〈花物語〉 夏 の 七 草
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
高校卒業がきみとの別れだったから,あれからかれこれ60年経ったということになる。おたがいに爺(じじい)になったが,記憶の中の時間は時計の振り子が停止したまま。だからぼくらは無垢と臆病という青春の衣装を身につけたままの姿で,記憶という印画紙に焼きつけられている。
ところで,きみは〈夏の七草〉という言葉を聞いたことはないか。昭和19年の秋,ぼくは母方の在所に戦時疎開したが,いまはもう亡くなった叔母が, 何かの折に〈夏の七草〉といって, 「アカザ,イノコズチ,ヒユ,スベリヒユ,シロツメグサ,ヒメジョン,ツユクサ」の名を口にしたのを覚えている。じっさいぼくはアカザを口にしたこともある。
最近知ったのだが,〈夏の七草〉は,昭和20年6月20日の内閣情報局の『週報』に「勝ち抜く食料」と題されて発表されたものだという。あれらの日々,ぼくらはたしかに飢えていた(食べ物はもちろんだが,それにもまして〈知〉に飢えていた) ― 「去年(こぞ)の雪 いま何処(いずこ)」。
ぼくの行く自然公園では,シロツメクサ,ヒメジョン,ツユクサをよく見る。ぼくはとくに左右相称の藍色の花をつけるツユクサが好きだ。蛍の飛ぶころに咲くから異名は蛍草。だから夏草かとおもうと,季語は秋。露が秋の季語だからである。春と秋
の七草はいまもひとびとの口に上るが,〈夏の七草〉はあのころの暗い日々の記憶の中にのみ残る。
※「〈夏の七草〉は、……と題されて発表されたものだという」(木村陽二郎
『私の植物散歩』ちくま学芸文庫を参照)
小櫃 蒼平(神奈川県相模原市)
高校卒業がきみとの別れだったから,あれからかれこれ60年経ったということになる。おたがいに爺(じじい)になったが,記憶の中の時間は時計の振り子が停止したまま。だからぼくらは無垢と臆病という青春の衣装を身につけたままの姿で,記憶という印画紙に焼きつけられている。
ところで,きみは〈夏の七草〉という言葉を聞いたことはないか。昭和19年の秋,ぼくは母方の在所に戦時疎開したが,いまはもう亡くなった叔母が, 何かの折に〈夏の七草〉といって, 「アカザ,イノコズチ,ヒユ,スベリヒユ,シロツメグサ,ヒメジョン,ツユクサ」の名を口にしたのを覚えている。じっさいぼくはアカザを口にしたこともある。
最近知ったのだが,〈夏の七草〉は,昭和20年6月20日の内閣情報局の『週報』に「勝ち抜く食料」と題されて発表されたものだという。あれらの日々,ぼくらはたしかに飢えていた(食べ物はもちろんだが,それにもまして〈知〉に飢えていた) ― 「去年(こぞ)の雪 いま何処(いずこ)」。
ぼくの行く自然公園では,シロツメクサ,ヒメジョン,ツユクサをよく見る。ぼくはとくに左右相称の藍色の花をつけるツユクサが好きだ。蛍の飛ぶころに咲くから異名は蛍草。だから夏草かとおもうと,季語は秋。露が秋の季語だからである。春と秋
の七草はいまもひとびとの口に上るが,〈夏の七草〉はあのころの暗い日々の記憶の中にのみ残る。
※「〈夏の七草〉は、……と題されて発表されたものだという」(木村陽二郎
『私の植物散歩』ちくま学芸文庫を参照)
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