有限会社 三九出版 - ――《自由広場》――   『うたごえ喫茶考』


















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『うたごえ喫茶考』

吉岡 昌昭(埼玉県さいたま市)

過日,浦和のシティホテルで,「うたごえ喫茶」を開催するというので出かけた。会場は大宴会場で,各テーブルは着飾ったレディーで一杯。50代から60代が中心でざっと数えても優に500人は超えている。定刻になると,京都の歌声喫茶でリーダーをしているという女性が元気に出てきた。先ず発声練習,調子が出てくると,では「青い山脈」からと始まった。終わると盛大な拍手。次いで「夏の思い出」。ご婦人が圧倒的に多いから,お好みの選曲だろうと思っていると,次は「花嫁」。正直なところ,何で!?と患った。“花嫁は夜汽車に乗って嫁いで行くの……”,という歌である。この曲は,昭和46年の紅白歌合戦で唄われたそうだ。その次は「みかんの花咲く丘」。いい雰囲気だな……と思っていると「この広い野原一杯」。なんとかったるい無目的な歌詞,甘ったるいメロディーなのだろうか。この歌からは明日の希望を感じない。しかし,会場は大声で大合唱,もはや自己陶酔の世界である。私はおとなしくしているしかない。次は「恋心」。一寸待ってくれ!どうして,ここで「恋心」なのか?
昭和12年生まれの私が,かつて通った新宿の「ともしび」,「カチューシャ」では,ロシア民謡,ラジオ歌謡,童謡,山の歌,労働歌等だった。あの時代,フォークソングというようなものはまだ無かったと思う。前半の部が終わり,コーヒータイムになった。私は,隣席のご婦人に「うたごえ」というので,ともしびやカチューシャの頃を思い出しながら来たのですが…と言うと,彼女も私もそうです,と言い昭和16年生まれとのこと。
第二部のリーダーは名の知れたミュージシャンでラジオでも番組を持つパーソナリティだそうで,彼の持ち歌「風」から始まった。そこでは「俺の歌を聴いてくれ」という感じで,見事な歌を披露してくれたのはいいのだが,その後続いての歌は「岬めぐり」「いちご白書をもう一度」「サントワミー」「Sachiko」「花」「青葉城恋唄」「ゴンドラの唄」「千の風にのって」「銀座カンカン娘」である。古い歌はまだ分かるにしても「いちご自書をもう一度」を聴いた時は,がっくりした。歌の内容は学生時代のことのようだが「授業を抜け出して二人で映画をみにいった」とか「就職が決まったから髪の毛を切った」とか,そもそも歌詞がおかしい。このような学生を採用した会社には明日はないだろう。音楽は若者の心に大きな影響を与える。私は,何がこの世代の若者をしてこのような歌を唄わせたのだろうか? と聴きながら疑問を感じた。再び,女性のリーダーが出てきて皆で「今日の日はさようなら」を唄いながらお開きとなった。私は何となく裏切られたという感じだったが,考えてみれば期待した方が悪いのだと思いながら会場を後にした。
別の日,私は新宿の「ともしび」に行った。店は靖国通りに面したビルの6階にある。店は入りやすく,雰囲気もいい。土曜日の午後だったが,既に大勢の客で賑わっていた。案内された席は,60代とおぼしの女性が4人,私と同年代の男性が2人。浦和のホテルとは違い,庶民的で親しみやすい。壁面にリクエスト曲順位表が貼ってあった。一位はアンジェラ・アキの「手紙」である。この歌は,2008年度NHK全国中学校合唱コンクールの課題曲で,私は,この番組を見ていたのですぐ分かった。しかし,今,何故「手紙」を小母さま達が好んで唄うのか理解できない。次いで「翼をください」。この歌は中学校の教科書に載っていたから小母さま達は若い頃唄っていたのだろう。休憩の時,同席のご婦人方に「手紙」はどこで知ったのですか? と聞くと,「このお店で」,「テレビで」という答え。「いつ頃でしたか?」「去年の紅白の時だったと思う…」と言う。隣りの紳士にも同じ質問をした。「ここで知りました。いい歌だと思います」と。私は彼に「ロシア民謡などを期待してきたのですが…」と言うと,「リーダーはその辺のところは分かっているようで,ロシア民謡もやりますよ。でも,二曲続けて同じ様な曲は唄いません」とのこと。
彼女達にとって,かつての「うたごえ」は遠い昔のことの様である。「ロシア民謡は…?」と聞くと「歌いたくない」「好きじゃない」と強い調子で応えた。考えてみれば,今や生活が豊かになり,平和な時代なのである。今日ではロシア民謡が持っている要素,つまり,現状からの脱却,人民共通の目標に向かって進んで行く,というような内容を含む歌,それも本心からではなく,他(上)からの圧力で或る目的,目標に向かうのであって,自らの意思で進むのではないのだ。そういうニュアンスを彼女達は本能的に察知しているのではないだろうか。要するに彼女達は自分の好きな歌を唄うためにこの店に来るのであり,それでいいのである。私は,つまらない質問をしたことを後悔し,これでいいのだと納得しながら帰途についた。
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