《自由広場》
「竹の子医者」の日々 その11
星 康夫(東京都世田谷区)
○被災地、あれから3年○……今日は3月12日。東日本大震災3周年の追悼式が全国で行われました。もう3年経ったのか,いや,まだ3年しか経っていないのか,人それぞれ感じ方も違うでしょう。
昨年の夏休み,一度は訪ねておこうと思っていた故郷の被災地を,妻と息子と3人で回りました。東京を早朝に出発,途中福島に寄り,父母の墓参りをすませて北上,仙台の南から海岸沿いに進みました。走行中の道路や鉄道の線路が,堤防の役目を果たし,津浪はそれ以上奥に入って来なかったとの事。当時テレビで見た,まるで生き物のアメーバーの様に全てを飲み込んで行く津浪,走行する高速道の右と左では景色が違います。仙台に住んでいた頃の住所,宮城野原はそのまま通過し,利府,塩竈を通り抜けて松島に到着しました。予約をしていた宿は,福浦島の裏手にあり,津浪の被害は殆んどなかったとの事。しかし目の前の漁船の船着き場は50?も沈下し,そのカサ上げ工事の最中でした。 五大堂まで海岸を歩きましたが,周囲の沈下の程度や,海岸のお店の被害の程度がよくわかりました。幸い五大堂は昔のままでした。
瑞巌寺に向かいました。山門を入ると,以前は鬱蒼としていてすずしいというよりもむしろ寒いとさえ感じた参道の杉林は塩害により伐採されて,まばらとなり,以前の面影はなく,日当たりが強く感じられました。工事中の本堂にお参りし,隣りの円通寺に回り,きれいに手入れされた苔の庭で,ほっと一息つきました。
翌朝,松島を出発して北上,石巻を目指しました。目的は「旧・ハリストス正教会」です。私が幼児期に洗礼を受けた,佐沼の教会の教区長にあたります。立派な「石森章太郎マンガ館」のすぐ側に,屋根の上にポツンと十字架をのせ,荒野の中に寂しく建っていました。数年前の地震でも被害を受け,やっと修復が出来た時だったと聞いていました。もう一度昔の姿に戻ってくださいと頭を下げて帰ってきました。石巻を出発し志津川に向かいました。生まれ育った佐沼(現登米市)の隣町を通過して更に北へ。志津川(南三陸町)が見渡せる地に達しました。町の面影は全くない。重機が動き回り,ガレキを片付け,小山が出来ている。「志津川駅」と書いた場所に着いた。何も無い。目の前に小さなトンネルがある。入ってみると両側に向かう小さな階段,上ってみると鉄道のホームの跡だった。周囲は草と水溜り,そしてその荒野の中にあの写真で何度も見ていた「防災対策センター」の鉄骨だけになった建物が残っている。周囲には何もない、何もない。無念の気持を残して逝った方々のご冥福を祈るのみ。
歌津大橋の残骸を見ながら更に北へ向かう。海水浴に来た事がある大谷海岸,観光客も多少戻って来ている様だ。気仙沼が近づいて来た。ゆっくりと街に入る。この街があの津浪と火災に襲われたのだ。 「あれが魚市場。おいしいウドン屋さんがあったね」思い出せない程に変わってしまっていた。信号で停車,左手に大きな船(第18共徳丸:昨年末に撤去)が見える。見上げる程に大きいこの船が,港からここまで流れて来たのだ。以前,気仙沼に来た時には,いつも立ち寄った巨釜・半造を今回は通過して陸前高田を目指す。「高田の1本松」あの大きな津浪に耐え,たった1本だけ残ったのだ。かなり離れた駐車場から歩いてすぐ側まで行ってみた。周囲は防潮堤の設置の工事でかなり遠回りを強いられた。この付近は20kmにも及ぶ長い美しい松原だったが本当に今は何もない。三陸の旅もここまでにして,明日は世界遺産となった平泉を見学して帰京しましょう。この旅の途中で気がついた事が2つ程あります。1つは各集落の中に1つは大きな鳥居が立っていた事です。そしてその鳥居の後には真っ直ぐに上へと参道の石段がありました。きっと津浪が来たらこの道を逃げなさいという先人の教えなのでしょう。また,車で国道を走りますと,海沿いの集落・岬。そしてまた海沿いの集落から岬と大きく回りながら上り坂・下り坂が続きます。そしてその下り坂の途中には「つなみココから」,上り坂には「つなみココまで」と記された看板がありました。いかに高い所まで津浪が押し寄せたかがわかりました。
○予防注射は不要?○……最後は本業の診療所の最近の出来事を記して終わりとしましょう。今インフルエンザが流行しています。一度流行がおさまったかと思われたのですが,3月に入り学級閉鎖も多くみられます。先日こんな話がありました。高血圧で通院している患者さんに「今年はインフルエンザのワクチン注射しなかったね」と言いますと,奥様からこう言われているのだそうです。「罹るかどうかわからないのに高いお金をかける必要はない。今は良い治療薬が出来ているから,もし罹ったらそれで治療すればよい」と。ワクチンを射って置けば,罹っても高熱の時間が短く,苦しむ期間も少なくてすむのですが……。皆様どう思われますか。
「竹の子医者」の日々 その11
星 康夫(東京都世田谷区)
○被災地、あれから3年○……今日は3月12日。東日本大震災3周年の追悼式が全国で行われました。もう3年経ったのか,いや,まだ3年しか経っていないのか,人それぞれ感じ方も違うでしょう。
昨年の夏休み,一度は訪ねておこうと思っていた故郷の被災地を,妻と息子と3人で回りました。東京を早朝に出発,途中福島に寄り,父母の墓参りをすませて北上,仙台の南から海岸沿いに進みました。走行中の道路や鉄道の線路が,堤防の役目を果たし,津浪はそれ以上奥に入って来なかったとの事。当時テレビで見た,まるで生き物のアメーバーの様に全てを飲み込んで行く津浪,走行する高速道の右と左では景色が違います。仙台に住んでいた頃の住所,宮城野原はそのまま通過し,利府,塩竈を通り抜けて松島に到着しました。予約をしていた宿は,福浦島の裏手にあり,津浪の被害は殆んどなかったとの事。しかし目の前の漁船の船着き場は50?も沈下し,そのカサ上げ工事の最中でした。 五大堂まで海岸を歩きましたが,周囲の沈下の程度や,海岸のお店の被害の程度がよくわかりました。幸い五大堂は昔のままでした。
瑞巌寺に向かいました。山門を入ると,以前は鬱蒼としていてすずしいというよりもむしろ寒いとさえ感じた参道の杉林は塩害により伐採されて,まばらとなり,以前の面影はなく,日当たりが強く感じられました。工事中の本堂にお参りし,隣りの円通寺に回り,きれいに手入れされた苔の庭で,ほっと一息つきました。
翌朝,松島を出発して北上,石巻を目指しました。目的は「旧・ハリストス正教会」です。私が幼児期に洗礼を受けた,佐沼の教会の教区長にあたります。立派な「石森章太郎マンガ館」のすぐ側に,屋根の上にポツンと十字架をのせ,荒野の中に寂しく建っていました。数年前の地震でも被害を受け,やっと修復が出来た時だったと聞いていました。もう一度昔の姿に戻ってくださいと頭を下げて帰ってきました。石巻を出発し志津川に向かいました。生まれ育った佐沼(現登米市)の隣町を通過して更に北へ。志津川(南三陸町)が見渡せる地に達しました。町の面影は全くない。重機が動き回り,ガレキを片付け,小山が出来ている。「志津川駅」と書いた場所に着いた。何も無い。目の前に小さなトンネルがある。入ってみると両側に向かう小さな階段,上ってみると鉄道のホームの跡だった。周囲は草と水溜り,そしてその荒野の中にあの写真で何度も見ていた「防災対策センター」の鉄骨だけになった建物が残っている。周囲には何もない、何もない。無念の気持を残して逝った方々のご冥福を祈るのみ。
歌津大橋の残骸を見ながら更に北へ向かう。海水浴に来た事がある大谷海岸,観光客も多少戻って来ている様だ。気仙沼が近づいて来た。ゆっくりと街に入る。この街があの津浪と火災に襲われたのだ。 「あれが魚市場。おいしいウドン屋さんがあったね」思い出せない程に変わってしまっていた。信号で停車,左手に大きな船(第18共徳丸:昨年末に撤去)が見える。見上げる程に大きいこの船が,港からここまで流れて来たのだ。以前,気仙沼に来た時には,いつも立ち寄った巨釜・半造を今回は通過して陸前高田を目指す。「高田の1本松」あの大きな津浪に耐え,たった1本だけ残ったのだ。かなり離れた駐車場から歩いてすぐ側まで行ってみた。周囲は防潮堤の設置の工事でかなり遠回りを強いられた。この付近は20kmにも及ぶ長い美しい松原だったが本当に今は何もない。三陸の旅もここまでにして,明日は世界遺産となった平泉を見学して帰京しましょう。この旅の途中で気がついた事が2つ程あります。1つは各集落の中に1つは大きな鳥居が立っていた事です。そしてその鳥居の後には真っ直ぐに上へと参道の石段がありました。きっと津浪が来たらこの道を逃げなさいという先人の教えなのでしょう。また,車で国道を走りますと,海沿いの集落・岬。そしてまた海沿いの集落から岬と大きく回りながら上り坂・下り坂が続きます。そしてその下り坂の途中には「つなみココから」,上り坂には「つなみココまで」と記された看板がありました。いかに高い所まで津浪が押し寄せたかがわかりました。
○予防注射は不要?○……最後は本業の診療所の最近の出来事を記して終わりとしましょう。今インフルエンザが流行しています。一度流行がおさまったかと思われたのですが,3月に入り学級閉鎖も多くみられます。先日こんな話がありました。高血圧で通院している患者さんに「今年はインフルエンザのワクチン注射しなかったね」と言いますと,奥様からこう言われているのだそうです。「罹るかどうかわからないのに高いお金をかける必要はない。今は良い治療薬が出来ているから,もし罹ったらそれで治療すればよい」と。ワクチンを射って置けば,罹っても高熱の時間が短く,苦しむ期間も少なくてすむのですが……。皆様どう思われますか。
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