学生時代のサークル仲間なんです」と言うと.「ああ,その人は総務部ではなく,数年前から資料編纂室の次長ですが,呼びましょうか?」と言われ,「いえ結構です。彼が元気ならばそれで…」と汗を拭きながら答え,早々に退散したのを,昨日のことのように思い出すが,話はそれで終わらない。
 それから数年後,詳しい経緯は省略するが,彼は某私立女子大学の教授となり,経済学博士号も取得し,10年近く教鞭を取った後,昨年3月に退職,現在は悠々自適の毎日を送っている。その彼から,最近届いたメールの最後に添えられた「署名」を見てびっくり。そこには「氏名」の下に「Dr.Emeritus Prof.○○」(博士,○○大学名誉教授)という立派な「肩書き」が付いている。思わず,冒頭に紹介した「肩書きの一切ない名刺」と比較してしまった。
 「博士号」は勿論,「名誉教授」という肩書き(というより「称号」)も,法的(学校教育法),国際的に認められた栄誉称号で,既に大学との雇用関係はなくても,終生使って構わない立派な肩書きであるらしい。従って,完全にリタイヤ―した彼が,名刺やメールの署名に使うことには,何の問題もないし,私の単なる偏見なのかもしれないが,「総務部長」という“背伸びした偽の肩書き”をサークル名簿に寄せた彼が,いまだに「肩書き」にこだわっているという気がしてならない。
 『ことわざ体験エッセイ集 これぞ先人の知恵・教訓!』(三九出版刊)の「後生畏るべし」に寄せた拙文「ただ絵が好きなだけ」で紹介した「これ以上人が来るようになっては困るし、袴が嫌いだから」と言って,文化勲章も勲三等も断った画家・熊谷守一の生き方を,改めて思い出している。

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