有限会社 三九出版 - 東北発 ☆ 未来塾 ?


















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 ☆東日本大震災☆            東北発 ☆ 未来塾?

                            北島比呂志(東京都世田谷区) 
                            

 本誌の前号でご紹介させていただきましたように,私の所属しているNPO法人ピープルズ・ホープ・ジャパン(PHJ)は従来東南アジアでの母子保健医療支援活動を行ってきましたが,2011年3月11日を機に気仙沼,石巻地区を中心に被災病院への復旧復興支援を開始しました。被災発生から3年余過ぎたこの6月末に3日間,気仙沼地区(医師会)と石巻開成地区開成仮診療所(長先生)を訪問し,新たな支援のニーズと当NPOとして可能な活動の調査を行いました。本号ではその訪問した現地の様子の報告をさせていただきます。
 東京を午前9時にPHJ車で出発し,東北自動車道路を走行,一関インターより国道284号を通り,気仙沼到着は午後5時でした。私たちの宿泊地に気仙沼医師会元事務局長が雨の中わざわざお越しくださいました。同元事務局長と二人三脚で復興の陣頭指揮を取ってこられたPHJ木村代表がこの5月に亡くなられた事の話が出ましたが,凄惨な現場から復興への道を歩みつつある途上での木村代表の急逝には元医師会事務局長も惜別の念を強くされていました。気仙沼の方々とPHJの“強い絆”を再確認した次第です。
 第一次医療支援は終わりましたが,気仙沼港沿いにある復興の象徴「復興屋台村“気仙沼横丁”」は地元をはじめ多くのボランティアの支援で食堂,お土産店が集まり,仮設のステージでは“気仙沼みなとまつり”など季節ごとのイヴェントを企画して子供から大人までが集まって来ています。近くの小さなプレハブ事務所には外国人数名が常駐して交代でボランティア活動を継続支援中です。また,ガレキが取り除かれ平坦になった跡地へはダンプカーをはじめ,ブルドーザーなどの機械が往来して,海抜15メートルの目標板の高さまで「盛り土」作業が行われています。近い将来この「盛り土地域」に新しい住宅を含めた建物の建築が予定されています。これらの光景には復興途中の感を強くしました。
 翌日は気仙沼地区医師会長の病院を訪問しましたが,新しく医師会長になられた院長はじめ病院の職員の方々からも当NPOの震災復興支援活動に対して深い感謝の言葉をいただきました。また,今回の津波震災での気仙沼地区での犠牲者は1350人以上と言われています。今回お目に掛かった方々のご親戚や友人知人が犠牲になっていることを聞き,それにも拘らず,多くの方々がそれらを乗り越えて新しい目標を持って生きている姿を見るにつけて,私たちの活動が少しでもお役に立つことができることを強く祈った次第でした。これからは当NPOの限りある資源の中からですが,有効なピンポイント支援を行うことを確認して気仙沼を後にしました。
 石巻へ向かう途中通過する南三陸町では,ガレキが撤去された中に赤い鉄骨だけが残った“防災対策庁舎”(女性職員の方が,最後まで町民の皆に避難するようアナウンスを続けた末に,ご自身は津波の犠牲になってしまった建物)がポツンと聳え立ち,ここは時間が止まったままのようで3.11の惨状を想起させられました。
 石巻では,前号で紹介しました長先生のいらっしゃる石巻市開成仮診療所を訪問しました。石巻地区は最多の3700人以上の犠牲者が出たといわれています。石巻開成地区は,今も総合運動場を中心に最大の仮設住宅1900世帯,約4000人が入居しています。長さんは,現在も午前中診療所で診察をして午後からはPHJが寄贈させていただいた“ドクターカー”を運転して来所できない高齢者の訪問診察をしています。長先生は被災地での医療活動と同時に「地域医療の確立」を目指し,前号でも述べました「支援システム」として,その後,仮説診療所に隣接して市のバックアップのもと,「包括支援センター」を建設しました。一階はリハビリ器具の設置によるリハビリテーションエリア,介護士やボランティアたちとのコミュニケーションエリア,そして二階は各グループのフリーな打ち合わせゾーンになっています。夏休みを利用して子育て支援の企画もあります。
 また,この「包括支援センター」は子供・高齢者そして障害者の共生・ささえ合いの場でもあります。震災津波被害直後に必要とされた第一次医療から3年経った今では,心のケアーやリハビリテーションなど医療を補完するサービスが重要であるとして,さらに孤立化しがちな仮設住宅に住む方々のコミュニティーづくりが不可欠であり,その実現を目指してこのセンターが設立されたのでした。
 “ドクターカー”に次ぐPHJ支援について長先生のご要望を伺い,今後は市の予算では申請しづらいアイテムを支援させていただくことにしました。支援草の根運動「東北発☆未来塾」の一助を担うように尽力しなければならないことを痛感しました。





 
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